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E+D+P(EDP EDP)出版印刷表現の遊びと研究

E+D+P表紙自動めくり(50号分)

E+D+P総目次(50号分)


下記の号は(記載あるもの以外)在庫1冊ずつです。
多川精一さんの「E+D+P」をきちんと語り継いでいくためにも当面は販売せずに、閲覧方式でと考えております。
閲覧をご希望の場合は、お時間をいただきますが、必要ページのコピーをお分けできます(有料)。または、東京・調布の事務所にて可能です。
メールまたはハガキでご相談ください。
5号、7号、9号、14号(在庫2冊)、15号、16号、18号(在庫2冊)、19号(在庫2冊)、
21号(在庫2冊)、22号(在庫2冊)、23号(在庫2冊)、24号(在庫2冊)、25号(在庫2冊)、27号、28号(在庫2冊)、29号(在庫2冊)、
30号(在庫2冊)、31号、33号、35号、36号(在庫2冊)、37号(在庫2冊)、38号(在庫2冊)、43号、50号
(なお、ここに掲載していない号も、いくらかお時間をいただきますが閲覧可能です。ご希望の場合は、ご相談ください)

ほかに、ナウカ社PR誌「窓」も、以下の合本があります。閲覧ご希望の場合は、ご連絡ください。
合本のため、のどよりの複写は一部切れる可能性があります。
■創刊号(72年7月)-10号(74年9月)■11号(74年11月)-20号(77年3月)■21号(77年月)-30号(79年9月)41号(82年6月)-50号(84年9月)



販売分 10号~34号・販売分 39号~紙魚の手帳 販売分



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E+D+P 10 1982年7月 東京エディトリアルセンター 2000円
B シミ 当時の定価500円(増大号)

編集発行人・多川精一

表紙・オフセット4C・「E+D+P」ロゴの型押

E+D+P 既刊号 総目次/
エディトリアルデザイン事始・9 松本八郎/
私の模索ーその1 布川角左衛門/
E+D+P 電算写植教室・2 座談会 出版編集にWP(ワードプロフェッサ)はどんな影響を与えるか
出席者・竹原悟 吉川勇一 梶川凉子 多川精一(司会)/

戦時下国内向けポスター 40年前”集団発狂”時代の記録
日記 昭和二十年八月
「書庫を整理していて古い木箱の中から、昔書いた日記風のノートや手帖が出てきた。
その中のひとつ、昭和八年のカレンダーのついた手帖を開けてみたら、メモ風の日記があるのを見つけた。
昭和二十年八月八日から十五日までの八日間の記録である。
かすかに記憶しているが、八月六日に原子爆弾らしい新型爆弾が広島に投下されたことが八日の新聞に公表された。
愈々最後の日が来たかと覚悟をして、持ち歩いていた古手帖に遺書のつもりでメモした当時の記録である」(多川)/
体験的写真論・7 写真表現は印刷によって完成する 写真集 1982『季』(冨成忠夫)刊行の実験 多川精一

「創刊以来まる3年、やっと10号に辿りつきました。
書きたいことを、自分のテンポで、好きな形に印刷物にしていく。
ーーというような我儘なお遊びが、いつまで続くかと自他共に思っていたのですが、
趣旨に共感し協力して下さる方が次々と増え、購読申込者も1人として中止される人もなく、
出版・印刷の関係誌には好意的な書評や紹介を、度々出していただきました。
こうなると否応なく両肩に重みを感じるようになり、何とか発刊テンポだけでも確保したいと思っています。
その一方でもっと遊びの面もとりいれなくてはと考えているのですが」

「1号の「幻のグラフ雑誌FRONT」、8号の「戦時下”謀略写真”の顛末」に続いて、
戦争の記録の3回目として当時の国内向けポスターを紹介します。
これは私が40年近い間住居を転々とさせながら、持ち歩いてきた資料です。
終戦時の日記も時効になった犯罪人のように、本箱の隅から引張り出しました。
37年前の恥をさらすのも幼い時からの教育と社会環境の影響の恐しさを、戦後生まれのあなた方で知ってもらいたかったからです。
あなた方でも数年で好戦思想を簡単に持つことができるのです」(多川 「編集室から」より抜粋)

