古本 海ねこ トップページへ戻る


春を待つ日の アドベントエッセイ

暖冬ではありますが、春の訪れが待ち遠しい今日このごろ。
2月4日の立春から3月21日の春分のころまで、1日おきに連載予定です。
まずは、「花」の登場する絵本や児童文学をご紹介します。
3月に入ってからは「庭」の登場する絵本、児童文学を。


文/カーネーション・リリー・リリー・ローズ

神戸出身、関西在住。
子どもの本と絵本とチョコレートとバラををこよなく愛する、
未公認無認可イギリスびいきの会の一員。

●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●

3月21日

cover 「リンゴ畑のマーティン・ピピン」
(ファージョン 石井桃子・訳)

第二話 若ジェラード
≪……「丘の上の羊飼いは、星にとってはとるにたりないものだ。羊飼いは、
星が月日とともにいったり、きたりするあいだ星を見ているが、星は羊飼いを見ないかもしれない。
それに、星の出ない晩もあり、また、月のそばに、一つ、ぽっちり、空をつきさしているだけのときもある。
だが、見なさい! 今夜の空は、花でうずめられた枝のようだ。」
シアは、子どものような笑い声をあげて、いった。
「わたしに一本折って!」
「あれを折るには、ヤコブのはしごがいる。」
ジェラードは、ほほ笑んでいった。
「じゃ、木をゆすって、星をおとして!」
と、シアはせがんだ。
「そら、シアどのの星がおちてきた。」
と、ジェラードがいうと、
とつぜん、シアは、白く神々しい夕立ちのようなものにつつまれていた。
「星!―――――ああ、これ、なに?」
と、かの女は叫んだ。
「わたしのサクラだ――――花がさいたんだ。」
と、いったジェラードの声はふるえていた。
シアは、いそいで見あげ、かれが、じぶんのすぐそばに立ち、頭の上の枝をゆすっているのを見た。
ふたりの目はあい、今度ははなれなかった。
かれは手をのばし、ひと枝を折ると、かの女のまえにさしだした。
シアは、夢を見ているように、ゆっくり、それをうけとって、 ひざの上におき、両手で顔をおおうと、泣き出した。……≫


「そこで育てよ、愛がそなたに花をつけるまで。」と植えられたサクラのつぎ穂は、
若ジェラードが21歳になるまで、花をつけませんでした。サクラの花が咲いたのは……。 
日本の「桜の花の満開の下」とは、後味のまったく異なる、「サクラの花の満開の下」の恋物語。
この「リンゴ畑のマーティン・ピピン」には、恋のお話が詰まっています。

舞台は、2月14日にご紹介したサトクリフの「運命の騎士」と同じイギリスのサセックスのダウンズです。
第二話の“若ジェラード”の話は、「むかし、おとめたちよ、アンバリの丘に……」で始まり、
第五話の“誇り高きロザリンドと雄ジカ王”は、この丘の中心であるアンバリ城が舞台となっています。
アンバリ城は、今では朽ちかけた古城を生かし、ホテルになっていて、西洋の古城に泊まるという「乙女」の夢が叶います。
フェイクの本棚を押すと、隣の部屋に入れます。
甲冑と年代物のチェスのそばでお茶が飲めます。
階段の壁には、馬上試合で使われたとおぼしき槍、槍。
お庭には、放し飼いの白いクジャク。
そして、門前から見渡すと、ファージョンが丸屋根のような丘と形容する穏やかな曲線の連なりが……。
丘を越え、谷を下る、酔いしれた婚礼の雑多な者の行列が目に見えるようです。

イギリスには、お話の世界がそのまま残っていると教えてくれたのが、
今月、100歳になられた石井桃子さんの「児童文学の旅」の本でした。
いつかは、ファージョンの作品に描かれた舞台に行きたいと、願うきっかけになりました。
プーさんや、ピーター・ラビット、そして、他たくさんの本の中の友達と
その舞台に出会えたのは、石井桃子さんのおかげです。感謝。

「児童文学の旅」(石井桃子・著 岩波書店)



●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●

3月20日

cover 「ブライディさんのシャベル」
(レスリー・コナー文 メアリー・アゼアリアン絵 千葉茂樹・訳 BL出版)

≪……はやおきした朝には、シャベルをもって裏庭にでて、
ちいさな花壇づくりに、精をだしました。
春になると、育った苗をならべて売りました。庭のある家の奥さんたちがお客です。……≫


木版画の絵本です。
1856年にNYに移住するブライディさんは、一本のシャベルを持って新天地に向かいました。
たくましく生きるブライディさんの生き方と木版画の力強さがぴったり合っています。
このアゼアリアンという画家は、「雪の勇者」や「雪の写真家ベントレー」など、
雪のシーンを彫るのを得意とするようで、
「ブライディさんのシャベル」でも、冬のシーンは、花の咲くシーンに負けず劣らず、美しい。

我が家には、ブライディさんのような大きなシャベルはありませんが、小さなシャベル―スコップならあります。
まあ、スコップで耕すのですから、我が家のガーデニングも大したことありません。
が、しかし、そんな小さなスコップで土をいじくっていても、いろんな音を聞くガーデニングの楽しみを味わえます。
ブーンという小さな虫の羽音。カサカサと這い回る小さな虫の足音。
葉っぱと葉っぱがすれる音。ぽとっと、何か、落ちる……土を掘る……
フィリッパ・ピアスの「あれがつたっていく道」に出てくる「あれ」を感じたことはありませんが
……土を掘る。土を掘る。ザクッ、ザクッ……

昔、うちの子どもたちが小さい頃、彼らは、ただ、穴を掘っていました。
自分が座り込めるくらいの穴です。ただ、もくもくと掘りました。
その庭付きの借家を引っ越すとき、何が大変だったかというと、その穴を埋めることでした。
「あな」という絵本がありますが、あんなに簡単には埋められないものです。
掘った土は、ドロ遊びに使われ、お団子になり、いろんなところに散逸していたので、
埋め返すにも、土が足らなかったのです。
引越しの間際まで、土を均していました。
しかも、ピカピカに磨かれた土団子は、彼らの引越しの荷物に、大事に入っていたというオマケもありました。

「雪原の勇者」
(リーザ・ルンガ‐ラーセン文 メアリー・アゼアリアン絵 千葉茂樹・訳 BL出版)
「雪の写真家ベントレー」
(ジャクリーン・ブリッグズ・マーティン文 メアリー・アゼアリアン絵 千葉茂樹・訳 BL出版)
「あれがつたっていく道」(「こわがっているのはだれ?」より)
(フィリパ・ピアス作 高杉一郎・訳 岩波書店)
「あな」
(谷川俊太郎・文 和田誠・絵 福音館書店)


●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●

3月18日

cover 「園芸家12カ月」
(カレル・チャペック 小松太郎・訳 中公文庫)

§3月の園芸
≪……おや! こうして書いているあいだに、あの「そら!」という神秘な声がなりわたったらしい。
朝のうちはまだかたい襁褓につつまれていた芽が、やわらかい葉さきを押し出して、
レンギョウのしなやかな枝にきらりと小さな金の星がひかり、
梨のふっくりした芽がすこしひらき、何の芽かわからないが、
その先にみどりをおびた金いろの蕾がかがやいていた。
ねばねばした鱗片からは、若々しいみどりが顔を出し、ふとった芽がひらきかかって、
小さな葉脈と小さなたたみ目の、やさしいすかし細工が押し合って出ようとしていた。
赤くなってはにかむことはないのだ。たたんだ扇をひらくがいい。
うぶ毛をはやしてねむっている芽よ、目をさませ。
スタートの命令が、もう出たのだ。
楽譜にのらない行進曲の、はなやかなラッパを吹き鳴らすがいい!
日をうけてひかれ、金いろの金管楽器。とどろけ、太鼓。
吹け、フリュート。幾百万のヴァイオリンたちよ、
おまえたちのしぶき雨をまきつらすがいい。
茶いろとみどりのしずかな庭が凱旋行進曲を始めたのだ。≫


