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復刻 世界の絵本館  オズボーン・コレクション

「オズボーン・コレクション」は、トロント公共図書館の児童部センター「少年少女の家」所蔵の本たちです。
1910年以前にイギリスで出版され、当時、子どもたちによく読まれていた本の代表的なコレクション。
シャルル・ペロー、グリム兄弟の物語など、イギリス以外の国で生まれて、
イギリスの子どもたちに愛されていた本も含まれています。
児童文学の創成期から20世紀にいたる古典的な図書がもっとも充実した宝庫として、世界中に知られています。
その1万5千以上ものコレクションの中から、イギリスの18世紀から19世紀末までの
古典的絵本を中心とした34点と付録1組を厳選。
内容や色の色調はもとより、版型、装幀などの形体にいたるまでを完全に再現して復刻したものです。
英語版なので、なんとか読めるのもうれしいところです。

オズボーン・コレクションは一朝一夕のうちに完成されたものではありません。
そこには、さまざまなヒストリー、さまざまな人々の思いがあります。
どんなにすぐれた絵本・児童書が誕生したとしても、後世に引き継ぐ人たちの努力なしには受け継いでいくことはできません。
その事実に気づいた心ある人たちによって、築き上げられた貴重な集積です。
オズボーン・コレクションを学ぶことは、絵本・児童書好き、本好きにとってかけがえがないと思います。
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1冊ずつのバラ売りです。
ほるぷ出版 79年  85年の9刷

編集委員 ジュディス・セント・ジョン マーガレット・マローニー(以上、トロント公共図書館「少年少女の家」)石井桃子
セット装幀 安野光雅

その1・その2以降、工事中





coverORBIS SENSUALIUM PICTUS  Johann A.Comenius 世界図絵 ヨハン・アモス・コメニウス
2500円
A− 函あり

挿絵には番号がついていて、文章の中のそれにあたる言葉と照らし合わせることができます。
動物や植物から楽器の名前、職業ごとの階層別の呼び名など、世界にあるさまざまな事物を、絵入り、易しい言葉で説明した本です。
いわば「図鑑」の走りかと思いきや、世界についての本質的な知識を絵と文を組み合わせて解説した本なのです。
絵を見ながら、自然に楽しく字や文章を覚え、知識が得られるようにつくられています。

ヨハン・アモス・コメニウス(1952〜1670)は、モラヴィア生まれの教育家、社会改革家であり、理想主義だった人。
彼の手になる論文や教科書は、当時、人々に読まれましたが、
もっとも大きく永続的な影響をヨーロッパ諸国に及ぼしたのが本書でした。

新教徒の集団であるモラヴィア同胞教団の一員であった彼は、
ヨーロッパにおける宗教戦争の最大にして最後のものといわれる三十年戦争(1618〜1648)の初期、僧籍に入りました。
著述をはじめ、教育上の哲学を持つようになったのは、国を追われて放浪中だったとき。
神の業である天地万物の秩序をよく理解しないために、世の中に不調和がもたらされると考えました。
彼の意図するような教育が効果をあげ、人々が現実の本質的な秩序と統一を
理解するようになれば、平和と繁栄はもたらされると信じていました。

つまり、絵を教育の重要手段として用いた本なのです。
それまでも、子どものための興味をひくために挿絵をつけた本はありましたが、
教育を意図してつくられた本では、初めてのことでした。
いわば、教科書の歴史上、もっとも重要な本です。
その後の時代の教科書は「世界図絵」を手本にしていて、
その応用は、今日の子ども向けノンフィクションの本にも見られます。

「世界図絵」は1657年、ニュールンベルクのマイケル・エンテルの書店から出版。
初版本はすべてラテン語で書かれ、次にドイツ語で書かれました。
最初の英語訳は、1659年、出版。訳者はロンドンの小学校長、チャールズ・フールでした。
英訳版は、英語とラテン語が各ページの左右に分かれて書かれ、挿絵は木版でなく銅版に変えられました。
イギリスではその後、挿絵や文章を新しくするなど頻繁に刷られて、18世紀になると刊行の度数は減りました。
この「世界図絵」は1777年に出版された、英訳本としては最後の版です。
「原本は紙表紙だったと思われますが、オズボーン・コレクション所蔵のものは、
当時の所有者が皮装したものなので、本セットではクロス製で造本してあります。−編集部」とのこと。

