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エッセイ「庭とバラの日々」

風薫る5月。花咲き乱れるこの季節にふさわしい珠玉のエッセイをどうぞ。
5月1日から5月15日まで、毎日、連載予定です。


文・写真/カーネーション・リリー・リリー・ローズ

神戸出身、関西在住。
子どもの本と絵本とチョコレートとバラををこよなく愛する、
未公認無認可イギリスびいきの会の一員。

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5月15日

「心の宝箱にしまう15のファンタジー」
(ジェーン・エイキン文 三辺律子・絵 竹書房)

§真夜中のバラ§
≪……それは、白バラでした。あとからみんながそう言いました。
けれども、みんなの意見が一致したのは、そのことだけでした。
ほかのことについては、みんなの記憶はすべてばらばらでした。
大きさはどうだったのでしょう?
ある人は、部屋をうめつくすほど大きかったと言い、
また別の人は、とても小さくてにぎりこぶしほどしかなかった、と言いました。
花びらはすきとおっていましたが、一枚一枚はっきりと目で見ることができました。
まるで写真のネガのような感じです。
花の落とす影は光の影で、ほかの物のようにやみの影ではありませんでした。
香りは? 学校中がその光の影と香りに満たされました。 では、どんな香りだったのでしょう? リンゴ? キュウリ? それともライラック? スミレ?
いいえ、そのどれともちがいました。この世には存在しない香りなのに、けっして忘れられない、
そういった香りでした。優美な網目模様の葉も、花に負けず劣らず美しいものでした。……≫


村中の人たちが言い伝えてきた秘密のバラが、学校の床板と床板との間から咲きました。
今の日本なら、「ド根性バラ」とでもネーミングされそうですが、
ここでは、あくまでも言い伝えられてきた謎のバラです。

どんな香りだったかの表現に、リンゴ? キュウリ? ライラック? スミレ? とあります。
リンゴもライラックもスミレも理解できます。
が、なんでキュウリ???
ここは、キュウリと訳されてはいますが、もう少しかぼちゃに近いキュカンバーのことでしょう。
それにしても、町育ちが知っているキュウリの花は、家庭栽培くらいのもので、香りに気づくほどではないのです。
てっきり、あの黄色い薄っぺらな花は香りがないものと思い込んでいました。
しかし、検索するとキュウリのハウス農家のページなどで、
「むっとするくらいのいい香り」とあります。
へー、そうなんだぁ。

香りのイメージのことで、他にも、気になって調べたことがあります。
一つは、サトクリフの「ともしびをかかげて」で、琥珀の香りをかぐシーンです。
≪……ふたりは、花びらのように美しくかろやかなうすい上着を室内着の上にはおっているだけだった。
ひとりは遅咲きの白いバラをかかえており,もうひとりは手にした琥珀の珠の香りをかいでいた。
……女たちが琥珀の珠を手にし,そのかすかな香りを楽しみながら歩いている……≫


琥珀の香り????
私たちがよく目にする琥珀(アンバー)は、宝石のように磨かれた黄色い、あるいは黄褐色の樹脂などの化石です。
で、ロンドンのアンティークマーケットなどで、じかに手に出来るときは、鼻に近づけ、
匂いをかいでみましたが、香りなんかありません。
透明な琥珀の中に何か、小さな虫やなんかが入っているのは見えるのですが、
香りなんてありません。うーむ。

『シェイクスピアのハーブ』という本にこんな説明がありました。
≪……アンバーグリス(竜涎香)は、抹香鯨の体内に分泌される灰色の琥珀と呼ばれるもの。
シェイクスピアの時代の英国では、香り手袋初め香り小物の材料に使われ、持続性のある甘い香りである。
アンバーグリスは、アンバーと略される。
したがって、アンバーは、本来のアンバー(琥珀)であったり、
樹木からとる液体アンバーなる香料のことを示すこともあったりして、アンバーが出てきたら要注意≫

とあります。つまり、私が思い描いた、黄色い琥珀じゃないようでした。

もう一つは、テニスンの「イン・メモリアム」のカーネーションです。
≪……可愛がる人が、ゐなくなつても、日葵は
炎のやうにきらきら光つて 圓い花盤の種を蒔き、
咲き亂れるカーネーションの眞赤な花は、
蜜蜂の羽音も忙しい眞夏の空に香りを送る。……≫


カーネーションの香り??? 母の日の赤いカーネーションに香りなんてあった? うーむ。
『シェイクスピアのハーブ』に、こう書いてありました。
≪クローブによく似た強い香り。
現代の園芸種のカーネーションは香りの弱いものが多い≫


うーん、納得。

というわけで、サージェントの描いた「カーネーション・リリー・リリー・ローズ」の絵は、
むせ返るような香りも届けてくれる絵画というわけなのです。

●関連本●
「シェイクスピアのハーブ」
(熊井明子・著 誠文堂新光社)
「ともしびをかかげて」
(ローズマリ・サトクリフ 猪熊葉子・訳 岩波書店)
「イン・メモリアム」
(テニスン 入江直祐・訳 岩波文庫)

↓筆者宅で咲き誇るバラ。最新の画像です。






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5月14日

cover 「続・子どもの詩の園」A Child's Garden of Verses
(ロバート・ルイス・スティーヴンスン詩 よしだみどり・訳絵 白石書店)

§花々の森§
≪乳母に教えてもらった花の名前
庭師の靴下留め(シマクサヨシ)
羊飼いのがま口(ペンペングサ)
独身者の不精ボタン(ヤグルマギク)
貴婦人の下着(ハナタネツケバナ)
ホリホック侯爵夫人(タチアオイ)

妖精の棲家
妖精にふさわしいものたち
騒々しい蜂が飛び交う妖精の森には
小さな花の貴婦人のための
小さな小さな木々
きっとこの花の名前は
妖精たちの名前にちがいない!

