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坪田譲治

坪田 譲治 1890年(明治23年)~1982年(昭和57年)。
日本児童文学における三大作家のひとり。
岡山県出身。8歳のころ父を亡くしています。
早稲田大学文科予科へ入学。小川未明と出会い、多大なる影響を受けました。
1926年(大正15年)短編小説「正太の馬」を発表。
鈴木三重吉による雑誌「赤い鳥」に童話を投稿するものの、困窮生活の日々。
1935年(昭和10年)、山本有三の紹介により「お化けの世界」を雑誌「改造」に発表。
好評を博し、ようやく世間に認められるようになります。
「風の中の子供」「子供の四季」を新聞に連載し、
大人も子どもも楽しみを共有できる小説として絶賛され、人気作家に。
後年は童話雑誌「びわの実学校」を主宰、
松谷みよ子、あまんきみこ、寺村輝夫、大石真ら後進を育てたことでも知られます。

とくに記載のない限り初版です。戦前戦後まもなくのものです。全体的に状態良。
ただし、年数を経ておりますので、シミ・ヤケほか相応のイタミなどはご理解をいただけますと幸いです。

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品切れ 風の中の子供 坪田譲治 竹村書房 昭和13年 5500円 送料サービス(代引除く)
B カバーにパラフィン一部貼り付け 小口シミ

装丁・挿画 野間仁根

「最後にこの書が野間仁根氏と共著と言つてもいいくらいであることを申上なければならない。
と言ふより、野間氏の絵に対して私が字を書いたと言ふべきかも知れない。
私の著作と言へないものである。負ふ処の大きなことは一言につくすことも出来ない」(跋 より)

238ページ 天地18.5センチ×左右 12.7センチ


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品切れ 児童文学論 坪田譲治 日月書院 昭和13年 3000円
B 函 購入日ほか書き入れ 本体裏表紙に鉛筆痕 小口シミ

児童文学としての小学読本 綴方の中の子供 児童文学現状
「風の中の子供」と小学生 童話作家の感想 子供映画雑感
アンデルセン自伝 鈴木先生書簡より 路傍の子供 童心馬鹿
昔の日記 少年薄暮 名優を惜しむ 子供の喧嘩 童話の作り方

273ページ 四六判


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品切れ 風の中の子供 坪田譲治 新潮社 昭和名作選選・5 昭和14年 2000円
B 見返しに印 小口シミ

表題作のほか、「善太の四季」「正太の馬」「土に帰る子」「甚七老人」「お化けの世界」。

「土に帰る子 昭和九年十月の作。翌十年一月の「作品」に発表された。
自分で一番好きな作品である」
「お化けの世界。これほど思出の深い作品はない。
昭和九年、生活の最も困難な時であつたが、
山本有三氏から大雑誌に紹介してやると力づけられ、
半年間に力をこめた三つの作品を書いた。
これが最後のもので、翌十年三月の「改造」に載せられた。
それから文学生活に道が開けかゝつた」
「風の中の子供。昭和十一年六月、朝日新聞から夕刊に書くやうにとの話を受けた。
歳四十七、学校を出てから二十一年経つてゐた。
私は興奮して、文学に志した目的が達しられたやうに思つた。
一月を構想に費やし、三月かゝつて書いた。
本にする時、山本有三氏に献呈した。
一年後に、清水宏氏の制作で映画化され、非常な好評を博した。
そのため原作の私の作品まで過分の世評を受けた」(作品の思出 より)

314ページ 天地18.3センチ×左右12.2センチ


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品切れ 子供の四季 坪田譲治 新潮社 普及版 昭和14年 2000円
B 帯 表紙ヤケ 小口シミ

装丁・挿画 小穴隆一

新潮賞受賞作品。
「この作品が坪田譲治の文学に頂点をつくるものであらうといふ意見は
新聞に発表されてゐる頃から噂されてゐたが、
此処に多少の理解を加へればその頂点は
子供の世界と大人の世界とがおのづからにしてぶつかつたところにあるとも言へよう。
眼に見えないかたちで斬り結ぶこの二つの感情が
一つの流れに溶けてゆくすがたほど荘厳なものはあるまい。
この二つの世界が注いで童話となり、溢れて小説となる。
・・・(中略)「子供の四季」が子供の眼をもつて見た大人の世界でもなければ、
さうかといつて大人の感情によつて把握した子供の世界でもなく、
不断に、そして永遠に伸びてゆく生命の渾然たるかたちであるといふことの意味が
此処に初めて理解されるであろう」(尾崎士郎 序 より)

