古本 海ねこ トップページへ戻る



きっかけは、子どもの本でした。
私にとって面白い本は、ほとんどがイギリスの本でした。
お話の舞台がそのまま残っているって!
行ってみたくなりました。
行ってみたら、やみつきになりました。
奥が深く、抜け出せなくなりました。
本が導いてくれたイギリス各地の小道、
あなたも、ほんのちょっと寄り道しませんか?

Aの単語にまつわる話から始まって、Bの単語にまつわる話、
C、D・・・・・・そして、Zまで。
アルファベットにちなんだエッセイを毎日1話ずつ、26通りのお話を紹介します。


文/写真(本の画像除く)カーネーション・リリー・リリー・ローズ

神戸出身、関西在住。
子どもの本と絵本とチョコレートとバラををこよなく愛する、
未公認無認可イギリスびいきの会の一員。

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8月26日
西風【zephyr】

cover 西風ゼフィロスが春を運び、花を咲かせるのは、
有名なボッティチェルリの「春」「ヴィーナス誕生」という2枚の絵画に描かれています。
「春」の絵の右側、西風が捕まえようするニンフからは、
嫌でも口から花がこぼれ、ついに、女神フローラに変身しています。
「ヴィーナス誕生」の絵の左側、西風ゼフィロスが妻となった女神フローラを抱き、
ヴィーナスに風を送っています。そのフローラからは花がこぼれ咲いています。
・・・・・・と、西風はヨーロッパでは、春の訪れを告げる風のようです。
また、「キューピッドとプシケー」(*1)【5月6日】参照)では、
西風のゼフィロスが、プシケーをキューピッドの屋敷に運び、
仲を取り持つというような優しい風でもあります。

が、アリソン・アトリーの「西風のくれた鍵」の中の
「西風」の表現は、そんなに甘ったるいものではありません。

<「西風」は、「髪をふりみだし」「あらあらしく森の木をゆさぶり」
「そこらじゅうの木は、家々のドアだといわんばかりに、木の幹をたたきながら、森を走りぬけ」
「どっともどってきてジョンにおそいかかり、うすいズボンを吹き抜けて、骨までふるえあがらせ」
「ひゅうひゅうと、枝を吹き抜け、小枝をゆすって、箱の中のサイコロのようにカタカタいう音をたて」
「ジョンのぼうしをやぶのなかに吹き飛ばす」>


ふーむ。これって、日本の「春一番」?
立春のあと初めて南のほうから吹く強風「春一番」に似ています。
日本では、荒々しい「春一番」が春の前ぶれで、
春の訪れの象徴は「東風」です。
冬型の気圧配置が緩むと、東風が吹き、いよいよ春に。
菅原道真の有名な句に
「東風吹かば、匂いおこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ」
とありますね。

じゃあ、イギリスで、「東風」といえば?
マザーグースの中に、こんな歌があります。
「人やけものによくないのは東風、
腕利き漁師が海にでないのは北の風。
南の風は、魚の口に餌を吹き込んで、西風吹くのが、最高さ!」

うーん、西風ほど、東風は優遇されていません。
ところが、メアリー・ポピンズ(*2)だけは違います。
「東風」にのってやってきて、「西風」にのって帰ってしまうのです。
ちょっとシニカルなメアリー・ポピンズが柔な
「西風」になんか乗っては来ないんだということでしょうか。