A5変形(天地14センチ×左右21センチ 上開き 以下同)

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E+D+P 11 1982年11月 東京エディトリアルセンター 1000円
B+ 当時の定価350円

編集発行人・多川精一

表紙1・フンザ川の断崖 表4・フンザ・バルチット古城

エディトリアルデザイン事始・10 松本八郎/
私の模索ーーその2 布川角左衛門/
タイポグラフィ・デザイン 1・基礎 薬師丸親彦/
モノ書き、いかに生くえきか 鈴木均/
和紙と私(1)手づくりカレンダー 小島操/
体験的差新論〔0〕号外 撮る、撮られる、見る、見せる 多川精一/
E+D+P 電算写植教室・3 第2世代ー光学系電算植字のしくみ 竹原悟

「なぜか子供のころから地図を見るのが好きでした。
小学3年生の時、アジアの一番奥にパミール高原という、8000mもの山に囲まれた所があり、
世界の屋根といわれていることを知った時から、その地域はあこがれの対象として、頭の奥に居座ったのでした。
海外に出る機会もなく50歳代も後半になり、やっと出かけたネパールで垣間見たヒマラヤの姿は、
少年の日の夢を50年ぶりに覚ますことになりました」(多川 「編集室から」より抜粋)


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E+D+P 12 1983年3月 東京エディトリアルセンター 1000円
B+ 当時の定価350円

編集発行人・多川精一

表紙・山崎嘉英
用紙・王子製紙OKミューズエディ〔ホワイト〕特厚口 四六判Y目

自ら終刊を決めて結末を飾った雑誌・アルプ/
”伝道師”太田英茂の生涯 多川精一/
エディトリアルデザイン事始・11 松本八郎/
タイポグラフィ・デザイン(2)実践 薬師丸親彦/
私の模索ーーその3 布川角左衛門/
和紙と私(2)水の音、紙の音 小島操

「太田英茂先生は私の後半生の生き方に、大きな影響を与えた人でした。
30歳年長の同月同日生れ、同じ職業畑とはいえ一緒に仕事をした事はなく、
先生と親しく口をきいたことはほんの数回にすぎません。
それでも私の心の相当な部分に、先生の生き方が染み込んでいるのです。(中略)
人間を愛し、権力を憎み、最後まで先生の向上心を持ち続けて、
90歳の天寿を全うしたシメオン太田英茂先生に、この『E+D+P』12号を捧げたいと思います」
(多川 「編集室から」より抜粋)


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E+D+P 13 1983年7月 東京エディトリアルセンター 1000円
B+ 当時の定価500円

編集発行人・多川精一

表紙(写真・文)・冨成忠夫(画家・植物写真家)

日本デザインの開拓者たち・1 アメリカ帰りの江戸ッ子 登村(とむら)ヘンリー 祐乗坊宣明/
E+D+P 電算写植教室・4 第3世代ーーCRT電算植字のちくみ 竹原悟/
和紙と私(3)雪国からのたより 小林康生さんの紙 小島操(文・写真)/
原稿整理のポイント(1)欧文表記のあれこれ 美坂哲男/
〔?(舟に山)坂〕事始 てんやわんや 松本八郎

「岩波文庫が56年目にして創刊当時のスタイルを始めて(ママ)変えました。
正確にいえば今までの表紙の上に印刷のカバーをかけたのですが、
朝日や日経といった全国紙にニュースとして取り上げられたので、ご存知の方が多いと思います。
このデザインは私たちE+D+Pのグループにまかされ、
半年がかりで5人のデザイナーが競作し、ダミーを作り、最終的に中野達彦の案が採用されました。
由緒ある岩波文庫の半世紀目の衣更えに、私たちがお手伝いできたことは、E+D+P活動のひとつの収穫であったと自負しています」
「今号は表紙は多色刷で、本文も増ページになりましたので、頒価は500円となります。あしからずご了承下さい」
(多川 「編集室から」より抜粋)