カレル・チャペックの兄、ヨゼフ・チャペックの挿絵入り。
この楽しい文庫本には、何度も笑わされます。
それは、巻頭からです。
「庭をつくるにはいろいろな方法がある。いちばんいいのは本職の園芸家にたのむことだ。……」
アハハハ、ごもっとも。
「ほんとうの園芸は牧歌的な、世捨て人のやることだ、などと想像する者がいたら、
とんでもないまちがいだ。やむにやまれぬ一つの情熱だ。
凝り性の人間がなにかやりだすと、みんなこんなふうになるのだ。」
フフ、フ、その通り!
「せめて、もう一寸でいいから背が高くなりたいと思っている人がいるが、
園芸家はそういう人種ではない。それどころか、彼は、
からだを半分に折ってしゃがみ、あらゆる手段を講じて背を低くしようとする。
だから、ごらんのとおり、身長1メートル以上の、園芸家は、めったにみかけない。」
えへへへ、お説のとおり。

チェコの園芸家! カレル・チャペックは、ユーモアに溢れ、
時には、シニカルに、かつ、大真面目に、園芸を愛好しています。
が、イギリスの「わが庭に幸いあれ―紳士の国の園芸術」も、可笑しい。
大体、ヒース・ロビンソンの描く「変な」「妙な」園芸用器具・装置の絵を見ているだけで楽しい。
「屈まなくてすむ方法」「一つの動作でアザミを抜き取り、芝生の種を蒔く方法」
「新しい芝生の種蒔き及び潅水」など、腰を屈めて園芸するのが苦手な
身長1メートル以上の園芸家に、ぴったりの装置が出ています! う、ほっほほ。

「わが庭に幸いあれ―紳士の国の園芸術」
(K.R.G.ロビンソン文  ウィリアム・ヒース・ロビンソン画 中尾真理・訳 筑摩書房)
cover


●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●

3月16日

「ルピナスさんーー小さなおばあさんのお話」
(バーバラ・クーニー作 掛川恭子・訳 ほるぷ出版)

≪……つぎのとしの春がくると、村じゅうが、ルピナスの花であふれました。
のはらや、海ぞいのおかが、あおや、むらさきや、ピンクの花でうめつくされました。
花は、ひろいみちの両側や、ほそいみちのわきでもさきみだれました。
がっこうのまわりや、きょうかいのうらにも、にぎやかな花ばたけにかわりました。
くぼちやいしがきぞいでも、ルピナスのうつくしい花をひらきました。……≫


以前、この絵本の作者、バーバラ・クーニーのアトリエを映像で見たことがあります。
アトリエの外の庭には、ルピナスが咲き広がっていました! ああ、やっぱり。
そこで、ルピナスさんに憧れ、我が家も種を蒔きましたが、消滅。
大きな苗を買ってやっと、絵本のような花を見られたものの、苗の数しか、咲きません。
そこいらを埋め尽くすほどは、到底無理。グリーンフィンガーには程遠い
……が、ルピナスは、直立したフジの花のようで、とても美しい!
実際、別名は、ノボリフジ。花期も長く、豪華です。

私の父は植物の好きな人でした。
幼かったころ、庭に育つ花々の間を歩き回り、花や葉っぱでままごとをしていた思い出があります。
そのせいかどうか、わーぁと、埋め尽くすように咲く花畑は今も好きです。
ただ、今から思うと、凄く狭い敷地だったのですが……。

丘や谷、村中を埋め尽くすルピナスの絵本は、トミー・デ・パオラの「青い花のじゅうたん」でも見られます。

≪……それからと言うもの、春がくるたびに、精霊たちは<ひとりでいる子>の
おくりものを思い出して、テキサスの丘や谷を、きれいな、青い花でうめつくすのです。
いまでも、そこへ行くと、青い花のじゅうたんが見られます。≫


「青い花のじゅうたん」(トミー・デ・パオラ再話・絵 いけださとる・訳 評論社) cover


●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●

3月14日

cover 「リディアのガーデニング」
(サラ・スチュワート文 ディビッド・スモール絵 福本友美子・訳 アスラン書房)

≪おばあちゃんへ どこもかしこも花ざかりよ。
ウィンドーボックスに、ハツカダイコンとタマネギと3種類のレタスも植えてみました。
近所の人たちが、花を植えるコンテナを持ってきてくれました。
この春、自分の家にできた植物をくださったお客さんたちもいるのよ!
もうだれも私のことをリディア・グレースってよびません。
「ガーデニングのリディア」ってよんでくれます。……≫


都会のビルの屋上に作ったガーデン。
ガーデンを作ったリディアも、育ちます。
原題は、“The Gardener”。
この絵本では、植物の手入れだけでなく、心のお世話もする人の意ではないかと思います。
庭師リディアの、優しい想いが伝わってきます。

ところで、近年、縁あって受講できた授業に、「ブリティッシュアート論」がありました。
教授は、オックスフォードご出身の英国紳士でした。
3年半通いましたが、毎年、多くても5人までの受講生でした。
時には、若い人たちが自主休講されるので、私一人でお聞きするという贅沢。
全編、英語の講義です。
が、そこは、アート論ですから、最新鋭の機器で絵を見せてもらい、音楽を聞かせてもらい、
時には、朗読してもらい……と、ほとんど聞き取れない、なさけない状態のおばさんでも、
一日も欠席することなく、通い続けることができました。
先生が退職なさらなかったら、今も通っていたと思います。

先生は、毎年はじめに、アートとは?という問いかけをなさいました。
目で見る……絵、版画、写真、彫像、建物、演劇、バレエ…
耳で聞く……音楽、演劇、朗読、バレエ…
触る……彫像、建物…
嗅ぐ……料理やお菓子、香水…
味わう……料理やお菓子(フランス料理や日本料理は、「目で見る」も)…
と、多分、説明されました。
次に「では、最高のアートは何でしょう?」というご質問があるのです。
答えは、イギリス紳士らしく?「ガーデニング!」とおっしゃいました。
花を見、葉が揺れたり、すれたりする音を聞き、花や葉に触れ、香りを嗅ぎ、そして、食することもできる。
また、花をトータルで扱うことで庭を作り、庭で風や雨や日の光を感じ、鳥や虫たちの声を聞き、
土の匂いを嗅ぎ、土を触る……最高のアートだと。ううっ、そうかぁ。

結局のところ、その教授がひいきにしているアーチストや作品はわからないままでした。
くらくらするような現代の抽象画も、戦いを鼓舞する絵も、宗教画も、わけのわからんオブジェも、
もちろん、ターナーもエルガーも、パンチ誌もアリスも、ブリティッシュアートを客観的に同じように教授してくださる姿勢に感銘を受けました。
下手な英文のレポートを真っ赤になるまで、添削してくださったことも含め、本当に受講できて幸せでした。
最後の授業は、ビートルズの音楽と詩。感謝。

●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●

3月12日

cover 写真は、「ツバメの谷」を含むアーサー・ランサム全集 全12巻

「ツバメの谷」
(アーサー・ランサム作・絵 神宮輝夫・訳 岩波書店)
≪……「間一髪だったわ。」とナンシイがいった。
「芝生のところへ行けば、まちがいなく見られていたわよ。」
「大おばさんたちは、芝生でなにをしているんだい?」と、ジョンがたずねた。
「大おばさんは、何かをステッキでさしては、ブラケットおばさんに見せてたよ。」
「たぶん、ヒナギクよ。」と、ナンシイがいった。
「ヒナギクのことでおかあさんをいじめるのよ。大おばさんは、むかしは芝生には
ヒナギクなんか全然なかったのに、今はたくさんあるっていってるの。
そして、お母さんを庭へつれていくたびに、ヒナギクの話をくりかえすのよ。」
「ヒナギクで?」と、ロジャが目をまるくしていった。……≫


バージニア・リー・バートンの絵本「ちいさいおうち」に、たくさん描かれ愛されている
ヒナギクも、大おばさんにかかっては、にっくきヒナギクのようです。
日本の芝生と違い、イギリスの芝生は冬でも枯れなくて、年中、薄緑のカーペットを敷いたみたいです。
夏はさすがに青々としています。そこにポツポツとヒナギクが現われるのは、許せない!?