335ページ 四六判


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品切れ 家に子供あり 坪田譲治 新潮社 昭和14年 5000円
B 帯

装丁・挿絵 伊藤廉

332ページ サイズ 天地 19.5センチ×左右 13センチ


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NEW 村は晩春 坪田譲治 河出書房 昭和15年 2700円
B 扉に小さい印 後ろ見返しほか僅かにムレあとシミ

装丁・小穴隆一

「坪田譲治氏は話の合間にごくたまにソログーヴの名を口にすることがある。
初めて氏の口からその名前を聞いた時ふと私はあるはつとした気持に襲はれた。
(中略)ソログーヴの作品は暗く、哀しく、恐ろしいが、坪田氏の作品は清く、美しい。
(中略)「村は晩春」では善太、三平はも早軽い点景物になつてゐるに過ぎなく、
これは類ひ稀に美しい村里風物詩である。
そしていつのまにかソログーヴの世界とはひどく隔絶してき来てゐる」(巻末 小田嶽夫)

417ページ 天地 18.7センチ×左右 13センチ


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品切れ 正太のふるさと 坪田譲治 春陽堂書店 昭和16年 5500円
Bー 本体の背ヤケ 小口シミ 函ヤケ・折り目部分イタミ

装丁・齋藤長三

「本集の諸作は、必ずしも坪田さんの代表作ばかりではないことをちょつとお断りしておきます。
この後記を私が書かせて戴くことになりました時、坪田さんは、これらが皆過渡期の作品である旨を
断つて下さいといふことでした。
しかし作者が言はれるやうに、全作品さうなのではありません。
(中略)実はかういふ何でもないやうなところに坪田文学の真骨頂があるのではないでせうか」
(巻末に 石井保 より)

235ページ 天地 18.6センチ×左右 13.8センチ


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品切れ 愛の世界 佐藤春夫 坪田譲治 富沢有為男 宝文館 昭和18年 6500円 送料サービス(代引除く)
B カバー上部ヨレ・少イタミ

装丁・水谷清
「愛の世界 山猫とみの話」として映画化(製作=東宝映画 配給=社団法人映画配給社 1943年=昭和18年)され、
「山猫と呼ばれる少女小田切とみ」役を高峰秀子が演じました。
戦後、多数の娯楽映画を作った青柳信雄監督、初期の作品。
「演出助手」に市川昆の名前がクレジットされています。

「一昨年、師匠佐藤春夫と共に埼玉県下の二つの救護院を訪れて、
私達はそこで不思議な兄弟に出遭った。
兄が八つで、弟が六歳の時、彼等は村の墓場で、屋根をつくつたり、壁をつくつたりして、自活してゐたのである。
兄弟は、小学校の地図を盗み出したり、蓆(むしろ)を持つて来たりして雨露をしのぎ、
喰物は何を喰べてゐたのか、とにかく、仲よく暮してゐたのである。
坪田さんもこれを聞いて、ひどく心を衝たれてゐたやうである。
私達はかうした一種荘厳な少年少女の生命を、この作品の上で、互に掘りさげる事となつた。
特に合作の形式を借りたのも、父親全体の意志と愛情を、
まんべんなく、この物語に注ぎたかつたからである」(富澤有為男 はしがき より)
「これはもと救護院を主材とした映画をつくる計画から、私如きが一員に加へられたのであります。
今、この小説を書くにあたり、もう一年半も創作が書けないでゐる自分を考へ、
佐藤先生に辞退したのでありますが、計画の継続として許されず、
この作品の終り近くに善太三平の出る場面を書いて、責任の何分の一かを果すことと致しました。
佐藤先生や富澤氏の霊筆の邪魔をしないで役目を果たしたいと、
今からおそるおそる祈つて居る次第であります」(坪田譲治 はしがき)

241ページ B6


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故園随筆 坪田譲治 十一組出版部 昭和18年 1500円
B シミ

