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ビネッテ・シュレーダーの世界 Binette Schroeder |
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けっして、とっつきやすい絵柄ではありません。
絵本も、どんどんストーリーを楽しみながら、
どんどんページをめくっていくような「わかりやすい」内容でもありません。
どちらかというと、クールで理知的。どちらかというと、詩的。
眺めているうちに、ふと、絵本の世界にいざなわれていくような。
そんな世界、ここにはないのかもしれないと理性ではわかっていても、
もしかしたら、あるかもしれないと思えてくるような。
どこか皮肉もあり、どこかおかしみもあり、
あたたかいかと思うとクールだったり、またその逆だったり。
好きな人にとってたまらない世界であることは、
日本の大人たちに熱心なファンが多いことからもわかります。
ビネッテ・シュレーダー。1939年、ドイツ、ハンブルグ生まれ。
3歳のとき戦禍を避けて、南ドイツの山あいの町ガルミッシュ・バルテンに疎開し、
母方の実家で16歳まで過ごしました。
父親が戦死したあと、再び美術学生になった母親の影響を受け、
早くから古今の美術に親しんできました。
とりわけ中世やルネサンスの海外に心から、画集は幼いシュレーダーにっとって絵本がわり。
祖父の蔵書に囲まれて育ったこともあり、絵本を描くのが小さいころからの夢でした。
14歳のときには、みずから代母になって、手作りの絵本を自分の名づけ子への贈り物にしたそうです。
1957年から60年、ミュンヘンの私立美術学校で勉強。
1961年から66年、スイス・バーゼルのデザイン学校で5年間、
商業美術、石版印刷、グラフィックデザインの実技を勉強。
その後、しばらくは写真家として身を立てながら、好きな絵本を描き続けます。
1968年、ベルリンに移り、フリーのグラフィック・デザイナー、肖像写真家、イラストレーター。
1969年、はじめての子どもの本「お友だちのほしかったルピナスさん」を出版。
BIBの金のりんご章を受賞して広く認められました。
71年、ペーター・ニクル氏と結婚。以後、多くの絵本を夫妻で共同して制作。ミュンヘンへ移住。
「こんにちはトラクター・マクスくん」(73年)「ぞうさんレレブム」(72年)
「ラ・タ・タ・タム」(文章は夫 ペーター・ニクル氏 73年)「わにくん」(75年)「ほらふき男爵の冒険」(77年)などを発表。
78年、ミュンヘン郊外のグレーフェルフィングに移り、夫、愛犬・トゥファと暮らしています。
「絵は、私にとって、自分で養い育てた子どものようなものです」とのこと。
矢川澄子いわく「隅々まで丹念に描きこまれ」「つめたさと暖かさとの奇妙に入りまじった」魅力。
「一年一冊にみたない寡作ですが、どの一冊をとっても、
構図といい色調といい、ページのひとつひとつが、
さながらフランドルの名画でもみるような見事なできばえです。
こうした丹念な手仕事の魅力と、ふしぎなファンタジーの味わいとを絵本の世界に復活させたひととして、
シュレーダーさんの名は、70年代の絵本史上にいつまでものこることでしょう」
(矢川澄子 「こんにちは トラクター・マクスくん」訳者のことば より)
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