このお話のシリーズは、イギリス湖水地方で実際に遊んでいた子どもたちがモデルになって、描かれました。
ここで、目を丸くしているロジャは、大きくなって、喘息等のお薬、インタールを開発します。
チョコレートが好きで、すぐにズボンのお尻を破っていたロジャが、博士になり、やがて、湖水地方で亡くなります。
私の手元に、「インタールの発見」という某製薬会社が刊行した研究記念誌があり、
その1ページ目には、博士が学生時代、休暇を過ごしたというキャプションつきで、
お話の舞台となったコニストン湖が写っています。
また、ツバメ号と同じ茶色の帆を繰る博士、お誕生パーティをコニストン湖の船の上で祝う博士などの写真なども掲載され、
ロジャの人生の大きな部分を、湖水地方が占めていることがわかります。

イギリスの湖水地方は、今、「ピーター・ラビットのおはなし」で有名になり、
近々、作者のベアトリクス・ポターの映画もできるらしいですから、
またまた、日本からのツアーも増えるでしょう。
確かに、ポターの住処だったヒルトップは、絵本そのままだし、そのあたりもピーターが居た頃と同じで、素晴らしいところです。
が、バスツアーで、どっと来て、ぱっとお土産買って、さっと帰っていくには、あまりに惜しいところです。
できることなら、湖周辺に宿を取り、朝早くか夕方、バスの帰った後、散策をすると、
ポターやロジャ博士が愛し、ランサムが描き、ワーズワスが歌った湖水地方の空気が吸えると思います。
もちろん、今でも茶色の帆を張ったヨットが帆走しているし、ピーターだけでなく、
アヒルのジマイマやネコのリビー、ジェレミー・フィッシャーどんにも会えます。大おばさんは、どうかな?

「ちいさいおうち」(バージニア・リー・バートン作 石井桃子・訳 岩波書店)
「ピーター・ラビットのおはなし」(ベアトリクス・ポター作・石井桃子訳 福音館)


●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●

3月10日

cover 「ハイジ」
(ヨハンナ・シュピリ文、上田真而子・訳 岩波少年文庫 矢川 澄子・訳、 福音館書店)

≪……気がつくと、お日さまが山のずっとむこうにしずみかけています。
ハイジはまた地面に腰をおろして、だまってあたりを見回しました。
青いつりがね草やみやまきんぽうげが金色の夕日に照り映えています。
どの草もみな、金を吹きかけられたようです。見あげる岩山もチラチラと光りはじめました。
とつぜん、ハイジはとびあがってさけびました。
「ペーター、ペーター! もえてる! もえてるわ! 山がみんなもえている!
雪の原っぱも、空ももえている! たいへんよ、見て! ねえ、見て! あの高い岩山が真っ赤よ!……」≫


ハイジは、うちの女の子たちと読んだとき、大泣きさせてしまった本の一つです。
ハイジが、アルプスを恋しがって病気になっていくところだったと思います。

「ハイジ詣で」にも行きました。
青いツリガネ草やミヤマキンプゲだけでなく、野生のシクラメンもあちこちに見かけました。
ハイジが駆け下りたと思われる斜面、
「山が燃えている!」とハイジを驚かせた高い岩の斜面、
目の前に広がるパノラマ風景に、心は思わず「私は、ハイジ!」。

中腹の休憩所兼土産物店には、なんとあのアニメーショングッズがたくさん売られていました。
アニメーション・ハイジでない「ハイジ」を、見つけるのも難しい……。

スイスに行っている間は、ずっとお天気に恵まれた幸運もあって、ランチは戸外で食べました。
アルプスの空気のせいか、旅の開放感からか、何でも美味しく食べられました。
まるで、ハイジのように。クララのように。
ともかく、毎昼、パンと水とサラミとリンゴと、空気と景色を食べておりました。
特に美味しく感じたのは、アイガー、メンヒ、ユングフラウの3山の並びを左手に見ながら、ハイキングをしたときです。
気に入ったので、翌日も同じコースを歩きました。
青空続きの、その翌日も。通常のイギリスびいきを、ついつい、忘れておりました。
そのコースは標高2000メートル付近です。
乳母車を押す若いお母さんとお父さん、やんちゃな小さな男の子たちを連れた家族、
ヘルパーに腕をとってもらいながらゆったり歩く老夫婦。
「一体、ここは、地上何メートル?」と、わからなくなるくらい平坦な道が続きます。
登山電車やロープウェイなどを乗り継ぐので、乳母車も可能なのです。

●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●

3月8日

「ナシの木とシラカバとメギの木」
(アロイス・カリジェ 文・絵 大塚勇三・訳 岩波書店)

≪……このメギの木は、春には、小さい黄色の花をさかせ、秋には、まっかな実をつけます。
でも、その実はとてもすっぱくて、だれもたべたがりません。
それにくねくねした、とげだらけの枝は、たき木にもなりません。
ええ、ナシの木や、りっぱなシラカバとくらべたら、この小さな、ひくい木は、
ただひっそりと立っている、役にもたたないような木のようです。
でも、ほんとうに役に立たないのでしょうか?……≫


「メギ(目木)」は、小鳥もとまれないような棘があるから和名はコトリトマラズといい、
目木と書くのは、煎じて目の薬に使ったらしいからのようです。
その棘だらけの木の茂みに、巣を作ったウグイス。
その棘のおかげで、ネコのニャオからもキツネのズルーからも守られます。

作者の「カリジェ詣で」をしたことがあります。
クールという街の、カリジェの絵を蒐集しているホテルに泊まりました。
部屋にも2枚、廊下にもたくさん、食堂にも、そして、ランチョンマットにも、カリジェの絵がありました。
生前のカリジェがレクチャーしているように見える写真も飾っていました。
そして、近くの美術館には原画もたくさん。
街の建物にも彼の筆とおぼしき壁画。
お菓子屋さんには、カリジェの絵のパッケージに入ったドライフルーツケーキ。おいしかった!

それで、カリジェの生家やお墓のあるトゥルンという村にも行きました。
通りに並ぶたくさんの建物にカリジェの壁画。
小学校のネームプレートにも、カリジェの描く花々。
体育館とおぼしき建物の壁には、東方の三賢人の絵。
ヤギたちの水飲み場も、近くの山々も絵本にでてくる それです。
そして、10分も歩けば、中心の通りを出てしまいますが、
通りの端には、地域のスルシルヴァン博物館があって、その3階にカリジェの原画や油絵。
夏場でも週におよそ3−4回、しかも午後少しだけ開館するという小さな博物館です。
1階には、カリジェ土産や地域のお土産が置かれています。
その壁の上に、一枚の写真……どこかの国のやんごとなき方が
バーゼルで子どもの本の講演なさったときに立ち寄られ、カリジェの絵に見入られているお写真でした。
子どもの本好きが、ここにも、お一人。

で、小さな博物館を堪能して、帰ろうとしたら、
たった一人の係のご婦人に、「時間があるの?」と聞かれました。
「すぐそばに、カリジェの墓があって、その前のお堂に彼の絵があるけど、見たくはない?」
……「見たい!」

というわけで、ほかに入場者もいないということで、そのご婦人は、博物館に鍵をかけ、
博物館の斜め前にある教会へ連れて行ってくれました。
で、おしゃれにデザインされたお墓を紹介してくれた後、お堂の鍵を開けてくれました。
教会の裏の小さな小さなお堂に飾ってあったのは、一枚の美しい聖母子像でした。
光の当たり具合もあり、後光がさしているその絵を拝ませていただくと、
不信心者の私も、思わず、敬虔な気持ちになりました。