ちいさな森の木陰で 妖精たちは
蔓で編んで家をつくる
勇敢な妖精たちが 登る茎のてっぺんには
バラやタイム(ジャコウソウ)の花が咲いている!

大人たちのための樹々の森は
みごとだけれど
一番美しい森は この花々の森
もしも私が こんなに背が高くなければ
私は この花の森に
永久にすむだろう≫


『宝島』で有名なスティーヴンスンの詩集です。
スティーヴンスンは、『宝島』『ジキル博士とハイド氏』『二つの薔薇』などの作者であるイメージから、
この花の名前の続く詩のイメージと重なりにくい感じがします。
が、この『子どもの詩の園(正・続)』を読むと、
子どもの空想の世界の広がりが無限であることを思い出します。
ウィルコックス‐スミスはじめ、チャールズ・ロビンソン、ル・メア、
ターシャ・チュダー、デュボアザン等々、数々の画家がこの詩集の絵を担当しているようですが、
まだまだ、実物を見たことがないものが多く、
いつか、それぞれの画家のイメージの相違を比べて楽しみたいものだと思います。

翻訳された『宝島』は、比べ読みしたことがあります。
なかでも、亀山龍樹氏の訳が一番楽しい!
海賊たちが、そばに立ちわめいているような臨場感。
そして、片足のシルバーがなんと、生き生きとしていることか。
昔、亀山龍樹訳でワイエスの挿絵という「宝島」が学研から出ていましたが、
翻訳「宝島」では、最強の組み合わせかと思います。
学研の印刷では、少々その迫力にかけますが、N.C.ワイエスの絵の素晴らしいこと!
実際、洋書のN.C.ワイエスの挿絵は、すごーい!
本を開いた見返しに描かれた海賊たち、鬼気迫る顔つきで上陸。
明るい月夜の下、目の見えないピューの暗い孤独……。むむむ。
J.デップも『宝島』を読み、N.C.ワイエスの絵を見て、海賊の研究したのなら、ちょっとうれしい♪♪♪

●関連本●
「宝島」
(亀山龍樹・訳 講談社フォア文庫)(N.C.ワイエス画 学研)
「ジキル博士とハイド氏」
(海保眞夫・訳 岩波文庫)
「二つの薔薇」
(中村徳三郎・訳 岩波文庫)

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5月13日

「マミンカ」
(J.サイフェルト詩 イジー・トゥルンカ絵 飯島周・訳 佐佐木幸綱・監修 恒文社)
「花むすめのうた」
(フランチシェク・フルビーン作 イジー・トゥルンカ絵 千野栄一・訳 ほるぷ出版)

§かあさんの花たば§
≪大きくてぼくのひざにあまった
ビロード張りの家族アルバム
キューピッドがいっぱいのページには
かあさんの古い写真がある

純白のヴェール 裾長のドレスをまとい
テーブルわきにかばうように立つ
黒い民族服を着たとうさんの
その顔をじっと見あげている
婚礼 花たば お祝いの客たち
ダンス 金の結婚指輪!
リボンで結んだばらの花たばを
かあさんは感情をこめて抱きしめる
……≫
(「マミンカ」より)

この詩。
詩を書いたサイフェルトがチェコの国民的文学者でノーベル文学賞受賞者であること等、
つゆしらず、トゥルンカの優しい挿絵にひかれ、今この詩集は手元にあります。
幼い頃のお母さんの思い出を中心に、素朴に詠っている詩集です。
いつか、パウル・クレーのことを書いたときもそうでしたが、
このサイフェルトも幼い頃、大事に愛されて育ったに違いないと思います。
クレーもサイフェルトも時代の波を存分にかぶりながらも、
耐え得る根の深さは、幼い頃に培われたものだと思います。
上記の詩の最後は≪・・・今なお 新鮮なばらが香っている≫です。
今なお、幼い頃の記憶が身近に感じられるというのは、
その記憶が今までずっと、その人の大きな支えであったということなのでしょう。

そして、絵。
優しく温かいこの絵は、トゥルンカの手によるものです。
挿絵、人形作り、舞台芸術、動画、人形映画製作など、
多岐にわたる彼の活動は、チェコの文化の一翼を担っています。
この画家が描いたきれいな絵本『花むすめのうた』に、春の喜びを描いた箇所がありました。

≪……「お日さま、たすけてくださいね」
「もちろんだよ。そのためにきたんだからね」
お日さまに てらされた水は 木をつたわって 土にはいり 大地のたねを あたためはじめる。
たねは 芽をだし、あたためられた 土からは いろんな花が 顔をだす。
ケマンソウ、ツリガネソウ、ショクスミレ、トリカブト、ショウブ、バラ、
シャクヤク、リンゴの木に ナシの木、サクランボに、アンズ。
大きな きせきが おこったんだ。……≫


●関連本●
cover 「おとぎばなしをしましょう」
(フランチシェク・フルビーン作 イジー・トゥルンカ絵 きむらゆうこ・訳 プチグラパブリッシング)


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5月12日

わたしの庭のバラの花
(アーノルド・ローベル文 アニタ・ローベル絵 まついるりこ・訳 セーラー出版)