本文は一色刷り。ハードカバー 197ページ。索引つきです。



coverGOODY TWO-SHOES 靴ふたつさん ジョン・ニューベリ出版
A Facsimile Reprodution of the Edition of 1766 printed for John Newbery
1766年版の復刻
2500円
A− 函あり

第1部では、マージェリ・ミーンウェルの家族が領主に土地や家を奪われて追い出され、
両親はその痛手から死んでしまいます。
孤児になったマージェリと弟のトミーは善良なスミス牧師に助けられ、トミーは船乗りの修業に出ます。
マージェリは片方しかなかった粗末な靴のかわりに、スミス牧師から両足そろった新しい靴をもらいます。
「私のふたつの靴を見てよ!」と叫んだので、彼女は「靴ふたつさん」と呼ばれるようになります。
マージェリはスミス牧師のように賢くなりたくて、学校帰りの子どもたちから教科書を借りて読み書きを学び、
やがては、知らない子どもたちに勉強を教えるようになります。
第2部では、マージェリが「靴ふたつ夫人」としてABC大学校の校長となります。
年少の子どもや、貧しい子どもには無料で教育が受けられるようにします。
また、動物をいじめる子どもたちから救ったカラスやヒバリ、犬などに文字を教えたり、
子どもたちの遊び相手をさせたりします。
夫婦ゲンカを仲裁し、家庭のいざこざの相談にのり、農作物の栽培には知恵を貸し、
あまりの賢さに他領内の人からは魔女呼ばわりされますが、裁判では彼女の正しさが証明されます。
やがて、結婚して…。

書籍商 兼 出版業者ジョン・ニューベリ(1713〜67)が、本書を出版したのは1765年。
子どもが手にとって読んで楽しむためにつくられた本であり、
ニューベリの出版物の中でももっとも人気がありました。
初版の表紙は多色刷り、厚手のオランダ製花型紙で製本され、縦9.8センチ×横6.2センチ。
彼の会社は、後継者によって1912年まで続きましたが、200年間になんと約200回も版を重ねました。

初版は、現存していることが知られるのは1冊のみで、ブリティッシュ・ライブラリーに収められています。
第2版以降は、女主人公の家の説明や、106ページの木版の挿絵、107ページの詩などが加えられ、
巻末には付録、本の広告が追加されてページ数が増えていきました。
オズボーン・コレクション所蔵の1769年刊の第4版はページの欠落が多かったため、
本書は1766年の第3刷からの復刻版からつくられています。
この復刻版は、1881年、ロンドンのグリフィス・アンド・ファラン社から出版されたもの。
ニューベリの後継者のひとりであるチャールズ・ウェルシュが序文を寄せています。
この序文で、ウェルシュはこの物語の著者が誰であるかを論じています。
オリヴァー・ゴールドスミスであろうと書きながら、同時に別の説も紹介しています。

文字は、18世紀半ばに用いられた活字で刷られていて、1つの語のはじめ、
または途中に出てくるsには、fに似た長い字体が用いられています。

本文は一色刷り。イラスト33点以上。ハードカバー 160ページ。天地15.2センチ×左右9.7センチ



coverA NEW YEARS GIFT Thomas Bewick 新年の贈り物 トマス・ビュイック画 1777年
2500円
A− 函あり

1777年に出版された、文字のない絵本です。
ビュイックの31枚の木版画で構成され、そのうち13枚は「シンデレラ」「長ぐつをはいたねこ」
「赤ずきん」などペロー童話に題材をとっています。
ちなみに、これらのお話はシャルル・ペローの「すぎし昔のお話集」(パリ、1697年)に含まれ、
初めて英訳されたのは1729年のことでした。