↑スルシルヴァン美術館


↑カリジェのお墓

●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●

3月6日

cover 「まぼろしの白馬」
(エリザベス・グージ作 石井桃子・訳 岩波少年文庫)

≪……東がわの石がきには、戸があって、果樹園に出られるようになっていました。
ベンジャミン卿は、その戸口から、マリアに外をのぞかせ、くねくねとまがりくねり、
銀色のコケにおおわれたリンゴの木や、ナシや、サクラ、カリンの木などを見せてくれました。
菜園から馬屋の中庭にもどりながら、マリアは、
トンネルのような通路の左がわに天水おけがおいてあるのに気がつきました。
その上のほうに、格子のはまった小窓があり、その窓のなかには、
なみはずれた大輪の、サーモン・ピンクのゼラニウムの鉢が並んでいます。……≫


孤児のマリアがイギリスの古い領主館に引き取られ、内面的にも成長していくこの話。
昔、読んだとき、頭の中に“?????”と、ぐるぐる回っていたのは、ヘリオトロープ先生という名前です。

≪……そのひきだしには、ヘリオトロープ色(うすむらさき)のリボンのついた、
レースの肩掛けと室内帽子が、三個ずついれてありました。
肩掛けをたたんだあいだには、ラベンダーのにおい袋が三つ、入っていました。……≫


え? ヘリオトロープって、うすむらさき色の何?
ヘリオトロープ―ーどこかで聞いたことあるけど……うーん。うーん。
……分からなくて、気持ち悪い。
うーん、調べればいいものを、そのときはネット検索という便利なものもなく、そのままにしていました。

が、ある日、花屋さんのお店先で、『ヘリオトロープ』と書かれている花を見かけたときは、
ああ、ヘルオトロープ先生!
……奥ゆかしい紫です。いい香りです。

で、思い出しました。
夏目漱石の『三四郎』に、でてきたぞ。この香水。
今よりもっと、何もわかっていなかった若いとき、夏目漱石など読んだふりをして
……でも、気になった『ヘリオトロープ』という言葉。
三四郎の気持ち、美禰子の気持ち。匂いで心を表す。子どもには読めませんでした。この深さ。
大人になって、イギリスびいきになって夏目漱石の『倫敦塔』『薤露行』など一部読み返しました。
今度は、老眼鏡をかけて『三四郎』も読み直そうと思います。

●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●

3月4日

cover 「プークが丘の妖精パック」
(キプリング作 金原瑞人・三辺律子・訳 光文社古典新訳文庫)

≪§第三十軍団の百人隊長  「都市も玉座も権力も」
都市も玉座も権力も/<時>の前には無力だ/花ほどももたぬ/
毎日のように枯れていく花ほども/けれど、新しいつぼみがふくらみ/
新しい民を喜ばすように/かえりみられなくなった大地から/
再び都市は生まれでる/今年のスイセンは/知らないのだ/
前の年のスイセンが/どんな出来事や変化や寒さに倒れたのかを/
そして、何おそれることなく/何も知らぬまま/花を咲かせる七日間を/永遠と思うのだ/
////かくして、おせっかいな<時>は、/われわれの運命も定める/
スイセンと同じように盲目で/こわいもの知らず我々の運命を/
われわれが最期を迎え、/葬られたとき/闇の中で、疑うことなくこう言うように/
「われわれの作りしものは永遠だ!」≫


ダンとユーナの兄妹が、プークが丘で遊んでいて偶然呼び起こしたのが、妖精パックでした。
そして、二人の子どもたちは、パックが呼び出したブリテンの歴史上の人々と出会います。
が、パックは、そこで見聞きしたことを忘れさる魔法をかけます。
それは、オークの葉と、トネリコの葉、サンザシの葉の葉を噛ませたり、しのばせたりすることでした。
『英米文学植物民俗誌』には、母親が子どもに教える俗信として、
「オークに注意せよ、雷を呼ぶ。トネリコを避けよ。稲妻を誘う。サンザシに潜り込めば、危害を免れる。」とあります。
イギリスでは、身近にある木々なのですね。

この作品は2007年1月に日本に初めて紹介されたキプリングの作品で、ずっと、読んでみたかった1冊です。
というのは、2月14日に紹介したローズマリー・サトクリフのローマンブリテン3部作に大きな影響を与えた本だからです。
実際、サトクリフの自伝『思い出の青い丘』の中でも、作家自身がこう書いています。

「……とくに、キップリングの『プークが丘のパック』におさめられている
ローマ時代のブリテンについての三つのすばらしい物語は、(中略)
やがて、『第九軍団のワシ』の中に結晶したのでした。……」


『英米文学植物民俗誌』加藤憲市・著 富山房
『思い出の青い丘』ローズマリ・サトクリフ作 猪熊葉子・訳 岩波書店
『第九軍団のワシ』ローズマリ・サトクリフ作 猪熊葉子・訳 岩波書店


●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●

3月2日

cover 「トムは真夜中の庭で」
(フィリパ・ピアス作 高杉一郎・訳 スーザン・アインツッヒ挿絵 岩波書店)

≪――庭園がいちばんすきな季節は夏で、それも晴れわたった天候のときだった。
初夏には、芝生にある三日月型の花壇にまだヒヤシンスが咲き残っていた。
まるい花壇では、ニオイアラセイトウがさいていた。
やがてヒヤシンスがおじぎをして枯れ、ニオイアラセイトウも引き抜かれてしまうと、
今度はアラセイトウやエゾギクが、それにかわって花をひらいた。
温室の近くに、刈り込んであるツゲの茂みがあったが、その横腹はまるで大きな口のようにへこんでいた。
そのへこんだところには、咲きほこっているゼラニウムの鉢をぎっしりとつめてあった。
日時計の小径のあたりには、まっかなケシの花や、バラが咲いていた。
夏の日がくれると、サクラ草が小さな星々のように輝いた。
晩夏には、煉瓦塀のところにある西洋ナシが、人にとられないようにモスリンの袋でつつんであった。……≫


ああ、目に見えるような庭の描写が全編次々でてきて、どこを引用しようか決められない……。
作者のフィリパ・ピアスは、2006年暮れにお亡くなりになりました。
彼女の作品の中でも、特にこの「トム〜」は、傑作中の傑作ではないかと思います。
読者をぐいぐいと引き込むお話の力。何度読んでも、わくわくします。

主人公のトムが「これがイーリーの大聖堂の塔だ」と、大聖堂の絵葉書を出すところがあります。
はい、これ、真似しました。
確かにイーリーの大聖堂の塔は、高くそびえ、立派でした。
しかも、町の中心、小高いところにあるので、どこからも見えます。
だから、スケートをするシーンで目印になります。
≪……きゅうにハティが、さけび声をあげた。
「ほら、トム。イーリーの大聖堂の塔が見えるわ!」≫


イーリーまでの切符を買うとき、「イーリー」と言っても通じず、
「イーライ?」と聞かれ、スペリングを示し、やっと買えたのを思い出します。

イギリスでは、町の一番にぎやかな地域(ハイストリート)は、鉄道の駅から離れています。
たいてい、10分やそこいら歩かないと、一番にぎやかな通りに出ないのです。
駅の近くの方が、殺風景だったり、駐車場の大きなスーパーマーケットがあったりします。
イーリーも、丘を登るに連れ、風情の残る家並が増え、古い学校、大聖堂に、行き着くのです。
そして、よく覚えているのは、何軒かの古本屋さん。
「こんな小さな町なのに……」 と、何軒かのぞいてみました。
3人もお客が入ったら一杯の小さなお店の、
ドアについていたベルのカランカランという音、湿気た匂い、今も思い出すことができます。