≪これはわたしの庭のバラの花。
これはわたしの庭の、バラの花でねむるハチ。
これはわたしの庭のバラの花でねむる、ハチに日かげをつくっている、すっとのびたタチアオイ。
これはわたしの庭のバラの花でねむる、ハチに日かげをつくっている、すっとのびたタチアオイのわきの、まるいオレンジいろのきんせんか。
これはわたしの庭のバラの花でねむる、ハチに日かげをつくっている、すっとのびたタチアオイのわきの、まるいオレンジいろのきんせんかのそばに、一列にうえた百日草。
これは……≫


この積み上げ話は、「ジャックの建てた家」と同じです。
アーノルド・ローベルは、がまくんとかえるくんでおなじみの「ふたりはともだち」等の作家です。
アニタ・ローベルはその奥さんで、「アリスンの百日草」も描いています。
そのあとがきで、≪私は花の絵を描くのが大好きです。……≫とあります。
また、≪……ポーランドで過ごした少女の頃、花輪や髪飾りを編んだことが思い出されます。……≫とありますから、
あふれんばかりに花の思い出を持っていたに違いないのですが、
彼女の子ども時代は、花に囲まれ育ったとは言い切れない壮絶なものです。
アニタは、ユダヤ人で、あの壮絶な収容所から生還するという経験を持っているからです。
しかも、子ども時代に!
この作者の自伝『きれいな絵なんかなかった』では、その題名からわかるように、
厳しい情勢の時代を生き抜いた過酷な少女時代が描かれています。
アウシュビッツ体験を語ったフランクルの「夜と霧」は大人の眼から見た収容所であり、戦争であるのですが、
この「きれいな絵なんかなかった」は、子どもの視点で描かれているため、
「夜と霧」とは、違った意味での悲惨さが真に迫ってきます。
そして、人種という大きな問題を子どもはどう捉えているのか?
奇跡としか思えないような偶然から生きぬき、きれいな絵本を描く人になった
アニタ・ローベルの自伝は、たくさんの子どもたちに読んで欲しい1冊です。
かといって、読書感想文の課題や授業の教材として、性急に「いい答え」を
引き出すのではなく、深く受け留め、読み終えて欲しい1冊なのです。

●関連本●
「ふたりはともだち」
(アーノルド・ローベル 三木卓・訳 文化出版局)
「アリスンの百日草」
(アニタ・ローベル セーラー出版編集部・訳 セーラー出版)
cover 「きれいな絵なんかなかった―こどもの日々、戦争の日々」
(アニタ・ローベル 小島希里・訳 ポプラ社)
「夜と霧―ドイツ強制収容所の体験記録」
(V.E.フランクル 霜山 徳爾・訳 みすず書房)


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5月11日

cover 「晩夏」
(アーダルベルト・シュティフター作 藤村宏・訳 ちくま文庫)

≪……「本当にこの花が大好きです」
と彼は答えた。
「花の中で一番美しいと思っています。今はもうこの気持のどちらが先だったかよく覚えておりませんが」
「私も薔薇が最も美しい花と思います」
と私は言った。
「薔薇に近いのは、椿です。やさしく明るく清らかで、中には華やかさにあふれている花もありますが、
しかしどれも何か異国的な感じがしますし、何か高貴で端正なおもむきがあります。
しかし、薔薇のもつやわらかさ、甘さとも言いたいものは持っておりません。
香りのことは申しません。これは別問題です」
「そうです。美しさについて語る場合は、別問題です。
しかし美しさだけでなく香りもということになれば、薔薇に匹敵する花はないでしょう」
「その点については人の好みで意見が違うかもしれません。
しかし薔薇の香りを好む人の方がはるかに多いのは確かです。
薔薇は今も昔も変わらずに貴ばれています。
姿はさまざまな比喩に大変多く使われていますし、色は青春と美を飾るものです。
家のまわりに植えられて、香料は貴重なものとして高価な贈物になります。
薔薇の栽培を特に保護した民族がありました。
現に、武力で秀でたローマ人が薔薇の花環で身を飾っています。
しかし、今ここにある薔薇のように、多種多様な花が組み合わされて美しさを高められ、
特別の愛情をこめて扱われている場合は格別です。
先ず第一に、ここには薔薇の花の本当の魅力があります。
次に、広い白壁に配分されて色が鮮やかに際立って見えます。
更に、前方には白い砂の平面がありますが、これが緑の芝生と生垣によって、
緑のビロードの飾り帯さながらに穀物畑から仕切られております」……≫


この小説を終わりまで読み通した人には
「ポーランドの王冠を進呈しよう」
とも酷評されたシュティフターの『晩夏』です。
が、ニーチェは再読三読に値する「ドイツ文学の至宝」とし、
トーマス・マンは「世界文学の中で最も奥深く、
最も内密な大胆さを持ち、最も不思議な感動をあたえる……」と評しました。

確かに、淡々と物語られる自然と人間。
刺激的でドラマティックな展開もなく、目新しい表現があるわけではないので、
退屈する読み手がいるのかもしれません。
けれど、静かにゆっくり流れる時の中で、読者は作中の人となり静かに思索する
……物語の筋を追うのではなく、結末を期待するのでなく
……心の奥にしっかりと根付く一冊です。
シュティフターは、クリスマスの大切な一冊でもある『水晶』も書いています。

  『晩夏』の舞台は、オーストリア・アルプス山麓に建つ「薔薇の家」です。
話の主役は、登場する人物たちというより、この「薔薇の家」そのものではないかと思えるほどの役割を担っています。
ああ、「薔薇の家」。憧れの響きです。
単に、薔薇の生い茂る美しい家ではなく、象徴的に在る「薔薇の家」。
少しでも「薔薇の家」風に近づきたくてツルばらを何種類か植えましたが、
この話のように、
“花につく虫は小鳥が食べ、その鳴き声が……”
等と悠長なことを言ってはいられません!
虫との闘い。はい、……残虐非道です。