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品切れ E+D+P 15 特集・ネパールの神と人 1984年3月 東京エディトリアルセンター 1000円
B+ 当時の定価1500円

編集発行人・多川精一

「現代科学文明のあまりにも性急な発展で
未来に対して不安を覚え始めた先進国人は
豊穣や快適さと引換えに失なったものをこの国に来て改めて発見する
21世紀に生き残るために私たちがネパールの人たちから学ぶべきことはあまりにも多いようだ」(写真・多川精一)

スーリエ・ラ・チャンドラマー(太陽と月)梶川ゆう/
カトマンドゥ日記 多川精一/
東京エディトリアルセンター〔企画・編集・制作〕刊行物のお知らせ

「15号は写真と文章でネパールを特集しました。
本造りの技術情報から離れて独立テーマで1冊をまとめることは前から考えていましたが、
原稿依頼が遅れたこともあって突如15号で実現することになりました。
最初の1冊が自分の作品でというのもいささか気がひけますが、テストケースという意味でご了解下さい。
本造りから離れたといっても、用紙の印刷適性サンプルと写植組見本とは従来どおり参考にしていただけます」
(多川 「編集室から」より抜粋)

ページ数・表紙6 写真32(カラー)本文24
製本・カガリ綴 4折


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E+D+P 17 1984年12月 東京エディトリアルセンター 1000円
B+ 当時の定価500円

編集発行人・多川精一

表紙・パミール高原にて 多川精一

E+D+Pって何ですかーーコンピュータでのデータ処理(Erectronic Data Processing)を略してEDPといいますが それとは違います
EとD DとPの間に小さい+が入っているのに注意して下さい
EはEditor Editorial DはDesigner Design PはPrinter Printingのことです 従ってE+D+Pはこの三者の協力を現します
第1号で「E+D+Pについて」というこの雑誌発行の趣旨を巻頭にのせましたが 10号以降は一度も出していません
そこでどうしてこのような雑誌を出しているのかをおよそ説明したいと思います(中略)
本に今までどうりの存在価値を持たせていくには 印刷物としての質の追及こそが正道であることを信じます
よりよい出版表現を開拓し研究し実行していくには EとDとPが互いの立場と技術を理解し
共通の目標に向って協力の体勢を持たねばなりません それが『E+D+P』なのです
この小さな本 パンフレットと雑誌の合の子ーバガジンと呼んで下さいーが
正しい原稿の加工再現 いいかえれば原稿内容の視覚表現と 総合的な演出と 美しい複製がどうしたらできるか
本作り技術すべての分野にまたがる人たちの意見を集めて 考えていきたいのです」(表2より抜粋)

日本デザインの開拓者たち・4 孤高と伝統を貫いた版画家 奥山儀八郎 祐乗坊宣明
エディトリアルデザイン事始・13 松本八郎

体験的写真論(8)私の山岳写真<家>時代 多川精一
「『岩波写真文庫』時代(1954~56)以降、『太陽』創刊(1963)までに約10年間の年月があり、
この間私が本当にやりたかった本つくりの仕事が、出版界全体にまだその気運がなく私もいささか欲求不満のまま、
暇を見ては少年時代から好きだった山歩きにせいを出していました。
この頃は絵を描くよりも写真に興味を持ち山の写真に熱を入れた時代でもありました。(中略)
田淵行男氏の山岳写真に触発されたこと、
「30歳を過ぎても20代から続いている職場放浪は止まず、嘱望されて平凡社を辞めてまで入った岩波写真文庫も、
名取ラインの根強さにいささか嫌気がさして2年で辞めてしまった(その辺のいきさつは9号で書いた)
その後平凡社のぺりかん写真文庫の編集とレイアウトを非常勤嘱託として手伝い、
写真取材などにも参加して写真もの出版を総合的に経験することができた」
写真文庫以後、フリーランサーとして仕事は家でやるようになり、写真を撮りに山に行く時間も比較的捻出しやすくなり・・・