●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●

2月28日

cover 「ダンデライオン」
(ドン・フリーマン作 アーサー・ビナード訳 福音館書店)
≪……たいようのひかりが ふりそそいできました。
ダンデライオンは ジェニファーさんのいえの かいだんに
こしをかけて たてがみが かわくまでまつことにしました。
ふとみると、かいだんのしたから たんぽぽが みっつ、かおをのぞかせています。
「ふきとばされなかったんだ」
ダンデライオンは、おもいたって、たんぽぽをつむと、
もういちど ベルを ならしてみました。≫


ティーパーティに招待されたライオンの名前はダンデライオン。
めかしこんで、手土産に花屋! でタンポポの花束を購入。
ところが、めかし込みすぎて、誰だかわかってもらえず、門前払い。
困り果てているとき、土砂降りの雨に風。それで、タンポポの花束はくたくた、おめかしも台無し……。

カンガルーのとこやさんの名前は「スペシャルー理髪店」。
おなかのポケットに、はさみや櫛、カーラーを入れて便利そう。
タンポポの花束を買うフラワーショップの名前は、「サバンナ」。
−花なんか咲いてない土地やん!
―最後、ダンデライオンが招き入れられた部屋で、キリンのジェニファーさんの頭に飾られているのは、
ダンデライオンの持参したタンポポの花。
ちなみに、キリンのジェニファーさんの仕事は???
文章にはない絵を見る楽しみ。
タンポポは、親しみやすい花です。種の綿毛も、吹き飛ばす楽しみがあり、子どもたちに人気です。
英語でタンポポのことをダンデライオン。
葉っぱのぎざぎざがライオンの歯に似ているところからフランス語でdent ?de-lion、その英語化でダンデライオン。
和名のタンポポは、種の丸い綿毛が「たんぽ:綿などを丸めて布や皮に包んだもの」
に似ていているところから、「たんぽ穂」。
他、名前の由来には諸説あるものの、お日様の子どものようなこの花と綿毛が、
昔から人々に愛されてきたのは、確かなことです。
殊に、子どものとき、花を摘んで首飾りやおままごとに使ったり、
綿毛を吹いたりして遊んだ思い出は、多くの人が持っているのでは?

川崎洋の詩「たんぽぽ」では、飛んでいくたんぽぽ一つ一つに呼びかけます。
「……おーい たぽんぽ おーい ぽぽんた おーい ぽんたぽ おーい ぽたぽん……」

「おーい ぽぽんた――声で読む日本の詩歌166」(福音館書店)

●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●

2月26日

「ドロミテの王子―イタリアに古くから伝わる民話より」
(トミー・デ・パオラ ゆあさふみえ・訳 ほるぷ出版)
≪あのドロミテの山なみをみてごらん。
いつだって、月の光のように、つめたくキラキラ かがやいているだろう?
それから、このおはなしには、おまけがあるんだ。
月の王さまが、まごたちにあいに地上におりてきたとき、
月にあるルシアひめの花園から、月にしかない花を おみやげにもってきたんだ。
王子たちは、サルヴァーニのこびとたちのしんせつをたたえて、
その花をドロミテの山やまの あちこちのいただきに 植えたのさ。
それいらい そのすてきな花が、このあたりの山やまいっぱい咲くようになったというわけだ」
おはなしのおじさんは にもつをせおうと、にっこりわらいました。
「いまじゃ、その花は、エーデルワイスとよばれているがね」……≫


この本を見るまで、北イタリアにドロミテアルプスと呼ばれる地方があるのを知りませんでした。

クリスマスのアドベント・エッセイでご紹介した「山のクリスマス」は、オーストリア側のチロルアルプス、
「ハイジ」は、スイスアルプスの話です。

多分、エーデルワイスにまつわるお話も、それぞれのアルプス地方によって、異なるのだと思いますが、
この「ドロミテの王子」はロマンチックなお話で、エーデルワイス以外の花もたくさん描かれています。
王子が姫に求婚するときには、いちばん美しいバラの花を携えていきますし、
姫の元気がなくなるところでは花さえ、しおれています。

歌の「エーデルワイス」は、映画「サウンドオブミュージック」でトラップ大佐が歌うのが印象的で、
一度、アルプスで咲くその姿を見てみたいものだと思っていました。
けれど、いまや、採取禁止になるくらい貴重な高山植物で、
節穴の目の私が行ったときは、見つけられませんでした。
でも私は! 実を言いますと、押し花を持っています。(あかん!あかん!)
アルプス中腹のお土産屋さんで、チロリアンテープを色々買ったのです。
そのとき、その店のおばあちゃんが、いたずらっぽい目で、引き出しから出して、「おまけ」にくれました。
ああ、かくして、貴重種はさらに貴重に……。
大事にします。
が、咲いていたら、間違いなく、白く銀色に輝いていたであろう可愛い星形の花は、寂しそうな薄緑です。
やっぱり、咲いているのにお目にかかりたいものです。
わがダンナは木曾駒ケ岳で見たとか……。うーん。

『山のクリスマス』(ルドウィヒ・ベーメルマンス作 光吉夏弥 訳・編 岩波書店)
『ハイジ』(ヨハンナ・シュピリ文、上田真而子・訳 岩波少年文庫)




↑写真は、アルプスと花々。花は、エーデルワイスではありません。

●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●

2月24日



「シェイクスピアの花園」
(シェイクスピア劇より ウォルター・クレイン画 マール社)
§ラッパズイセン
≪ツバメもまだ姿を見せぬうちに咲きだして その美しさで三月の風をとりこにする ダフォデル……≫


前回、前々回の擬人化された絵本のお手本のような美しい1冊です。
ウォルター・クレインは、コルデコット、グリーナウェイと並び称されるイギリスの古典絵本の作者です。
シェイクスピアの作品に出てくる花を描いています。
3月、シェイクスピアの生家にも、妻のアン・ハサウェイの実家にも、
ラッパズイセンが咲いておりました。
と、いうか、イギリス中で、3月はラッパズイセンの季節です。

シェイクスピア劇には、ロンドングローブ座で、一番初めに見た「間違いの喜劇」以来、はまってしまいました。
劇場中央は、青天井になっていて、その下は立見です。
安価ですが、雨の日は、傘をさせず、しゃがみこんでもいけないので、大変です。
たいていは、遠足や修学旅行風情の若い子達で、埋まっています。
私が、いつも持参するのは、小田島雄志訳の白水Uブックスです。
当時とそのままの台詞が舞台の上で演じられているものですから、
アナログ字幕みたいなもので、周りが笑っているのに、自分はポカン。ということもありません。
アドリブで会場との掛け合いも時々はあるのですが、それも、その場の雰囲気なので、理解できます。
こんな、時々しか聞き取れないようなリスニング能力でも、リピーターとなるくらい楽しい。何故か?
それは多分、そこに臨場感があるからです。
演じる人たちの、楽しそうな息遣い、が伝わってくるのです。
ネイティブならずとも、笑える。
ハムレットもリア王も、暗くて陰鬱なイメージだけだったら、しんどいなぁ。
などと贅沢なことを言っていたら、なんの、なんの、笑うところもある!
本を読んだだけなら、笑いの印象がなかったのに……
もちろん、暗く深いところは、そのままですが、ともかく観劇が楽しい。
1600年頃、グローブ座に足を運んだ人たちも同じように、
笑ったり泣いたりしたのだと思うと、なおさらうれしい。
もし、あなたが英語のリスニングに自信があるにしても、やはり日本語のほうが得意であるなら、
ロンドングローブ座に行かれるとき、白水社Uブックスを持参されることをお薦めします。
小田島雄志訳は、劇中でこそ生きてきます。

●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●

2月22日

cover 「花のうた」
(シャンナ・オーテルダール文 エルサ・ベスコフ絵 石井登志子・訳 文化出版局)

≪……ちびちゃんは 腕いっぱい 花をつんだ!
腕いっぱい 花を つんだ!
スミレ、ヒナギク、サクラソウ、スズラン、ミントの 緑の葉っぱや 茎までも。
エプロンに 花をうけとると すっかり うれしくなって、
なみだを わすれて にっこり にこにこ はればれと たのしそう。……≫