●関連本●
「水晶 他三篇―石さまざま」(手塚富雄、藤村宏・訳 岩波文庫)

↓筆者宅では、今年もスパニッシュビューティがご覧のとおり満開です。


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5月10日

cover 「秘密の花園」
(バーネット作 シャーリー・ヒューズ絵 山内玲子・訳 岩波書店)
≪ディコンとメアリのまいた種は、まるで妖精が世話をしているように、よく育ちました。
サテンのようにつややかな、色とりどりのヒナゲシがそよ風にゆれて、
昔から庭にあった花たちを陽気に挑発しているようでした。
いっぽう昔からあった花たちは、いったいこの新しい連中はどうやって
この庭に入りこんだのだろうと、不思議に思っているように見えました。
そしてつるバラは―――ああ、つるバラ!―――草地からはい上がり、
日時計のようにまわりにからみつき、木の枝にまきつき、
枝からぶらさがり、塀にはい上がって広がり、長い花飾りを小さな滝のようにたらして、
一日ごとに、一時間ごとに、いきいきと息づいていくのでした。
きれいな新しい葉、そしてつぼみ―――つぼみははじめは小さくて、だんだんふくらみ、
魔法をかけ、やがてぱっと開いてカップのように広がり、
馥郁たる香りがふちからこぼれて、庭中の空気をみたすのでした。≫


生命力旺盛なつるバラの話は、ここにもありました。
長い間放置されていた庭で、毎年成長していたのです。
毎年、香りを楽しむ人も居なかった寂しい庭でも、枯れないで待っていたのですね。
歩けないと思われていたコリンが歩き、大きな痛手を背負っていた
コリンの父親が立ち直り……再生の象徴の庭、球根、そしてつるバラ。

子どもの頃、この本を読んだとき、球根を植えてみたいと思いました。
秘密の庭に入れる鍵も欲しいと思いました。
友達には、コリンよりたくましいデッコンのほうがいいなぁ、と、考えていました。

母親になって、この本を子どもたちに読んでやっているとき、
デッコンのお母さんが頼もしいことに気がつきました。
嫌な奴だと思っていたコリンのお父さんも、深い悲しみを持っていたことに気がつきました。

そして今、もう一度読み返してみると、やっぱり面白い。
コマドリも、庭師のおじいさんも、味のある脇役です。

出来すぎた話、きれいごと過ぎる……等と言われようとも、
バーネットの描く「秘密の花園」「小公子」「小公女」は、今読み返しても、一気読み!

●関連本●
「小公子」
(バーネット作 若松 賤子・訳 岩波少年文庫)
「小公女」
(バーネット作 吉田勝江・訳 岩波少年文庫)

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5月9日

「いばらひめ」
(グリム童話 エロール・ル・カイン絵 やがわすみこ・訳 ほるぷ出版)
「ねむりひめ」
(グリム童話 フェリクス・ホフマン絵 瀬田貞二・訳 福音館書店)

≪……やがて、しろのまわりには、いばらのいけがきが、
ぐんぐんとしげりはじめ、としごとに のびていきました。
そして、とうとう、しろを そっくり つつみかくしたので、
なにひとつ みえなくなりました。
やねのうえの はたまで、みえなくなりました。
ねむっている、うつくしいひめのうわさが、とおくまでひろがりました。
ひめは、ねむりひめと よばれるようになっていました。
ときどき、ほうぼうのくにから、おうじたちが やってきては、
むりやりに いばらのいけがきを とおりぬけようとしましたが、
どうしても、とおりぬけられませんでした。
なにしろ、いばらが、つよいてのように、しっかりと しめあうので、
おうじたちは、いばらにとらえられ、にげられなくなって、
あわれな さいごをとげるのでした。……≫


バラが生い茂る、百年の眠り……などお話の世界だと思っていましたが、
実際、つるバラを育ててみると、さも、ありなん、です。
凄い生命力で、ぐいぐい「つる」を伸ばし、どんどん幹も太くなります。
我が家には、何種類かのつるバラが植わっていますが、どの子もたくましい!

  ところで、ラファエル前派集団という芸術家たちが、イギリスで活躍していた時期がありました。
その一人、バーン・ジョーンズが、ブライア・ローズ(いばら姫)を描いています。
ダブリンの美術館で一枚見ることができました。
美しい絵なのですが、どうも、うわさに聞く、溢れんばかりの美しさとは違うような気がします。

で、結局、イギリスのバスコット・パークというお屋敷の壁に掛かっている4枚の絵を見に出かけました。
門からお屋敷まで車でも10分はかかろうという広大な敷地の庭園もさることながら、
そのいばら姫の絵との対面には、感動しました。
部屋の左壁にある一枚目の絵には、幹が太くて棘の大きいいばらを分け入って城に入ろうとするりりしい王子の絵、
続く二枚目には、眠る家臣たち、三枚目は、中庭で眠る女たち、
そして、部屋の右壁にかかっていたのが、今にも目を覚まさんばかりに、
頬がピンクに紅潮するいばら姫! 美しい!
絵と絵の間の壁(パネル)にも、バラのつるが続き、
コの字型の壁全体が、さながら、いばらで覆われた部屋のようでした。

このお屋敷では、ラファエル前派集団の絵だけでなく、
ファリンドン・コレクションというたくさんの絵画を見ることができます。
ただし、開館日時が、極端に少ないので注意!
近くには、ウィリアム・モリスと妻のジェイン、
そしてダンテ・ガブリエル・ロセッティの住んだケルムスコットマナーもあります。