編集室から 新評論の書籍デザインと私 薬師神親彦
彫刻家・タイポグラファ・哲学者・文明評論家 エリック・ギル(Elic Gill) 庄司浅水
欧文レイアウトの手引き・1 中島正純・井上雅弘

報道写真ー日本工房1934年 伊奈信男 原弘 木村伊兵衛


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品切れ E+D+P 20 1986年1月 東京エディトリアルセンター 3000円
B+ 当時の定価500円

編集発行人・多川精一

表紙写真・薗部澄

特集 ただ1冊残った幻の雑誌『FRONT』最終号(29ページ)
「本誌創刊1号に「幻のグラフ雑誌FRONT」という記事で発表した、戦時中の対外宣伝出版『FRONT』については、
その後追い追いに写真関係の書籍や雑誌記事に取り上げられるようになったが、
多くのばあい資料収集の範囲が狭く取材も断片的であったり、時に戦時の状況や宣伝の本質を知らない者が興味本位だけで取り上げたりで、
必ずしも正確な紹介・解説までいかず、またこの出版の本質をつくものでないのが残念である。
『FRONT』は東方社という組織で第1号の通称「海軍号」が、昭和17年春 太平洋戦争開戦直後に刊行され、以後昭和19年までに9冊が発行された。
この中には「海軍・陸軍・航空部隊」といった戦力誇示のテーマばかりでなく、
「満州國建設」「華北建設」「フィリッピン」「インド」などといった占領地域の民心を宣撫する目的の号も造られていた。
しかしこれら後期のものは発行部数も少なかったせいもあって、現在残っている冊数は僅かで一般に眼に触れることは極めてまれである。
実は『FRONT』にはもう一冊「戦時下の東京」という号があった。
これは昭和20年初めに印刷され、刷本が製本所に搬入された時点で3月10日の東京大空襲にあいすべて焼失した。
従ってこの号の完本は誰の眼にもとまることなく煙と化してしまったと思われていた。
ところが今年の春、当時の美術部長でアートディレクターでもあった原弘氏の書庫を整理していた際、
この「戦時下の東京」号の刷出し一冊分をまとめたものが発見された。
これは氏が空襲の続く中をかろうじて持ち出して自宅に保存していたものである。(後略)」

第二次世界大戦の宣伝戦に戦艦『大和』があった 多川精一

日本デザインの開拓者たち・7 国土のデザインを念願する・大久保武 祐乗坊宣明
欧文レイアウトの手引き〔4〕井上雅弘・中島正純

体験的写真論〔11〕壮大な試行錯誤『太陽』の1年 多川精一(10ページ)
文庫本を読む じゃなくて 見る(1)梶川凉子

東京エディトリアルセンター20年の歩み

「私は三歳の時から何回か死に目にあう大病を経験し、小学校では担任の先生から「二十歳まで持つまい」と宣告された程の虚弱児でした。
貧乏もわが家は大体日本の栄枯盛衰と歩調を共にしてきましたから、子供の時から身に染みています。
生来気弱で我儘その上せっかちな性格の反面、覚悟すれば図々しい程マイペースに居直るのも、若いうちに不幸と病気を一通りすましておいたからかも知れません。
E+D+Pがとうとうというべきか、やっとというべきか、20号まで辿りつきました。
商品であることを拒否し無理に定期刊行しないことを出発点にするという、我儘な雑誌でありながらここまで続けてこられたのは、
私の勝手なマイペースを許し、原稿・編集・組版・印刷・用紙とすべての面で協力支援して下さった多くの方々のお力添えの賜物です。
また不定期刊行を容認して下さる長年の購読者の方にも心から感謝いたします。
今回は20号記念として未発表の戦時中の雑誌『FRONT』最終号を全ページ収録しました。
従って今号は標準の倍の64ページになります」(多川 「編集室から」より抜粋)