前回のクライドルフと画風が少し似ている、ベスコフの擬人化された花の絵本です。
ドイツで仕事をしたクライドルフとスェーデンのベスコフは、ほぼ同時代の人。
残念なことに、クライドルフの絵本が日本で出版され続けないのに比べて、
ベスコフの絵本は、たくさん翻訳され、出版され続けています。

二人のきれいな絵本に共通しているのが、自然の中で生きている花や虫への温かいまなざしです。
二人の作品には、よく、虫たちが登場します。
虫が苦手な人には、「ちょっと……」という人がいるかもしれませんが、
擬人化された虫たちも、なかなか愉快な動きを見せてくれます。

この「花のうた」を引っ張り出していると、20歳の娘が言いました。
「ベスコフの花の本言うたら、『おりこうなアニカ』に決まってるやん」
……確かに、お話にはほとんど関係ない小さなお花がどのページにも描かれていて、
アニカを可愛く彩っています。
タンポポやクローバー、野イチゴ……
そういえば、この「おりこうなアニカ」も彼女のお気に入りでした。
「おりこうな」という音が好きだったんだそうな。
なかなか自分には言って貰えなかった「おりこう」という言葉。
……もうちょっと、言ってあげとけばよかった。じゅうぶん「おりこう」だったのに。
ニコルソンの『かしこいビル』が好きだったのも同じ理由か?

『おりこうなアニカ』(エルサ・ベスコフ作 いしいとしこ・訳 福音館書店)
『かしこいビル』(ウィリアム・ニコルソン作 吉田新一・松岡享子 共訳 ペンギン社)


●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●

2月20日



「アルプスの花物語」
(エルンスト・クライドルフ作 矢川澄子・訳 童話屋)

§クロッカス
≪ながい真冬のねむりから よやくさめたクロッカス
枯れた芝生にたちあがり ねぼけまなこをこすってる
春の日ざしのあかるいこと 澄んだ空気のまぶしいこと!……≫


クライドルフは、他に「花のメルヘン」など、擬人化した「花」の絵本を何冊か書いています。
頭上に花が咲き、身体は茎や葉でできている妖精のようです。
弱弱しい体つきなのに、主張はしっかりといった風情の花々です。
リアルに描けているからこそ、より擬人化された花々が
本当のことのように思えるファンタジックな世界の広がり。

クライドルフは、スイスのベルン生まれの画家です。
ベルンーーこのスイスの首都は、白い頂のアルプス、アルプスの水を運ぶ川、
古く落ち着いた石造りの街、そして教会の尖塔……とても美しい街です。
そしてこの街には、ポール・クレーの美術館、ポール・クレーセンターがあります。
クレーの天使が好きな私としては、ここを逃すわけにはいきません。

クレーもベルン郊外の生まれなのです。
ヒットラーの弾圧や難病に侵されたクレーが、信じられないくらい優しい「天使」の絵を描き続けました。
最晩年の絵ですら、どこかユーモアが感じられます。
画家によっては、苦しさが伝わってくる絵を描く人もいます。
が、クレーの絵からは、そんな大変な半生を超えた崇高なものが伝わってきます。
テーマは重く、暗いものであっても、皮肉やユーモアに替えうるクレーの魅力。
彼の前半生については、音楽一家の子供で、自らも音楽家だったこと以外、
ほとんど知識がないに等しいですが、クレーの幼児期は幸せだったに違いないと、確信できます。
満足や喜びの蓄えが、たくさんあったに違いないのです。だから、見る人にも、喜びを分けてくれる。
天使の絵は谷川俊太郎さんの詩画集「クレーの天使」で、目にすることができます。
けれど、実際には、あんなに白い紙に書かれてはいません。なにしろ、わら半紙に次々描いた天使なのです。
だから、よけいに、原画を見ると、痛々しく感じます。それなのに、どの絵も楽しい。
彼の絵を見ると、口元がほころび、芸術の歓びのただ中にいる自分が居ます。



●同じ画家の関連本●
「花のメルヘン」

(エルンスト・クライドルフ)
復刻 世界の絵本館 ベルリン・コレクションより


●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●

2月18日

「くんちゃんのはじめてのがっこう」
(ドロシー・マリノ作 まさきるりこ・訳 ペンギン社)

≪……せんせいが まわってきたとき、くんちゃんが いちばんたくさんかいていました。
「とても よくできましたね、くんちゃん。」
と せんせいはいいました。
がっこうがおわると、くんちゃんは じぶんのかいたえを うちへもってかえって、
おとうさんとおかあさんに みせました。
つぎのあさ、くんちゃんは とっても はやくおきました。
にわにでて、ひまわりを うでいっぱいつむと、くんちゃんは いいました。
「これ、がっこうへ もっていって せんせいにあげるんだ。」……≫


この絵本にも、子どものことをよく理解している先生や大人が登場します。
新入生のくんちゃんは、学校に行くのがうれしいけれども、とても緊張しています。
その心をほぐし、優しく声かけをする先生。
ああ、また昔の新米教員時代を思い出します。

最初の見開きの絵で、くんちゃんのお父さん、お母さんが、
くんちゃんの入学を楽しみにしている様子がわかります。
もちろん、くんちゃんも小走りです。
くんちゃんのお父さん、この人にも、いつも感心していました。
同じシリーズの「くんちゃんのだいりょこう」で、遠出をしようとするくんちゃんを
心配するお母さんぐまに、お父さんは「やらせてみなさい」と一言。
やってみようとするくんちゃんには、「かえり道の目印をわすれないように」と一言。
「あれ、しちゃだめ。これも だめ。」「これやりなさい。」「早くしなさい。」
子どもを信じる力の足りない母親は、ついつい……。

実は、文章には一言も書かれていませんが、
くんちゃんのいとこ・アレックも、いつもくんちゃんのことを気遣っています。
後方に座るくんちゃんの方を振り返ったり、くんちゃんが座る椅子を用意したり、
絵を描いているくんちゃんのそばの窓をわざわざ、開閉に行ったり……。
絵本の楽しみは、文字に書かれていない絵のメッセージを読み取ることにも、あります。
文字の読めない子どもたちは、その幸せな絵本タイムに、絵を見て心を躍らせます。

cover ●同じ画家の関連本●
「くんちゃんのだいりょこう」
(ドロシー・マリノ作)
石井桃子・訳
¥1050

出版社: 岩波書店(86年)
画像をクリックしていただくと、amazon.co.jpでご購入になれます。


●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●

2月16日

cover 「はなのすきなうし」
(マンロー・リーフ作 ロバート・ローソン絵 光吉夏弥・訳 岩波書店)

≪……ふえるじなんどは この木がすきで、一日中 こかげにすわって、花のにおいをかいでいました。
ふえるじなんどのおかあさんは、ときどき、むすこのことがしんぱいになりました。
ひとりぽっちで さびしくはないのかしらと、おもうのでした。
「どうして、おまえは ほかのこどもたちといっしょに、とんだり、はねたりして あそばないの?」
と、おかあさんはききました。
けれども、ふえるじなんどは あたまをふって、いいました。
「ぼくは こうして ひとり、花のにおいをかいでいるほうが、すきなんです。」
そこで、おかあさんには、ふえるじなんどが、さびしがっていないことが わかりました。
−うしとはいうものの、よくもののわかったおかあさんだったので、
ふえるじなんどのすきなように しておいてやりました。……≫


子どもたちにこの絵本を読む度、
“ああ、こんな大きな懐のお母さんになりたい!”
と、よく思ったものでした。

表紙の絵が少々とぼけています。中身もとぼけています。
昔、子どもの頃、この絵本を見たとき、「コルク」って、こういう風に木の実のようにできるんや。
と、物知りになったような気がしていました。
子どもっていうのは、お酒の栓やワインのコルク、ビールの王冠の収集が好きですから、
こんなに、たわわになるのは、垂涎ものです。
が、ほんまに、こんなワインの栓さながらに、コルクって実るん?????
ちがいます! “コルクの木”というのは実際あるにはあるのですが、
木の実のようになるのではなく、いわゆる樹皮から、成型していくのでした。