↓筆者宅のツルバラ


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5月8日

「バラと指輪」
(M.サッカレー文・絵 畠中康男・訳 東洋文化社)

≪……王子が部屋に入ってきた時は、それほどおかしな姿とも思えなかったが、
ちょっとの間しか倒れていなかったのに、再び立ち上がった時には、とてもつまらぬ、
愚かな男のように見えたものだから、みな笑い声を抑え切れなかったのだ。
王子が部屋に入ってきた時には、手にバラを持っているのが見えたが、
転んだ時、そのバラを落としてしまった。
「ぼくのバラを! ぼくのバラを!」
と、バルボ王子は叫んだ。すると、侍従が駆け寄り、バラを拾って、王子に手渡した。
王子がチョッキにバラを差しはさむと、人々はどうして笑ったのか分からなくて、けげんな顔をしていた。
王子はべつにおかしなところもなかった。
やや背が低く、どちらかといえば、少し太っており、髪の毛は多少赤茶けていたが、
それでも王子としては、まんざら捨てたものでもなかった。……≫


名付け親の妖精が「ちょっとばかりの不幸」の贈物として、魔法のバラと指輪を授けました。
「ちょっとばかりの不幸」は見せかけに惑わされるということでもありました。
炉辺のおとぎ話として、書かれたこのお話には、サッカレー自身が描いた挿絵が、ついています。
ちっともハンサムじゃないバルボ王子。死刑台の上に立っても、
ママからもらった「バラ」の花を口にくわえている王子。
なんだか、おかしい……。
床温器でぶちのめされ、ペチャンコになった国王。
王女の養育係のグラファナフ夫人の横柄な顔。魔法でドアノッカーにされた門番。
(事件の鍵を握っていますよ、この人)
サッカレーは、はじめ絵で稼ごうとしていたようですから、当然、絵も達者で、文と絵がぴったり合うのですね。

まだ若造のディケンズ(1820年生まれ)が、すでに名を成していたクルックシャンク(1792年生まれ)に
注文して、処女作の『ボズのスケッチ』の挿絵を描かせたのが1836年。
社会の風潮を風刺し、滑稽味あふれる人間を掲載し続けたパンチ誌創刊が1841年。
この「バラと指輪」が書かれたのが1854年。
画と文字。画から文字へ。大衆も文を読むようになってきたのです。
ごちゃごちゃ混ぜ合わさる時代です。
個人的には、この時代の「絵のある大衆小説」大好きなのです。
近年の大人の小説に、絵などほとんどついていなくて、なんだか、寂しい……。
長編が多いサッカレーもディケンズもウィルキー・コリンズも、
少しでも挿絵のところにくると、なんだか、うれしい……。
絵本ではないので、挿絵を見ただけでお話がわかる、とはいきません。
が、現代の抽象的なカット絵でなく、それぞれ具体的なシーンが描かれているので、貧困なイメージの助けになります。
サッカレーの代表作「虚栄の市」にしても、ディケンズ「オリヴァー・トゥイスト」にしても、
また、挿絵は少ないですが、ウィルキー・コリンズ「白衣の女」にしても、
話の長さにひるまず、一度、お試しあれ。
癖になって、他の作品漁りをすること請合いです。
この3人の作家が無関係でないという背景を知るのも、なんだか楽しい……。

●関連本●
「ボズのスケッチ」(藤岡啓介・訳 岩波文庫)
「ボズの素描集」(藤本隆康・訳 近代文藝社)
cover 「虚栄の市」(中島 賢二・訳 岩波文庫 オリヴァー・トゥイスト 小池滋・訳 ちくま文庫)
「白衣の女」(中島 賢二・訳 岩波文庫)

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5月7日

cover 「ムギと王さまーー本の小べや 1」
(エリナー・ファージョン作 エドワード・アーディゾーニ絵 石井桃子・訳 岩波書店)

§小さいお嬢さまのバラ§
≪……ある六月の暑い日のこと、ジョンとメアリが、浅瀬でバシャバシャやっていると、
ずっとむこうから、ポチッと小さいものが二つ、こっちへ流れてくるのがみえました。
「やあ、ボートが流れてきたぞ!」
と、ジョンはさけびました。
「赤と白の帆がついている。」
と、メアリがいいました。
「おれは赤いのをとる。」
と、ジョンがいうと、
「あたいは、白いんだ。」
と、メアリがいいました。

ところが、その小さいものが、もっとそばまでやってくるにつれて、
それはボートではなくて、バラなのだということがわかりました。
色といい、大きさといい、においといい、そんなバラを、ふたりは見たことがありませんでした。
ジョンは赤いバラをつかまえ、メアリは、白いバラをつかまえ、
そして、ふたりは、その宝ものをもって、一もくさんに家へかけて帰りました。

このバラを見たとき、とうちゃんはいいました。
「こいつは、たまげた! こんなバラをおれの庭につくれたら、おれは、うんと鼻が高くできるんだがなあ!」
そして、かあちゃんはさけびました。
「びっくりさせるじゃないかよ、これは!
こんなバラを家でつくれたら、わたしはほんとうにうれしいがね。」……≫


もし、たった1冊しか本を持ってはいけないということになったら、
私は、この「ムギと王さま」1冊にします。
もし、その中のお話を一つしか読んではいけないということになったら
……大変だぁ!
「しんせつな地主さん」「ガラスのクジャク」「ねんねんこはおどる」
「コネマラのロバ」「ボタンインコ」「小さな仕立屋さん」
……うーん、どれもキラキラ輝く小さな宝石です。
何度読んでも小さな感動で、胸がキューン、涙がウルウル。
優しい心に触れる幸せというのでしょうか。
健康な心を持った子どもたちに出会えるという幸せというのでしょうか。