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E+D+P 32 1991年5月 東京エディトリアルセンター 1000円
B+ 当時の定価500円

編集発行人・多川精一

表紙(写真・文)・柿崎一馬

日本デザインの開拓者たち・17 追想・新井静一郎「ある広告人の記録から」祐乗坊宣明

新・出版レイアウト講座<4>続 レイアウト演出にはまずタイプ別基本フォーマットを 多川精一
新・出版レイアウト講座<5> 写真などの視覚原稿はレイアウトの演出で生かされる 多川精一

「私とJTB出版局とのつき合いの発端であった『るるぶ』。
その刊行準備スタッフであり以後18年間を仕事で、また海外旅行で、
楽しくつき合っていただいた『旅』編集長の竹井千穂さんが1月6日に急逝されました(後略)」
「若いうち私は一所不住などと気取って事務所を数年ごとに変えていましたが、
今の千駄ヶ谷に来て既に16年間も腰をおちつけています。
しかし共同で事務所を持つ友人の冨成忠夫さんの体がはかばかしくなく、
植物写真のエージェントである『冨成写真工房』を閉鎖したい意向を前から漏らしていました。
昨年暮れ、冨成門下の5人の写真家が後を引受けることになり、P.11にもある通り『植物写真シーズ』(ママ)として青山で再発足することになりました。
それを機会に当社も少人数になってきた所でもあり、分室と称していた場所に事務所を統合することにしました。
そのための引っ越しが2月から3月まで4回に亘って行われたのです。
(中略)以上の様の出来ごとに加えて新しいレイアウト教本の追込みが重り、生涯の中で恐らく最後になる大きな転機に振り回されていました。
(中略)そんなわけで『E+D+P』32号は久しぶりに基準ページだけの号になりました」(多川 「編集室から」より抜粋)


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品切れ E+D+P 33 1991年11月 東京エディトリアルセンター 1000円
B+ 当時の定価500円

編集発行人・多川精一

表紙・ケルムスコット・プレス版 モリス著「愛は充分」
バーン・ジョーンズ挿絵 1897年ハマースミス刊
撮影・高田行庸

「蔵書家であり古今の書物の研究と啓蒙に長年力をそそがれてきた庄司浅水先生が今年九月七日に亡くなられた。
(中略)小誌と先生の出会いは、本号で追悼文を書いている松本八郎氏の紹介で先生の蔵書を拝見いに行ったときからである。
これが縁になって『E+D+P』運動の実践の場として『美しい本の世界』が七年前に刊行された。
本号の表紙写真はその時撮影した先生の蔵書の一端である」

庄司浅水先生追悼・紙魚のお小言 松本八郎

印刷原稿としての写真の読み方 木村和也
初心者のための原稿整理講座(9)朱を入れる 梶川凉子
『日本語表示原則』についての提案Ⅱ 福村豊
新・出版レイアウト講座<6> イメージパターンの蓄積が豊かなレイアウト演出を可能にする 多川精一

「今年の3月事務所移転の際に倉庫から出てきた本誌No.1~8のバックナンバーを、購読会員に限り希望者を募ったところ、
多くの方から申込みがあり、一部抽選になった号もありましたが、殆どの方に発送でき喜んでいただけました。
NO.4以降は小部数ですが残っております。会員以外の方にもお分けしますのでお申込みください」
(多川 「編集室から」より抜粋)


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E+D+P 34 1992年5月 東京エディトリアルセンター 1000円
B+ 当時の定価500円

編集発行人・多川精一

表紙(写真・文)渡部雄吉

バーコードの無断闖入は困ります 編集部

初心者のための構成講座(1)朱筆のつぶやき 梶川凉子
編集者の私的パソコン体験記(1)佐藤章

新・出版レイアウト講座<7> 写真を生かすことがレイアウト演出の基本になる 多川精一


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E+D+P 販売分 10号~34号・E+D+P 販売分 39号~紙魚の手帳 販売分





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