ま、ともかく、花に囲まれうっとりとした表情のフェルジナンド、
女の人たちの花の匂いを満足そうな表情で嗅いでいるフェルジナンド、
連れ戻される荷車の上で、「はあ」という表情のフェルジナンド。
母を励ます1冊であるだけでなく、一人でいるのが好きな子も大好きな1冊でした。

●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●

2月14日

「運命の騎士」
(ローズマリ・サトクリフ 作 チャールズ・キーピング 絵 猪熊葉子・訳 岩波書店)

≪……ギセラはからだをまげ、奥方アーナーのはさみで、マンネンロウのしげみの真中から
小枝を一本切りとった―やっと花がひらいていたのはその花だけだった―ー
そしてそれをランダルに差し出した。
「さあ、これを受け取ってちょうだい。」
ギセラはうわごとでもいうようにいった。
「あなたは戦いにいくんですもの―だれかが何かをあげるのはいいことだわ、戦いにもっていくのにね。」
ランダルは、少女からその枝を受け取った。
そして立ったままそれを眺めた。まるでこれまでマンネンロウの花をみたことがないような態度で。
その花のかたちも、もろい花弁のかすかな、洗われたような青い色も、細長い葉の銀緑色も、
これまでみたことがなかったかのように、ランダルは指のあいだから
たちのぼってくる乾いたかぐわしい匂いを吸い込んだ。……≫


マンネンロウ……ローズマリーの和名です。作者と同じ名前の花。
大人になってから、サトクリフに出会いました。
サトクリフに出会って、今までの歴史の勉強って何だったの? と目からうろこでした。
年号や王様や戦いの羅列でなく、そこに生きた人が居た!
私たちと同じように、笑い、泣き、怒り、嘆き、恋をして、家族を愛した一人ひとりが居たんだ!
こんな、当たり前のことが、受験勉強の歴史ではわからなかった。なさけない……
色、香り、手触り……五感に訴える一つの花の演出効果。
しかも、マンネンロウ自体にも、話の中核を担う意味が。

≪……この木は、昔から記憶(memory, remembrance)の象徴とされ、
トーマス・モアは、記憶、ひいては友情を忘れぬための大切な植物だからとし、
ハムレットのオフィーリアは「これはわすれな草のマンネンロウ。
どうぞ、あなた、お忘れなく」と象徴的にいう。≫
【『英米文学植物民俗誌』加藤憲一著 富山房)より抜粋。】


犬飼いの孤児ランダルが騎士になる発端となった、イチジクを落とす場所に、行ってみたくて、
アランデル城に行ったことがあります。
「英国万歳」という映画にも使われていましたが、とても優美なお城です。
また、ランダルと一体感を味わいたくて、スティニングやブランバーなど、
地名の出てくるところに足を運びました。
「ブランバー城跡など、ただの土饅頭に過ぎない」
と、イギリスの友人に笑われながらも……行きました。
それで、
「さあ、むこうの谷をのぼったところだ。あそこがディーンだ。
おまえの家だよ。ランダル。」
と、言ってみました。
向こうに広がるサセックスのダウンズ(丘陵)は、サトクリフの作品だけでなく、
エリナー・ファージョンの作品の舞台でもありました。

cover ●同じ画家の関連本●
太陽の戦士
(ローズマリ・サトクリフ 作 チャールズ・キーピング 絵)
猪熊葉子・訳
¥2520

出版社: 岩波書店(2000年)
画像をクリックしていただくと、amazon.co.jpでご購入になれます。


●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●

2月12日

「ふしぎな森の人形たち」
(エドアルド・ペチシカ作 ヘレナ・ズマトリーコーバー絵 井出弘子訳 童心社)

≪……そして小馬は、くんくんと青い花のにおいをかぎました。
ちょっとなめてみて、それから、ちょっとひっぱると、ぱくぱくたべはじめました。
なんておいしいんでしょう。そのおいしさといったら、ことばでいうことができないほどです。
小馬は、青い花を、一つぱくり、二つぱくりとたべつづけ、もうやめることができません。
そのうちに、だんだん目があけていられなくなってきました。
とおくのほうから、きもちにいい音楽がきこえてきます。
(ほんのちょっと、やすむだけさ。)……≫


チェコのお話です。
チェコの絵本は、国の大きさからするとたくさん日本に紹介されていると思います。
けれど、愉快な絵本、きれいな絵本が多いのにも関わらず、日本で売れ続けないのか、
すぐに手に入らなくなってしまうのが残念です。

20歳の娘は、小さい頃、この「ふしぎな森の人形たち」を“ひいき”にしていた時期がありました。
それで、今も、この青い花を馬が食べたところをよく覚えていて、
今回、「花」をテーマに文を書くと言ったら、推薦してくれたのでした。
彼女の記憶では、馬が青い花を食べたら、元気になって、飛び上がった絵があった……
“カシュパーレク”という名前の音が耳に残っている……でした。
が、実際には、馬が青い花を食べたら、眠ってしまい、飛び上がるのではなく眠りこけるのですが、
そのページと、最後近くのページには、元気のいい馬にカシュパーレクが乗っている絵があります。
絵の印象が、お話の印象も左右しているのです。

反対に、お話が絵の印象を左右することもあります。
あるところで、白黒だけで描かれている「ひゃくまんびきのねこ」
(ガアグ作 石井桃子・訳 福音館書店)を紹介したら、
「この本って、私の子どもの頃から、白黒の本?
確か、茶色のネコとか、黄色いネコとか、
いろんな色で描かれていませんでしたか?」
と、おっしゃった方がいました。

だから、絵本は面白いし、いい加減な仕事じゃ困るのですよね。
一枚の絵が、一つのお話が、人の想像力を刺激する。


cover ●同じ画家の関連本●
ぼくだってできるさ!
エドアルド・ペチシカ作 ヘレナ・ズマトリーコーバー絵
むらかみけんた・訳
¥1575

出版社: 冨山房インターナショナル(2005年)
画像をクリックしていただくと、amazon.co.jpでご購入になれます。


●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●

2月10日

cover 「クマのプーさん プー横丁にたった家」
(A.A.ミルン文 E.シェパード絵 石井桃子・訳 岩波書店)

≪……コブタは、その朝、スミレの花たばを作ろうと思って早起きをしたのでした。
そして、スミレをつんで、家のまん中にあるつぼにさしたのですが、そのとき、きゅうに、
だれもイーヨーにスミレの花たばをつくってやった者などいない、ということに気がつきました。
そうして、このことについて考えれば考えるほど、だれにもスミレの花たばをもらったことのない
動物なんて、なんてかわいそうなんだろう、という気持ちになってしまいました。
そこで、コブタは、また大急ぎで外へかけだすと、わすれないように―どうもわすれそうな日だったのです―
「イーヨー、スミレ、スミレ、イーヨー」と、いいながら、大きな花たばを作りました。
そして、とてもたのしい気もちで、その花のにおいをかぎかぎ、
イーヨーの住んでいる場所まで、トコトコやってきました。……≫


コブタって、やっぱり心優しい人です。
「スミレ」は、優しい香りのするものと、匂いのほとんどないものとがあるようですが、
甘い「スミレ」の香りが風に乗って運ばれてくると、春だなぁと思います。

ちなみに、私の住んでいる街の市花は「スミレ」です。
マンホールのふたに、「スミレ」の はぁなぁ♪が鋳造されています。

プーの舞台になったアッシュダウンフォレストには、スミレのほか、
トラーの嫌いなアザミ、黄色いハリエニシダも、挿絵に多く登場しています。

私がアッシュダウンフォレストに行った目的は、もちろん「プー棒なげ」をするためでした。
が、朝早い散歩にも関わらず、橋の周りには、木切れの破片すら落ちていません。
みんな、同じことするんだねぇ
……それでも、やっと、見つけた木切れで、「プー棒なげ」をやったときの楽しかったこと!