トマス・ビュイックは、滅びかけていたイギリスの木版画に息吹を注ぎ、
子どもの挿絵画家として初めて認められたイギリス人画家です。
農家に生まれたビュイックは、イングランド北部の大自然の中、育ちました。
1767年、ニューカッスルの彫版師、ラルフ・ベールビの師弟になります。
木版の技術を習得すると、早くも子どもの本の挿絵の注文を受けるようになりました。
ビュイックは何箇所かの印刷所で短期間ずつ働きましたが、都会が好きになれず、1777年、ニューカッスルに戻ります。
そして、ベールビのパートナーとなって、20年後にはその印刷所を引き継ぎます。
子どもの本の挿絵の仕事を続け、何冊かの寓話集を出版。
また、「四足獣の歴史」(1790年。文章はベールビが執筆)や「イギリスの鳥の歴史」
(2冊組。1797年、1804年)といった博物学的な版画の絵本も手がけました。
「イギリスの魚の歴史」の制作途中に亡くなりましたが、いずれにも動物や自然に対する愛情と
熱意が込められ、それらを活写する才能が発揮されています。
本書にも、フクロウ、ライオン、ブドウやバラの花など、正確な観察による動植物の作品が入っています。

ビュイックは板の縦の面ではなく横の切断面に彫りました。また、果樹など柔らかい材ではなく、
ツゲのような堅い木に彫ることによって、印刷の際、強い圧力をかけても耐えられるようになりました。
最も大きな功績は、画面に立体的な効果を与える「白線彫刻」(ホワイト・ライン)の導入でした。
版木の上の背景をすべて削りとって、太い黒い輪郭線と黒く固まった部分を残すのが従来の手法でした。
しかし、ビュイックは細い平行線を彫って、黒くつぶれる部分を明るくし、
その線の数と太さを調整することによって灰色から白までさまざまな陰影を出すことに成功しました。
版木が押されると、表面だけがプレスされ、絵は黒いバックに白く浮き上がるようになったのです。

きれいな箱に入っています。さらに保護の外函入り。
ハードカバー サイズ 天地8.8センチ×左右9.1センチ てのひらサイズのきれいな絵本。



covercoverTHE BIRTH-DAY GIFT or the Joy of a New Doll from Papers cut bi Elizabeth Upton 誕生日の贈り物 エリザベス・アプトン作 1796年
2500円
B+ 函あり 函接着面はがれ

扉ページのタイトルの下に「ある淑女(レイディ)による切り紙から」とあります。
その下に、本書がシャーロット王妃おつきの版画家P・W・トムキンズによって彫版・印刷され、
謹んで王女に献呈されるものです、といった内容が付記されています。

「ある淑女(レイディ)」とは、レイディ・テンプルタウン。
すぐれた美術の才能の持ち主でした。シャーロット王妃のオペラ・グラスをデザインしたほか、
陶器で有名なウェジウッドのためにもデザイン。
本書の絵にしても、もともと何のスケッチもなしに、フリーハンドで切り抜いた紙でした。

切り紙細工を彫って銅版刷りした「版画家P・W・トムキンズ」は、
ペルトロ・ウィリアム・トムキンズ(1759年〜1840年)。
イタリア生まれで著名な銅版画家フランチェスコ・バルトロツィの有能な弟子であり、
シャーロット王妃おつきの版画家であると同時に、若い王女たちの絵の先生でもありました。
また、印刷・書店も手がけていたので、本書の表紙の裏側には彼の会社の広告ラベルが刷られています。
扉の文字は、ペルトロ・ウィリアム・トムキンズと婚姻関係にあると思われるトマス・トムキンズによって書かれました。
彼は手習い学校を営み、当時もっともすぐれた書家であり、ペンで完全な円を描くことができました。
扉を彫ったのは、「文字の彫り師」と呼ばれたジェイムズ・ガートンでした。
いずれも、すばらしい技術の粋の結晶です。

王女とは、ジョージ3世(在位1760年〜1820年)の末娘エミーリア王女。
王様には15人の子どもがいました。エミーリアは、ほかの王女ほど才能豊かではありませんでしたが、
心優しい王女であり、人々からもっとも愛されました。

