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あまカラ

14号〜20号〜30号〜・40号〜・
50号〜60号〜・70号〜80号〜90号〜
100号〜110号〜120号〜130号〜140号〜
150号〜160号〜170号〜180号〜190号〜続200号・終刊号



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品切れ あまカラ 40号 1954年(昭和29年)12月 甘辛社 1400円
B- 背表紙少イタミ 小口ヤケ ホッチキスさび 当時の定価50円

小島政二郎 吉田健一(饗宴1)寿岳文章 邱永漢
葛西宗誠 山内金三郎(あまカラ手帖2)長谷川春子
古川緑波 福島慶子 田崎勇三 大久保恒次
大場白水郎 村井米子 前田栄三 吉田三七雄


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品切れ あまカラ 41号 1955年(昭和30年)1月 甘辛社 1400円
B- 小口ヤケ ホッチキスさび 当時の定価50円

小島政二郎 吉田健一(饗宴2)坂西志保 木村義雄 古川緑波
勅使河原和風 邱永漢 葛西宗誠 関根秀三郎 村井米子
福島慶子 樫田十次郎 吉田三七雄 柳澤保惠 子母澤寛

次号からは、ある一読者の方のお好みが、あまりに良い企画ですので、
採りあげさせて頂き、葛西宗誠さんをわずらわして、写真による面白い
読み物を提供いたします。(あまカラ通信 より)


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品切れ あまカラ 42号 1955年(昭和30年)2月 甘辛社 1400円
B- 小口ヤケ ホッチキスさび 当時の定価50円

写真ページ すっぽん 写真と文・葛西宗誠
小島政次郎 宇野浩二 福田恆存 森田たま(日本のビフテキ)
古川緑波 山内金三郎(あまカラ手帖3)吉田三七雄
草野心平(母の舌)和気律次郎 福島慶子 村井米子
葛西宗誠 吉田健一(饗宴3)邱永漢 島津忠重


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品切れ あまカラ 43号 1955年(昭和30年)3月 甘辛社 1300円
B- 表紙角少ヤブレ 小口ヤケ ホッチキスさび 当時の定価50円

写真ページ 京の漬物 写真と文・葛西宗誠
小島政次郎 獅子文六(タマール)桶谷繁雄 和気律次郎
福島慶子 村井米子 伊藤鴎ニ 吉田三七雄 山内金三郎(あまカラ手帖)
葛西宗誠 福田恆存 戸塚文子(三角のあぶらげずし)邱永漢
古川緑波 大倉久美子 子母澤寛

前号からはじめた葛西宗誠さんの写真の頁の特集は、
反響もあって、いろいろと注文がまいり、あれを写せ、これをとれと、
開店早々声がかゝつて、気をよくしています。
次号にお店する魚を扱つたものなんかは、徹夜して魚市場でガン張つて
写したもので、今までにあった社会科の説明のようなものでなく、
ちやんとしたプリンシプルをもつたレンズの仕事ですので、
どうぞ特にご批判をどしどしお寄せねがいます。(あまカラ通信 より)


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品切れ あまカラ 44号 1955年(昭和30年)4月 甘辛社 1400円
B- 表紙シミ 小口ヤケ ホッチキスさび 当時の定価50円

写真ページ 魚(とと) 写真と文・葛西宗誠
小島政二郎 佐藤春夫(山菜の事など)長谷川幸延 英十三
和気律二郎 山内金三郎(あまカラ手帖)花柳章太郎
古川緑波 葛西宗誠 戸塚文子(プルコギ)邱永漢
村井米子 田中純 齋藤義政 子母澤寛

東京銀座の近藤書店へはじめて本誌を出しました處たちまち売切れてしまいました。
此の号からは、前号より多く出すつもりですが、月ぎめの読者の方が
激増してまいりましたので、部数が足らぬといううれしい悲鳴をあげています。
東京ではいま一箇所、大丸スナツクの『辻留』へ僅かばかり置いていますのと、
大阪では阪急百貨店梅田書房。鶴谷八幡の本店と阪神甘辛のれん街、
アシベ劇場の名品店の鶴谷八幡の二つの直売店にこれも僅少づゝ出しています。
毎号毎号発行部数がウナギのぼりになつてまいりました。(あまカラ通信 より)


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品切れ あまカラ 45号 1955年(昭和30年)5月 甘辛社 1400円
B- 背少イタミ 小口ヤケ ホッチキスさび 当時の定価50円

写真ページ 茶筅 写真と文・葛西宗誠
小島政二郎 獅子文六(昨日の美味は今日の美味にあらず)
丹波文雄(舌の幸)福島慶子 古川緑波 花柳章太郎 吉田三七雄
村井米子 葛西宗誠 永田幹彦 近藤日出造 戸塚文子(てこね)
山内金三郎(あまカラ手帖)邱永漢 溝口直亮 子母澤寛

戸塚文子さんが先ずイギリスへ、それからヨーロッパへゆかれます。
イギリスはおかたい国で、戸塚さんのスラックスをきらうのだそうで、
スカートをはいて歩く練習をしていらっしゃるとか。本誌へはニ、三篇を
書き溜めておいて下さるはずです。(あまカラ通信 より)


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品切れ あまカラ 46号 1955年(昭和30年)6月 甘辛社 1400円
B- 小口ヤケ ホッチキスさび 当時の定価50円