「しんせつな地主さん」は、子どもたちに読んでやっていた頃、
途中で邪魔が入らないよう、わざと留守番電話にしていたことを思い出します。
泣きそうになるのをこらえながら、静かに耳を済ませている子どもたち。
「でも、よかったね」
と一安心。

「ガラスのクジャク」は、クリスマスのお話の中でも、特に大好きなお話ですが、
話の子どもたちの住む「メリン横町」は、今もロンドンの北、ハムステッドにペリン横町として存在しています。
ハムステッドには、小さな横町がたくさんあり、今にも、アナ・マライアやウィリヤムが出てきそうです。
挿絵を描いたアーディゾーニが、ここをスケッチしたに違いないという場所を見つけたときは、ちょっとした自己満足。
挿絵のあるお話詣でのときは、いつも、ご丁寧に挿絵のコピーも持参して、自己満足の上塗りをしています。

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5月6日

「黄金のろば」
(アプレイウス・作 呉茂一・訳 岩波文庫)

≪……「あらまあ、どうしましょう、大へんなことになってしまったわ。
あんまり怖くて夢中だったうえに急かついたもんで、とんだ間違いをやっちまったわ、
それに小箱がそっくりなんですもの。
でも有難いことに、元の姿に帰るのには、とてもらくな手当てで十分なのよ。
だって薔薇の花をたべるだけでもって、ろばの形からすぐさま、元どおりのルキウスさまになれるんですもの。
まあほんとうに今日夕方にいつもどおり、花環をいくつかこさえておくとよかったのにね、
そうしたら、たった一夜でもこんな様子で辛抱なさらなくても済むわけでしたが。
でも夜が明け次第、すぐと大急ぎで手当てをしてさしあげますから。」 ……≫


お調子者の主人公ルキウスが、魔法の世界に首を突っ込み、
自分もロバに変わってしまいます。
元に戻るにはバラを食べなければなりません。

心理学では、この古典を男の子の成長、自立と結びつけて考えることもあるようです。
が、そんなに難しく捉えなくても、おおらかな表現の数々を読んでいると、
古典の中の人々、特に女性は、まだまだ自由で、たくましい。
妙に媚びた女性でないのが、なんだかうれしい。
馬鹿っぽいのが女性でないのが、ふ、ふ、ふ、の、ふ。
「カンタベリー物語」のバースの女房のおばちゃんもたくましいなぁ。
もしかしたら、古典を読んだら、現代の女性も、励まされ、より強くなれるかも。
えっ? もういいって?

この古典には、ロバになった主人公が小耳に挟む話として、
有名なロマンスの「キューピッドとプシケー」の話が挿入されています。
イギリスのウォルター・ペーターが元の話を短くし、
エロール・ル・カインが絵を描いたのが絵本の「キューピッドとプシケー」です。
イギリス世紀末のオーブリー・ビアズリーを思い出させる妖しい雰囲気の絵本です。
ほら、ここにも、バラが……

≪……神々はそろって婚礼の席にすわりました。
正面ではキューピッドがプシケーを抱いています。
キューピッドのおつきの少年がジュピターにワインをそそぎ、他の神々にはバッカスがワインをそそぎます。
四季の神々が部屋をバラで飾ります。琴にあわせてアポロンが歌をうたい、パンがアシ笛をかなでます。
おや、ヴィーナスが美しい音楽にあわせて、かろやかに踊っています。……≫


●関連本●
「カンタベリー物語」
(チョーサー作 バーン・ジョーンズ 挿絵 桝井迪夫・訳 岩波文庫)
「キューピッドとプシケー」
(ウォルター・ペーター 文 エロール・ル・カイン 絵 柴鉄也・訳 ほるぷ出版)

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5月5日

「ともしびをかかげて」
(ローズマリ・サトクリフ作 猪熊葉子・訳 チャールズ・キーピング絵 岩波書店)

§白いイバラと黄色いアヤメ
≪……アクイラは、急になにかネスに贈物をしてやりたいと思った。
それはサクソン人に家を焼かれるまえの心のやさしいアクイラの考えるようなことだった。
ネスのひざの上に山のように贈物をつみあげてやるのだ。
新しい歌のかずかず、オリオン正座の三つ星、巣のなかのハチミツ、
冬のさなかに咲く白いイバラの花の枝などを。
それはネスのためばかりでなく、フラビアのためでもあった。……≫


サトクリフのローマンブリテン3部作の1冊です。
サトクリフの作品には、たくさんの花が出てきます。
マンネンロウやサンザシ、トネリコやイトシャジャンなど、きりがありません。

冬のさなかに白い花をつけるイバラ……
実際には、イバラは、冬には赤い実をつけるので、冬に花が咲くことはありません。
悲しい比喩だと思いますが、もしかして、冬のさなかに咲くイバラが本当に存在するのなら、見てみたい。