さて、夏の終わりにふさわしい文が「西風のくれた鍵」(*3)の中にありました。
それを引用してA to Zのピリオドにしたいと思います。

西風の出した謎を解こうと、ジョン・バンチングは、
カエデのキィ(鍵)を使って、カエデの木のすきまをあけます。

<・・・・・・すると、カチリ!
幹の一部分が、ぱっとひらき、小さな穴――木の中の戸棚のようなもの――が、あらわれました。
そこは、はじめは、まったくからっぽのように見えました。
なかには何もなく、鏡にうつった、青白い光のようなものがあるだけでした。
ジョンは指をいれて、つめたいすべすべした、穴のかべをこすりました。
それから、日の光のようにキラキラ輝く小さいものにさわってみました。
でも、それは、手にはつかめない宝石で、
指のあいだから水のようにすべりおちていってしまいました。
それは、カエデが、自分の一ばん奥にかくし持っていた、夏の小さな絵
――このりっぱな木がつかまえて、冬のあいだ、
こっそりしまいこんでおいた、夏の日のひとかけらだったのです。
ひとひらの青空と、木の葉をとおしてさす日の光と、色あざやかな花々が、
草原のあちこちに浮かびあがっている、美しい景色でした。
草のあいだの池には、白いアヒルが三羽、つめたい深みで泳いでいました。
水の上まで枝をのばしている木では、カッコウが、
「カッコー!カッコー!」
と、歌っていました。
木の奥にかくされている、美しい夏の日の光景に見とれてるジョンの耳に、
そのカッコウの声は、かすかにきこえてきました。
・・・・・・「ぼくは、このこと、けっしてわすれないぞ。」
と、ジョンはいいました。
「これで、この木が、どうしてこんなにしあわせそうにしているのか、わかった。
木の奥に、夏がしまってあるからなんだ。」>


*1「キューピッドとプシケー」
(ウォルター・ペーター文 エロール・ル・カイン絵 柴鉄也・訳 ほるぷ出版)

*2「風にのってきたメアリー・ポピンズ」
(P.L.トラヴァース シェパード絵 林容吉・訳 岩波書店 岩波少年文庫)
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*3「西風のくれた鍵」
(アリソン・アトリー文 石井桃子・中川李枝子・訳 岩波少年文庫)
cover

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8月25日

イチイ【Yew】

cover イチイで作った弓矢を射って、自分を埋葬する場所を決めるのは、
臨終の床のロビン・フッド(*1)です。
矢は、奇しくも、イチイの木の根元にささり、ロビン・フッドは、そこに埋葬されます。
英米植物民俗誌によると、
<・・・・・・イチイは、材質が固く、弾力性に富み、腐りにくく、
古くはこれで弓を作り、また、イチイは常緑樹で寿命も長いので、
永遠の生命の象徴とされ、
古代からの宗教やキリスト教の教会墓地の木とされている。・・・・・・>
とありました。

木を思いのままの形に変えるというのは、自然を制してきた西洋人の発想ですが、
イチイの木は鳥や動物の形に刈り込むトピアリー(【2月6日】参照)や生垣にする木として、
イギリスのガーデンでよくみかけます。
ロンドン郊外のハンプトンコートでは、並木道のような大きなものから、
小リスのような小さなものまで、いろんな形に刈り込まれたトピアリーが見られます。

絵本の中で、たくさんのトピアリーを見ることができるのは、
「おとうさんの庭」(*2)ですが、
お話の中のトピアリーといえば、「まぼろしの子どもたち」(*3)
【12月1日】参照)のグリーン・ノウのお屋敷です。

<・・・・・・トーズランド少年は、植木のシカをなでました。
首がやわらかでした。
まるで生きているようで、目のついていないのがおかしいくらいでした。
目がないから、野そだちに見えるんだな、少年は思いました。
すごい魔法だなあ! 息をのむ思いでした。
しかも見ていくうちに、大きなブナの木の下に、
高だかとしっぽをかかげた、緑あざやかなイチイの木のリスがすわっているではありませんか!
リスもまた、耳をそばだてているようでした。
・・・・・・トーリーは、なおも走りつづけて、
小道をくだり、イチイの植木のクジャクのそばをとおりました。
クジャクは、わりにふつうの感じでした。
どんどんいくと、緑色の野ウサギ、つまり植木の野ウサギが一個、
水ぎわにまっすぐからだを立てていました。
それから小道はにわかにまがって堀をはなれ、
一列の立ち木と、もじゃもじゃした下生えやいばらのあるあたりへでて、
そのやぶでほとんど歩けないくらいでした。
でも、道は、イチイの木のおんどり、
めんどりのあいだをくぐって、ひろい芝生にでました。・・・・・・>


*1「ロビン・フッドのゆかいな冒険」
(ハワード・パイル作・絵 村山知義・亜土訳 岩波書店 岩波少年文庫)
cover
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「ロビン・フッド物語」
(ローズマリ・サトクリフ作 ウォルター・ホッジス挿絵 山本史郎・訳 原書房)
cover


*2「おとうさんの庭」
(ポール・フライシュマン文 バグラム・イバトゥリーン絵 藤本朝巳・訳 岩波書店)
cover


*3「まぼろしのこどもたち」
(ボストン作 瀬田貞二・訳 偕成社文庫)
「グリーン・ノウ」シリーズ
(ボストン作 亀井俊介・訳 評論社)