装丁・中村好宏

孤園の情ー郷里の道、明治回顧、母のことなど、家、ランプ芯の話、店の争奪
最初の海、夢に釣る魚、川の鮒・池の鮒、秋の子供、土から出た船、友人にあてて
緑蔭偶語ー運命、空想と実在、くやしかつた話、回想の歳末、
悪事の算盤、壁に書く、小山のお婆さん、太田黒克彦氏の随筆
ある日感慨ー日向の國、母について、父はこはい、文学技巧小片、創作近況 ほか

「今から八年ばかり前、私は「班馬いななく」といふ本を出したことがありました。
それは私の初めての随筆集なので、子供が生まれたやうに嬉しく、
何日となく側において眺め眺めいたしました。
然しどういふ訳か、それは売行きが悪く、出版後半年とたたない間に、
もう一軒の古本屋へ二百部も新本のまゝまとめて出てゐるといふ有様でありました。
これは私の随筆がどんなに拙いものであつたかといふこと以外、その理由はないのでありますが、
然し子供可愛さの親心として、なかなか諦めることが出来なかつたのであります。
ともすれば、その理由を他に求め、何かと言訳したがるのであります。
殊に、その随筆は殆どが私の市場の苦境時代に書かれたものだけに、
どうも思ひ切りがつかないのであります。
丁度そのやうな心持の私に、これをもう一度出してみないかといふ話があり、
こゝに、それらの随筆に少しばかり手を入れ、三分の一以上を整理し、
新篇も加へ、これではどうでせうかと、世に問ふ次第なのであります」(あとがき より)

274ページ B6


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NEW 山國 坪田譲治 新潮社 昭和18年 1800円
Bー ヤケシミ 小口シミ

装丁・中尾彰

長編小説。
280ページ 天地 18.2センチ×左右 13センチ


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品切れ 谷間の池 坪田譲治 新日本少年少女選書 湘南書房 昭和20年 3000円
B 小口上部角、少切れ

装丁・飾画 岡秀行
「狐と河童」「木の下の実」「谷間の池」「お馬」の4篇。

64ページ 天地 18センチ×左右 12.7センチ


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品切れ 歌のじょうずなカメ 坪田譲治 新潮社 昭和22年 2700円
Bー 本体の背ヤケ 小口シミ 函ヤケ・折り目部分イタミ

装丁・田坂乾

日本昔話その二
表題作のほか「スズメのヒョウタン」「モヅとキツネ」「りゅうぐうと花売り」「灰なわと千たば」
「天ぐのかくれみの」「ミソサザイ」「頭にカキの木」「初夢と鬼の話」「ウグイスのほけきょう」
「ネズミとトビ」「キツネとカワウソ」「山婆と小僧」「おじいさんとうさぎ」「ごんべいとカモ」ほか。

239ページ 天地 18.1センチ×左右 12.7センチ


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改訂 児童文学論 坪田譲治 西部図書株式会社 昭和22年 1500円
B 表紙ほかシミ 表紙オレすじ 背の上部少イタミ 最終ページ一字分、奥付に貼り付き

装丁・塩月桃甫

「童話と文学」「児童文学」「児童文学の早春」「私の童話観」
「与える藝術」「童話作家の感想」「鈴木先生 書簡より」「『風の又三郎』について」
童話の作り方

220ページ B6


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一人の子供 坪田譲治 小峰書店 昭和23年 3500円
Bー 背の上部イタミ 153ページあたりから後ろ見返しまで本文余白部、角オレ シミ

装丁・小穴隆一

短編集。「一人の子供」「昭和の子供」「汽車の中の子供」「頭の中の小説」
「妻の挿話」「遠山先生」「野尻湖にて」「山湖風物」「玉葱の芽」
紙質があまり良くないため、扉ほか少々穴があります。

179ページ B6


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品切れ 故里のともしび 坪田譲治 泰光堂 昭和25年 6500円 送料サービス(代引除く)
B カバー少イタミ 扉に印 小口少シミ