この話の舞台「ルトピエ」(現在の地名はリッチボロー)に末娘と二人で行ったことがあります。
ディケンズゆかりのブロードステアーズという保養地に程近い海辺沿い。
遠浅の海沿いで見晴らしは抜群です。
ルトピエは、「ともしびをかかげて」のキーになる場所です。
主人公がローマに戻らず、ともしびをかかげたその砦。
そこから話は展開していき、つながっていくのです。
話の中で修道僧が、ルトピエからずっと離れたところで、そのともしびを見たと話すところがあります。
海とは反対側のなだらかに連なる内陸部。今もなお、ずっと遠くまで見通せます。
現在は、遺跡として整備されているにすぎないローマ軍の砦ですが、
風のきついその場所で、海に向かって立つと、さながら、砦の番人になった気分。
思わず、脚を大地にしっかりつけ、腕組をし、はるか海のかなたをにらみ、
「海賊は来ぬか」、と……えっー! 時代考証がむちゃくちゃ。
と、遺跡に行ったら気分が高揚するのはいつものこと。
昔、ヘイスティングスの崩れかけた城壁を上がり、眼下の海をみて、
“ああ、ウィリアム征服王も、ここを渡ってきたのだ!”などと感極まっていたら、
係の人が、「そこは、のぼっちゃだめ!」(もちろん、英語で)
同じことがルトピエでも……ああ、遺伝とは恐ろしい。
さすがに、今度は、旅慣れたお母さん、上ってはいけない所には上らず、
海を見つめ、さきの時代考証。
ところが、ふと、振り返ると、娘が、上っちゃいけない崩れかけの壁に!
「そこは、のぼったら、あかん!」(もちろん、日本語で)

●関連本●
「辺境のオオカミ」(ローズマリ・サトクリフ 猪熊葉子・訳 岩波書店)
cover

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5月4日

「ミリー −−天使にであった女の子のお話」
(ウィルヘルム・グリム原作 ラルフ・マンハイム英語訳 神宮輝夫・日本語訳 モーリス・センダック絵 ほるぷ出版)

≪……その夜、親子は楽しく語りあってすごしました。
そして、こころ楽しく、やすらかに床につきましたが、
よくあさ、村の人たちがきてみると、ふたりは死んでいました。
ふたりとも、しあわせなねむりについたのでした。
ふたりのあいだにおいてあった聖ヨセフのバラは、花びらをいっぱいにひらいていました。≫


バラの本探しをしているとき、娘がこの絵本も推薦してくれました。
但し、小さいときは、この結末が怖くて、好きじゃなったと。
でも、バラのことを、よく覚えていると。

上記のように最後は、つぼみだった聖ヨセフのバラが開いているので、
天国に導かれたのだと分かるのですが、
結末が「死」で終わることが、クリスチャンでない者には、なかなか理解できません。
センダックのほかの絵本は「かいじゅうたちのいるところ」「まよなかのだいどころ」
「まどのそとのそのまたむこう」など、どれも何度も何度も、読んでやった記憶があるものの、
この「ミリー」は、あまり読まなかったような……。

それにも関わらず、娘の心に残る1冊になっていました。
表紙にもバラの絵、もちろん、中にも、何度もバラの絵。
バラという言葉こそ、少ないものの、確かに、心に残る役目を果たすのがバラでした。
今、丁寧に絵本を繰ってみると、お母さんの服も、女の子の服も、ローズ色ではありませんか。

大学生だった私が、センダックの虜になったのは、「いるいるおばけがすんでいる」
(現在は「かいじゅうたちのいるところ」)でした。
伸びやかな絵が画面狭しと描かれていました。
日本の絵本にありがちな、塗り絵のような着色風でなく、
かといって、柔なタッチでなく、媚びない色彩、そして深いブルー。
表紙を開けたときから、美しく描かれた見返し部分。
絵本は、隅々まで楽しんでいいんだと、その絵本は言っていました。
そして、母親になって、子どもたちに読めば読むほど、そのリズミカルな文とお話にわくわく……。
センダックの絵本は、どの絵本も、こっくり深い色合いが、魅力的です。
そして、絵や余白の大きさや位置による効果。
彼の「絵本論」を読んでみれば、センダックの絵本に対する姿勢、その思いがよく分かります。是非!

●関連本●
「かいじゅうたちのいるところ」 (モーリス・センダック 神宮輝夫・訳 冨山房)
cover

「まよなかのだいどころ」(モーリス・センダック 神宮輝夫・訳 冨山房) cover

「まどのそとのそのまたむこう」(モーリス・センダック わきあきこ・訳 福音館書店)
cover

「センダックの絵本論」(モーリス・センダック 脇明子・島多代・訳 岩波書店)


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5月3日

「美女と野獣」
(ローズマリー・ハリス再話 エロール・ル・カイン絵 矢川澄子・訳 ほるぷ出版)

≪……それから庭にでてみると、いちめんにバラがさきみだれています。
そのきれいなこと―――。
「そうだ、これをあの子にもらっていこう」
商人は1りんつもうとしました。と、バラの木がゆれたかとみるまに、
ものすごい地ひびきがして、二目とみられぬおそろしい怪物が、
目の前にあらわれたのです。……≫


エロール・ル・カインの絵本は、娘が先に好きになりました。
我が家には、相当数の絵本や児童文学があるのですが、
娘が小さかった頃、ル・カインの絵本はほとんどありませんでした。
そこで、娘は、家にはないル・カインの絵本を、お友達の家で見つけ、私に紹介してくれました。
「おどる12人のおひめさま」でした。
とても、きれいな絵本で、バーン・ジョーンズの「幸福の階」という絵を思い出させます。

今回も、またまた、娘に聞いてみました。
「バラの出てくる絵本で覚えている絵本ない?」
「バラいうたら、この本や。」
と、
「バラを1りんほしいわ。ここのお庭には、キャベツばかりですもの。」
という絵本の台詞を暗誦しながら、薦めてくれたのが「美女と野獣」でした。
娘は3人兄姉の末っ子ですから、ついつい末っ子が主人公の本には、思い入れが大きいようです。
……「イグサのかさ」の末娘も、「塩」なんかいうから、かえって大変な目にあうし、
この「美女と野獣」も「バラ」なんかいうから、大変なんや、
謙虚なお願いがかえって迷惑になってしまう末っ子たちや……と、お説を賜りました。

