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三重吉全作集 |
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目にも手にも優しいクロス装(布貼り)の表紙が好きです。
ここでご紹介した『鈴木三重吉全作集』(全13巻)は、
「赤い鳥《に先だち、1915年(大正4年)から1916年(大正5年)に出版されたものです。
背字・夏目漱石。1冊1冊、異なる柄で、木版装の布貼り。
装画・津田青楓 高野正哉 木版・伊上凡骨 大倉反兵衛によるものですが、手がかかっています。
小口の天は金箔。なんという贅沢さ。1点1点が小さな芸術品のようです。
鈴木三重吉、1882年(明治15年)~1936年(明治15年)。広島市生まれ。
東京帝国大学(現・東京大学)在学中、神経衰弱と胃病に苦しみます。
しかしながら、病気療養のため訪れた先での体験をもとに書き上げた短編小説「千鳥《を夏目漱石が絶賛。
高浜虚子の「ホトトギス《に掲載され、小説家としてのデビュー作となります。
三重吉は期待の新鋭として脚光を浴び、漱石門下の中心として活躍し続けますが、1915年(大正4年)いったん筆を折ります。
翌1916年(大正5年)、長女すずのため童話を書き始め、同年の童話集「湖水の女《ほか次々に児童文学を発表します。
小説家としての行き詰まりを自覚し、児童文学に自らの進むべき道を見いだしていくのです。
1918年(大正7年)、森鴎外ら当時の主要作家の賛同を得て一流の作家を執筆陣とし、童話・童謡誌「赤い鳥《を創刊。
世間の小さな人たちのために、芸術として真価ある純麗な童話と童謡を創作する最初の運動を
ーーという三重吉の大いなる抱負が、「赤い鳥《に体現されました。
三重吉はもちろん、芥川龍之介や有島武郎、北原白秋らが傑作を次々と発表。
小川未明、浜田広介、新美南吉ら子供のための芸術家を多数輩出し、
芸術性の高い童話がたくさん生まれました。
「赤い鳥《は日本における、童話童謡の興隆に多大の業績を残しました。
三重吉は終生、「赤い鳥《の編集・経営に敏腕をふるい、1936年、三重吉の死によって「赤い鳥《は休刊します。
小説家としての三重吉は、「三重吉全作集《に全人生と全財産を投じました。
しかしながら、この全集を出したことによって多大な負債を抱え込むことになりました。
その穴を埋めるため、かねてから構想があった世界童話集の発行に着手。
「湖水の女《から始まって1917年から1923年、春陽堂から「世界童話集《全20巻を出版しますが、
それらが「赤い鳥《創刊への足がかりとなったと、
三重吉はのちに言っています(1928年「現代日本文学全集《33巻)。
三重吉の転機とも言える全集です。
三重吉が小説家生命をかけてつくりあげた本作は、よほど買ってほしかったのではないでしょうか。
ひじょうに贅沢なつくりであるにもかかわらず、切ない思いが伝わってくるほどに可憐で繊細な装丁です。
造本がしっかりしていて、90年を経ているとは感じさせないほど製本イタミはさほどありません。
頑丈な函に這入っているため、本体のシミ・ヤケも少なめ。
本文はいずれの見開きも、上品な朱色の枠でくくられています。活字が美しく、文字が大きめで読みやすいです。
著作集発行者 鈴木三重吉 発行所は「鈴木三重吉方《となっていて、代々木の住所が入っています。
ページをめくり、大正の時代、そして三重吉に思いをはせてみませんか。
ハードカバー コンパクトな文庫サイズ 天地 15.5センチ×左右 10.7センチ
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