装丁・中尾彰
故里のともしび 野尻湖まつり 子供を想う わが師・わが友
児童文学の回想 ジョクジャ回想記

「ところで、私は尚、書きたい人、書かないではすまない人が実に訳山ある。
鈴木三重吉先生、山本有三先生、加藤一夫氏、尾崎士郎氏、上泉秀信氏、
それから小田嶽夫、浅見淵、田畑修一郎、小暮亮の諸氏、
小穴隆一氏や富沢有為男氏など、また佐藤春夫先生についても、みな永い生涯に恩を受けた人たちである。
然し紙数も足らず、原稿しめ切りで時間もない。
諸先生、諸先輩諸友人の高恩と深い友情を謝してこの原稿を終る。
・・・(中略)鈴木三重吉先生のことを書こうと思つて、私は気が臆する。
それで何日も机の前に座つたり、机の横にねころんだりして、〆切が迫つてしまった。
・・・(中略)何で、気がおくするか。先生はきびしい人であつた」
「童話はこの世界を言葉に変えたもの、と初めに書きました。
ところで児童は童話が非常に好きなのであります。
何故好きかと言えば、彼等はこの世界を矢も盾もないほど知りたがつているのであります。
非常に好奇心が強いのであります。つまり認識したがつているのであります。
だから童話の第一の役目はその児童の要求に応じるということであります。
世界を言葉に変えて認識させるのであります。
・・・(中略)そこで人生の発足に於て、まず最初に読みふける童話であります。
この世の最初の認識としてむさぼり読む童話であります」

280ページ B6


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品切れ せみと蓮の花 坪田譲治 筑摩書房 昭和32年 4000円


装丁 小穴隆一

「野性的であると共に、何にも汚れぬ清純な夢想に満ちた人生行路上の桃源郷であり、
一方、未来、乃至永遠を孕んだ独自の世界」(帯 より)

「せみと蓮の花」「二十の春」「母」「遠い昔のこと」「魔性のもの」
「女のこと」「戸締り合戦」「ある老人の死」「三重吉断章」

「遠い昔のこととなりました。四十六年になるのです。
と言つただけでは解りませんが、これは吾が師小川未明の思出なんです。
私が初めて師未明を訪ねてから、もうこんなに年月が経つてしまつたのです。
その時、私は十九だつたのですが、未明は二十七でした。
それが何と大家に見えたことでしょう。エライ先生に思えました」

「ここに載せた八編の作品は、いずれも終戦後のものであります。
執筆年表にあります通り、一九五二年から五七年まで六年間のものであります。
終戦後、童話集は何冊か出ていますが、小説の短編集はこれが初てであります。
つまり終戦後、短編はこれだけしか書かなかつたのであります。
創作量の少なさは、質の貧しさと共に、恥ずかしい次第であります。

なぜ、こんなことになつたか。才能の貧しさは言うまでもありませんが、
戦争中から、戦後へかけて、健康を害していたことが、大きな原因ではなかつたかと思います。
・・・(中略)「一老人の死」や、「せみと蓮の花」などは、
この心臓病の直つた直後あたりに書いたもので、「死」というものを主題にして居ります。
また、「母」や「未明」や「三重吉」のことを書いたものは、
いずれも回想でありまして、幾分「死」の影からぬけ出した気分ではありますが、
まだ、その暗影が残つて居ります。
・・・(中略)然し「二十の春」以来、実に私は「死」を忘れたことは殆どない一生でありました。
もう七十に近く、思つても思わなくても、そのうち「死」はやつて参りましよう。
もう少しの辛抱です。乱れたり、汚れたり、人を傷つけたりすることなく、
少しでも良い仕事をして、一生を終りたいものであります」(あとがき より)

254ページ 天地 19.5センチ×左右 15.6センチ


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NEW 賢い孫と愚かな老人 坪田譲治 新潮社 昭和40年 2000円
B 函 帯 本体背ヤケ 見返しに印

装丁・鈴木信太郎

「童心を描いて六十余年を歩み続けて来た著者が、厳しい人生航路をふり返り、
ゆく末に思いを馳せる・・・・・・ 少年の日の回想、老妻、孫、先輩、交遊などを語って
ほのぼのとしたユーモアのうちに、著者独自のゆるぎない人間観照の眼が光る」(帯より)
本体クロス装 276ページ 天地 20センチ×左右 15.5センチ


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品切れ 天狗のかくれみの 坪田譲治昔話珠玉集 坪田譲治 赤羽末吉・絵 平凡社 67年 2000円
B 函 帯

装本・赤羽末吉

「好評、夢見小僧につづいておくる 日本昔話の愛蔵決定版」
この本は、半世紀を、子どもの文学に生きてきた著者の、
日本の昔話を再話した数多くの作品の中から17編をえりすぐり、
書きおろし2編をくわえて、昔話の珠玉集」(帯 より)

256ページ 天地 21.5センチ×左右 15.5センチ




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