昔話には、3人兄弟の末っ子が、最後は金持ちになったり、
お姫様とめでたしめでたしになったり、という話は多いのですが、
彼女は自分が女性であるが故か、末息子の話より、末娘の話がお好きなようです。

●関連本●
「おどる12人のおひめさまーーグリム童話」(矢川澄子・訳 ほるぷ出版)

cover 「イグサのかさ」(「イギリスとアイルランドの昔話」より)
(J.D.バトン 石井桃子・編・訳 福音館書店)


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5月2日

「ロンサール詩集」
(ロンサール・詩 井上究一郎・訳 岩波文庫)

§ばら§
≪酒にばら そそがなん、
そそがなん、酒にばら。
つぎつぎに 飲みほさん。
飲むほどに、胸深き
悲しみは 消えゆかん。

美しき 春のばら、
この時を たのしめと、
若き日の 青春の、
花の間を たのしめと。

咲くと見し その日はや
色褪せて、散れるばら、
われらまた この齢
束の間に 衰えて、
人生の 春むなし。……≫


この「ロンサール詩集」を手に入れたときは、
あれにもこれにもお気に入りの付箋を貼り、
周りの人には、
「岩波文庫は、出たときに手に入れておかないとなくなるよ」
と連絡しまわったものでした。

バラの詩人と呼ばれた「ピエール・ド・ロンサール」にちなんで付けられた名前の
ピエール・ド・ロンサールというバラは、初々しいピンクで美しいバラです。
詩のイメージともぴったり、優しい香りがします。

当然のことながら、バラの品種は際限なく多く、
名前とバラのイメージの関わりを考えるのも楽しいものです。
生命力旺盛なつるバラ「スパニッシュ・ビューティ」は、香りといい、
スパニッシュドレスの裾のようなピンクの花びらのヒラヒラといい、
まさに、ビューティという感じです。

「ジャスト・ジョーイ」という気品あるオレンジのバラの栽培家は、その美しさから
「妻、ジョーイのようだ」
と名づけたとか……ふむふむ。

「アンジェラ」とか「マチルダ」なんていうバラの名前も、可愛い恋人から付けたのでしょうか。
どちらも可愛いピンク系のバラですからね。

かのチェリストのジャクリーヌ・デュプレの名を付けたバラは白く、
花芯が赤く色づいていて、魅力的で気品あるバラです。
デュプレは、若くして、多発性硬化症で亡くなった天才チェリストです。
何年か前、「ほんとうのジャクリーヌ・デュプレ」という、
デュプレ・ファンには、少々ショッキングな私生活が描かれた映画がありました。
その中で、流れていたエルガーのチェロ協奏曲。チェロの深い響き。天才の孤独。
私には、音楽の素養も指揮者や作曲家云々の知識もありません。
が、いつかご紹介した「ブリティッシュアート論」のエルガーの授業で、
デュプレのチェロ協奏曲ホ短調第一楽章の演奏を聞き、鳥肌がたったことを覚えています。
その後すぐに、このCDを手に入れ、今は、パソコンに取り込み、集中して文を書きたいときに聞いています。

↓スパニッシュ・ビューティ。
ちなみに、文中に出てくる「ジャスト・ジョーイ」の写真は、下記5月1日エッセイ文末をご参照ください。



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5月1日

「ラヴジョイの庭」
(ルーマ・ゴッデン作 茅野美ど里・訳 偕成社)

≪……特別! あたしは特別がどんなものか、わかった気でいたのに!
ラヴジョイはパンジーを美しいと思っていたのだが、
――そう思っているあいだも、ずっとこれがあったなんて。とラヴジョイは思った。
石のかけらでふちどられた花壇、マスタードとカラシナを蒔いた花壇が、
いまは子どものお遊びのように思えた。
自分ではわかっているつもりでいたのに、とラヴジョイは悲しかった。
すっかりわかっている気でいたのに、ずっとこういうものがあったなんて
――最後はどうしてもバラにいきついてしまう。……≫


けなげな主人公たちが、土を欲しがり、種蒔きをする、そして、精魂こめた庭仕事。
主人公たちに迫る厳しい現実とバラ。棘のあるバラ。
バラ……確かに、彼女は花の女王です。

この月並みで言い古された台詞を素直に捉えないときもありました。
が、それは、ラヴジョイのように、バラを知らなかったからです。

女王の資格は、香りや姿だけではありません。その物腰だと思います。
ともかく、もったいぶって咲きます。つぼみから咲くまでの長いこと長いこと。
安っぽい女じゃないのです。媚びたりしません。けれど、咲いた日の美しさと言ったら……。
一日前に咲いたものは、すでに、席をゆずり、今朝! 咲いた子が、燦然と在る。

イギリスのザ・ローズ・ガーデンは、通路以外、バラで溢れていました。
みな大振りの立派な咲き誇りよう。香りも素晴らしく、うっとり。
それでも、今朝咲いた子は、わかるのです。
たくさん咲けば咲くほど、今日の子の美しさが際立ちます。
乙女の初々しさ。ああ、遠い昔のこと……?

その後、我が家も、バラに手を出してはいますが、なかなかイギリスのようにはいきません。
虫やカビや病気との闘い。
"イギリスと日本じゃ湿度がぜんぜん違うから、虫も病気も多いんだい!"
と居直るものの、とてもご紹介できない残酷な方法で虫を仕留めたり、やっかいな病気などなど…。
それでも、こまめなお世話も楽しいものです。
手間ひまかかり、咲くまでじらされた分、より愛おしい。



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