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おなじみすぎるぐらい、おなじみのドリトル先生。 子どものころ読んだ人は多いと思いますが、大人になってから読み返してもとてもおもしろいこと、ご存知でしょうか? 原作者のヒュー・ロフティングは、1886年、ロンドンからさほど遠くないメイドンヘッド生まれ。イングランド人とアイルランド人の血が混ざっている家系だったそうです。 小さいころから動物が好きで、お母さんの押入れに小動物園を作って、家の人をびっくりさせたこともあったとか。 16歳のとき渡米して、またじきイギリスへ。ロンドンの大学で勉強を終えて、 子どものころから夢見ていた土木技師として出発をしました。 その後、数年は、カナダ、アフリカ、キューバの鉄道建設で忙しく過ごします。 1912年、アメリカで結婚しましたが、落ち着く間もなく第一次世界大戦が始まります。 ロフティングが物語を思いついたのは、なんとアイルランド軍の将校として戦場に出向いていたとき。 エリザベスとコリンというふたりの幼い子どもたちのために絵物語を書こうと思いつきました。 動物好きのロフティングは、戦場で人間と同じように危険をおかして義務を果している馬が、けがをしてしまうと銃殺されるのは大変忍びなかったようです。 馬だって十分に看護してやるべきではないか、しかし、馬の名医になるためには 馬語も話せないといけない、思いやりのある人間であることが必要だ ……そう考えたとき、ロフティングの頭に物語が浮びました。 そして、ロフティング自身もきびしい日々の中、絵物語を思い描くことによって救われていったのです。 「ロフティングは、正義や愛情を、抽象的なことばであらわすかわりに、生き生きとした人物をつくりあげ、その人の行ないで、それを表現しました。 しかも、動物語を話し、ムシにのって月世界へゆくというような、架空なできごとを、 いかにも手でふれることのできる事実のようにえがきだした…」(石井桃子) 「ドリトル先生アフリカゆき」のあとがきに井伏鱒二さんの言葉が記されています。 子どもの読み物は、まず、おもしろくなくてはいけない。子どもの読み物として上乗のものは、同時に、おとなの読み物としても上乗のものでなくてはならない。ーーそのようなロフティングの姿勢が説明され、石井桃子さんの下訳をもとに井伏氏が書き直し、さらに石井さんが細かい間違いを直したといったいきさつも紹介されています。 同「アフリカゆき」の巻末では、石井桃子さんがロフティングと「ドリトル先生」シリーズ各巻について解説しています。 「ドリトル先生アフリカゆき」が日本で出版されたのは、昭和16年。 けわしい時代に生きていた多くの子どもたちの心をとらえ、 戦後「ドリトル先生の郵便局」「ドリトル先生のキャラバン」「ドリトル先生のサーカス」「ドリトル先生月へゆく」が出版。 巻末の広告には「この全集は八歳から八十歳まで、誰にとっても心やわらぐ楽しい物語です」とあります。 世界十数か国で翻訳され、各国で子どもから大人までがこの本を親しみ深く感じていることでしょう。 登場キャラも挿絵もすばらしくかわいらしい。ハードカバーでぜひ持っていたい本です。 児童文学の一大高峰であることには間違いないと思います。 全12巻。サイズはいずれも天地22.7センチ×左右16センチ 函あり。いずれも重版。 何冊かずつある巻もありますので、何年の何刷かお知りになりたいときはお問い合わせください。 また、状態が比較的よい本とイタミがある本があります。お問い合わせ・ご注文の際、状態についてご説明いたします。