うちの子どもたちが小さかった頃、当時の家に隣接していた公園の小川で、よく「プー棒なげ」をして遊びました。
母である私は、その代表選手として、本場で「プー棒なげ」をしたというわけです。

●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●

2月8日

cover 「ポケットのたからもの」
(レベッカ・コーディル文 エバリン・ネス絵 三木卓 訳 リブリオ出版 2000年 あかね書房 1977年)

≪……おかのこみちから見おろすと、シモツケソウがはえていました。
せいのたかいくきに、大きなももいろのかんむりのような花がさいていて、ゆれています。
くきとくきのあいだに巣をはっている、はいいろのクモは、ねむっています。
きいろいチョウがやってきて、ももいろの花のみつをすいます。
チョウは、いくども、はねをひらいたりとじたりしています。
ジェイは、たちどまって、それをじっと見つめていました。≫


ここでは、「シモツケソウ」の紹介を簡単にわかりやすく書いていると思います。
それでも、「シモツケソウ」を思い出せない人は、エバリン・ネスの絵を見れば、
“ああ、野山で見たことある…”ということになるかもしれません。

「ポケットのたからもの」には、私自身のちょっと苦い思い出があります。

私が、小学校の新米教師だったとき、1年生を担任しました。
そのクラスに、2学期に転校してきた女の子が居ました。
色白の、眼の大きな可愛い女の子でした。その子は、本が好きでした。
図書の時間、その子がそっと近寄ってきて、この「ポケットのたからもの」を差し出し
「せんせい、この本おもしろいから読んで。」と言いました。
新米で余裕のない私は、いい加減な返事をしたと思います。
「ふーん、おもしろいん? 今度読むね。ありがとう」
次の図書の時間にも、
「せんせい、この本読んだ?」
「あ、忘れとった。こんどね」……
そのあと、私は事情があって退職してしまいました。

月日は流れ、書店の店頭で、出版社が変わって復刊されたこの「ポケットのたからもの」を目にしました。
「ん? どこかで見たぞ、この本」
…………「あ、あの子が読んで、言うてた本!」
今度は、読んでみました。いい話じゃないですか!
この本を薦めてくれた彼女は、当時ご両親が離婚されたばかりで、
お母さんとお兄ちゃんとでおばあちゃんの家に引っ越してきたのです。
転校してきたばかりの頃は、大きな瞳が一段と大きくおびえていたような印象でしたが、
持ち前の明るさからか、すぐ、友達もでき、新しい暮らしになじんでいるように思えました。
が、まだまだ寂しかったそんな時期に、私はなんてことを!

彼女の小さい心を代弁しているかのような主人公のジェイ。
……それに、いい先生が描かれている
……ちゃんと、小さい人たちの心を読み取れる確かな先生。
……うーん。もう遅い……ごめんなさい。

ところがです。
その後、成人し、名刺をくれるまでに成長した彼女に出会ったのです。
それは、ある幼稚園の園長室でした。
幼稚園のお母さんたちに絵本の話をした後、
話を後方で聞いてくれていたらしい彼女が園長室に入ってきました。
当時担任だったクラスにいたあの彼女です。
甥っ子ーーつまり彼女のお兄さんの子どもが通う幼稚園だったようです。
そして、もう一人、同じクラスにいた子が一緒に来ていました。
一気に噴出す思い出話。

幼稚園を出て、帰りの道すがら、彼女に「ポケットのたからもの」の件をわび、
「いいお話だね。」というと、彼女は、「そんなこと言いましたかぁ」と、
あの大きな瞳をさらにまん丸くして、笑いました。
そして、帰りの電車の中、私たち3人は、私が持参していた絵本を、頭を寄せ合い、楽しんだのです。

●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●

2月6日

「うえきやのくまさん」
(フィービ・ウォージントンとジョーン・ウォージントン作・絵
まさきるりこ・訳 福音館書店)

≪……2じになると、くまさんは、スコップとくまでを ておしぐるまに つみこんで、
じぶんのいえのはたけに でかけました。ぎぃー がたん、ぎぃー がたん!
にんじんをすこしと、じゃがいもを すこし、キャベツも すこし とりました。
それから、はなを すこし つみました。≫


この引用の文のページの絵には、真面目に働く くまさん。
突き立てられたシャベルの上のコマドリ
……そうです!
「ピーター・ラビットのおはなし」(ベアトリクス・ポター作 石井桃子・訳 福音館)にも、
食べ過ぎているピーターのそばのシャベルの上にコマドリが!

くまさんは、かきねの刈り込みもします。
くまさんが刈り込んだ鳥の形の木は、ラブリーです。
イギリス人は、木をいろんな形に刈り込むトピアリーがお好きなようで、
鳥や動物の形、円錐形や段々重ねに刈り込んだ木、トンネルのように
仕立てた生垣の出入り口は、手入れのいい庭園で、よく見かけます。
日本人も、松をきれいに刈り込みますが、さすがに何かの形というわけではないですよね。

それから、くまさんの「お11時」は、おとなりのおくさんにもらったビスケットとレモネードですが、
くまさんのすわる頭上には、「キングサリ」が見事に咲いています。
フジに似たとってもいいにおいの黄色い花です。
グラジオラスやホリホック(タチアオイ)も色とりどりに咲いています。

さて、クリスマスのアドベントエッセイにもご紹介した「くまさん」ですが、
あのとき、お尋ねしたくまさんの就寝時間について、ちゃんと確認していただけましたか?


cover ●同じ画家の関連本●
せきたんやのくまさん
フィービ・ウォージントン セルビ・ウォージントン
石井桃子・訳
¥945

出版社: 福音館書店(87年)
画像をクリックしていただくと、amazon.co.jpでご購入になれます。


●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●

2月4日 立春

cover←画像は英語版です。

しろいゆき あかるいゆき
(アルビン・トレッセルト文 江國 香織・訳 ロジャー・デュボアザン絵 ブック・ローン出版)

≪……ゆうびんやさんは あかるいひざしを たのしみながら、のんびり はいたつをしました。
おひゃくしょうさんは うしたちを このふゆ はじめて まえにわに だしてやりました。
かぜもよくなりましたから、おまわりさんは けいぼうを ぶらぶらしながら こうえんをあるきます。
おくさんは ライラックのしげみあたりを ほりかえし、スノードロップやクロッカスを みつけます。
うさぎたちは いちにちじゅう、あたたかなじめんのうえを はねまわって すごします。
はるがきた、と、そのとし さいしょのこまどりが、こどもたちにいいました。≫


うちにも、スノードロップを庭の隅っこに植えています。
土との相性のせいか、手入れが行き届かないためか、増えるということはありません。
でも、毎年、クリスマス頃にひっそりと咲いてくれます。

3月に群生しているスノードロップを見たのは、イギリス、コッツウォルズの教会裏手でした。
たくさんのバラも枝しかなく、他の木々も枯れたようになっている庭の草の上、
「今、咲けるのは、私たちだけ!」と言いたげに、可愛く咲いておりました。
そして、絵本のように、コマドリも登場! つぶらな瞳に、赤い服もお似合いでした。

イギリスでは、コマドリをよく見かけます。
結構、人のそばにも寄ってくる人懐っこい小鳥です。
手を伸ばせば届きそうな木の枝で得意げにさえずっていたり、
庭園でお茶を飲んでいたら、隣の椅子の背にとまったり、
ファージョンのお墓探しをしていたら、後ろからついてきたり……。

ところで、日本では、春の訪れを告げるのはウグイスですね。
ウグイスも春の初めの頃の鳴き方は、本当に下手だと思います。
いわゆる「ホーホケキョ」と聞こえるまでには、
「ホーキョキョ」とか「ホーケキョケキョ」など、結構、練習しています。



●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●



古本 海ねこ トップページへ戻る