本書は、額縁のような飾り枠とカット7点が刷られた水色の紙によって構成されています。
絵には、ひとつひとつに「お人形を見つける」「お人形の朝ごはん」「わたしのお人形は歩く」
「ねえさま、私のきれいなお人形を見て」「お人形が寝る用意をする間、お人形を抱いていて」
「お人形を寝かせる」「子守りうた」と、銅版刷りの説明文つき。
エミーリア王女をモデルにしたとも思われるかわいらしい少女とお人形との交流のさまが、
切り紙細工から彫られたとは思えないほどの細密さで、柔らかく、ほほえましく描写されています。
1796年に本書を手にすることができた裕福な子どもにとっては、たいへん貴重な装飾本と喜ばれたことでしょう。

なお「誕生日の贈り物」は1796年1月18日、2つの版が同時に刊行されました。
1つは絵が色のついた台紙に貼られていて、もう一方は絵が浮き立つような押し版だったそうです。

ソフトカバー サイズ 天地20.5センチ×左右24.9センチ

中ページを見る



covercover品切れ The Death and Burial of COCK ROBIN コック・ロビンの死と埋葬 ウィリアム・ダートン刊
&The Moving Adventures of Old Dame Trot トロットおばあさんとこっけい猫君の奇妙な冒険 W.&T・ダートン刊 
 1806年、1807年
2冊セットで3700円
B+ 函あり

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だれがコマドリを殺したか?
「それはわたし」とスズメが言った
「私の弓と矢でもって わたしがコマドリ射殺した」

だれが見たのか、死ぬとこを?
「それはわたし」とハエが言った
「わたしの小さな目でもって
しかと見たわよ、死ぬとこを」

だれがその血を受けたのか?
「それはわたし」と魚が言った
「わたしの小さなお皿でもって
わたしがその血を受けたのよ」
…おなじみのマザー・グースの有名な詩。

「トロットおばあさんとこっけい猫君の奇妙な冒険」は
トロットおばあさん 市場にお出かけ
肩に猫のせ 町見物に

トロットおばあさん 腰かけて
猫と向き合い お喋りしてた
「猫や」とおばあさん 言うことにゃ
「闇でねずみをとれるかい?」
「ゴロロ」と猫が言ったとさ

「コック・ロビンの死と埋葬」は古くから伝わる童謡。
おそらくイギリスで14世紀には知られていたと考えられています。
伝承の文学としては知られていましたが、1744年、最初の4節が“Tom Thumb's Pretty Story Book”
(トム・サムのきれいなお話の本)に掲載されて、初めて活字になりました。
イギリスの首相であり蔵相でもあったロバート・ウォルポールが1742年、
政治的に失脚したことにあてはめて、童謡が復活したか、
あるいは書き改められたと主張する学者もいました。

「コック・ロビンソンの死と埋葬」を発行したウイリアム・ダートン(1779年〜1854年)は、
1804年に児童書専門の出版社を創設。すぐれた彫版師でもありました。
ダートンはもとの童謡に4節を加えて出版。
最後のページの彩色の銅版画では、臆病者のウサギが「あわれなコック・ロビンはもういない。
1805年10月25日没」と書いているところを描いています。

ウイリアム・ダートンは1806年、この本の続編「コック・ロビンを殺したスズメの裁判と処罰」、
さらに「続・ハバードおばあさん」を出版。
1807年には、伝承の童謡「トロットおばあさんとこっけい猫君の奇妙な冒険」を出版しました。
これは1704年から知られていた童謡であり、1803年にはチャップブックとしても出版されています。
1806年、やはり彫版師だった弟のトマスがパートナーとして事業に加わったため、
「トロットおばさんとこっけい猫君の奇妙な冒険」には"W.AND T.Darton"の社名が記されています。

なお、「トロットおばあさんとこっけい猫君の奇妙な冒険」は、
ジョン・ハリス社からも別内容のものが出版されました。
ちなみに、ジョン・ハリス社は、1805年5月「コック・ロビンとジェニー・レンの楽しい
求婚時代、喜ばしい結婚とピック・ニック・ディナー」を出版しています。

ソフトカバー サイズ 天地12.2センチ×左右9.9センチ、天地12.2センチ×左右10.4センチのコンパクト版

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