写真ページ 大和の茶粥 写真と文・葛西宗誠
正宗白鳥(胃弱者のたべもの観)佐藤春夫(鮨のはなし)
玉川一郎(味覚 よそ者の歎き)戸塚文子(十勝の豆)
古川緑波 和気律次郎 福島慶子 吉田三七雄(あいすくりん)
福田恆存 渋沢秀雄 飯沢匡 邱永漢 山内金三郎(あまカラ手帖)
石川毅 子母澤寛

どこでも大都市はそうでしようが、アミノ酸醤油でない、
戦前のような一年もかゝって醸造する本当の醤油が出まわっています。
先日も小豆島へゆく人に、モロミを買ってきて下さいとたのんだら、
どろどろのもので、粒なんか些かもまじっておらず、
オリーフの実がすり込んであるとラベルに書いてあって、
さて食べてみると、うまくもない、変てこな味噌みたいなものでした。
(あまカラ通信 より)


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品切れ あまカラ 47号 1955年(昭和30年)7月 甘辛社 1400円
B- 目次シミ 小口ヤケ ホッチキスさび 当時の定価50円

写真ページ 懐石 写真と文・葛西宗誠
小島政二郎 福原麟太郎 長田幹彦 臼田素娥 花柳章太郎
有竹修二 石敢当 和気律次郎 吉田三七雄 福田恆存
坂西志保 邱永漢 山内金三郎(あまカラ手帖)
古川緑波 尾上松助 子母澤寛

六月の二十日、鶴屋八幡が鉄筋のビルへ新店舗をもちましたので
その三階に甘辛社が一室を占めることになりました。
此の新店舗は同じ今橋五丁目で、もとの所から西を向けば、
直ぐ分るほどの近所です。
…しかるに立派なビルの一室に編集室をもってみると、何だかまだ板につかず、
またしても外へ出てしまいます。放浪癖が身にしみついてるのでしようか。
お立ち寄りくださいと、人なみなことを書きましたが、その節はどうぞ電話で
所在を問うて頂かんと、どうも怪しいようです。(あまカラ通信 より)


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品切れ あまカラ 48号 1955年(昭和30年)8月 甘辛社 1400円
B- 目次ほかシミ 小口ヤケ ホッチキスさび 当時の定価50円

写真ページ じゅん菜 写真と文・葛西宗誠
小島政二郎 大岡昇平(巴里の酢豆腐)吉村正一郎 長田幹彦
古川緑波 花柳章太郎 村井米子 山内金三郎(あまカラ手帖)
邱永漢 福田恆存 福島繁太郎 竹中郁 吉田三七雄
小松謙次郎 子母沢寛

前号に甘辛社の編集室ができたにかゝわらず、放浪癖がぬけきれず、
つい外出してしまうと書きましたところ、この悪癖を直してやろうと思召てか、
各方面から、お慰めやおさとしのお手紙を沢山頂き恐縮しています。
ところが近所の方々からは、額、時計、ラジオ、コーヒー・サイホン、
茶碗、鏡、ソフア、卓子、扇風機、冬のための暖房用具まで、
お祝という名目で、出あるかずに落つけといわんばかりに
贈って頂いたのには驚きました。(あまカラ通信 より)


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品切れ あまカラ 49号 1955年(昭和30年)9月 甘辛社 1400円
B- 目次ほかシミ 小口ヤケ ホッチキスさび 裏表紙オレ 当時の定価50円

写真ページ 上方の鮨 写真と文・葛西宗誠
小島政二郎 河竹繁俊 坂西志保 長田幹彦 古川緑波
村井米子 松丸東魚 花柳章太郎 吉田三七雄
福田恆存 山内金三郎(あまカラ手帖)邱永漢
永見徳太郎 子母沢寛

昭和二十六年の八月一日、本誌第一号をお目にかけまして以来、はやいもので
次号が丁度五十号に相当いたします。そこで読者の方から切なるおすゝめもあり、
記念号を出す企てをたてゝ諸大家へ御執筆をおねだりしたところ、
ありがたくも沢山のお原稿を頂きました。お忙がしくて、とうてい頂けまいと覚悟をして
待っていたら、他の依頼はお断りになったのに、『あまカラ』へは書いて下さったり。
是非書いてあげたいが、病臥中なので、口述筆記だが差上げるとおとどけ下さったり。
…量も相当ありますので、五十号記念号は倍大の増ページをいたします。
…昭和二十六年の夏といえば、もう四年もの歳月が流れ去りました。
その暑いさなかに創刊号を作ったのですが、この『あまカラ』という名は、
ほかならぬ小島政二郎先生がつけて下すったのです。しかも迷っていたのを、
電報で「ダイメイハ アマカラ トナサイ」と、決心をうながして下さって、
それに決めたのですが、一体印刷代や紙代を何うしようかと悩んでいたら、
今の甘辛社がそれをひきうけて下さることになり、それ以来は馬車馬のように、
たゞ誠実と奉仕とを唯一の信条として、労苦をいとわず、たゞわれわれの誠意が
皆様に通じて、書いてやろう、購読してやろうという美しい御心情が、
こゝまで立派に育てて下すったので、ただわれわれは、その思召に
従ったまでのことでした。(あまカラ通信 より)


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あまカラ 14号〜20号〜30号〜・40号〜・
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