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8月24日

キス【X】

「X」は手紙末尾などにつけるKISSの意の符号
・・・・・・とリーダーズ英和辞典にありました。
これを絵本で見たのが、アーディゾーニの「チムとゆうかんなせんちょうさん」(【12月7日】参照)
シリーズの「チムひとりぼっち」(*1)でした。

ひとりぼっちになってしまったチムがいろんな危険な目に遭いながらも、
もとのうみべの家に無事に帰ってきた後、
親切にしてもらったおばさんにお礼状を書くのが、最後のページです。

絵の中の手紙にはこう書いてあります。
「はいけい。へティおばさん。
ぼくはおとうさんとおかあさんをみつけました。
おばさん、ぼくのうちへきて、いっしょにおくらしください。チムより XXXXXX」

この話は、チムのシリーズの中でも、ちょっとありえない発端、発展です。
それだけに、子どもたちにこの絵本を読んでやったとき、
子どもたちは緊張して耳を傾けていました。
そして、チムがガラスごしに
「ひょっとして、ぼくのおかあさん?」
というところまで、肩に力がはいっていたのを覚えています。
その次、ページを繰ると、感動の対面です。
そこで、聞いていた子どもたちが、一気にほっとした様子になったのがわかりました。

ところで、チムのもとのうみべの家というのは、どこにあると思いますか?
最後から2ページ目に描かれていますが、ドーバー海峡に面したおうちのようです。
白い崖がちゃんと描かれていますから。
絵本は、文字に書かれていない背景や暮らしぶり、
その性格までも伝えてくれる時があるので、とても面白いのです。

もうすこし、「チムひとりぼっち」を見てみましょう。
お母さんと感動の対面をして、
お母さんに今までのことを夢中でチムが話しているのは、その表情でわかりますが、
一緒に助かった猫はどうしているのでしょう。
はい、ちゃーんと、お皿にミルクを入れてもらって、チムの足元で飲んでいます。
もちろん、チムの紅茶が温かいものであるのは、その湯気で判ります。
お母さんが、チムの話に聞き入っているのは、お茶を飲んでいないところからわかります。
自分のカップをチムに与え、それに温かい紅茶をいれたのです。
そして、チムがまだ小さい子で、テーブルの高さが合ってないのは、
チムのお尻の下に分厚い本を敷いているところからもわかり、
チムの冒険が、その幼さからも大変だったことを物語っているのです。

アーディゾーニは、自分で文を書き、絵を描いただけでなく、
他の作家の面白い作品にたくさん挿絵を描きました。
ファージョンの「ムギと王さま」(*2)しかり。
ウォルター・デ・ラ・メアの「孔雀のパイ」(*3)
フィリッパ・ピアスの「ハヤ号セイ川を行く」(*4)
セシル・ディ・ルイスの「オタバリの少年探偵たち」(*5)
ピーター・パン、ロビンソン・クルーソーなどなど。

そして、今やグーグル・アースで確かめられる
アーディゾーニの絵本「ダイアナと大きなサイ」(*6)
この絵本には
「リッチモンドの町のクィーンズ通り43番地に住む
孫のスザンナ、クエンティン、ドミニクへ」
という献辞が最初にあります。
そして、お話の中にはこうあります。

<・・・・・・さて! もしあなたが、夜おそくに外にいて、
目をこらして見たら、そして、もし運がよかったら、
とてもとても年とった女の人が、白いふくをきて、
とてもとても年とったサイをつれているのを見かけるかもしれません。
もし見かけたら、それは、ダイアナとサイです。
ふたりが、リッチモンドの町の、
通りの並木道で、夜の散歩をしているのです。・・・・・・>


ええ、ええ、広大なリッチモンドパークに程近い、
閑静な住宅地に、確かこんな並木道ありました。

*1「チムひとりぼっち」
(アーディゾーニ作・絵 神宮輝夫・訳 偕成社)
cover
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「チムとゆうかんなせんちょうさん」
(アーディゾーニ作・絵 瀬田貞二・訳 福音館書店)
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*2「ムギと王さま」
(エリナー・ファージョン作 アーディゾーニ絵 石井桃子・訳 岩波少年文庫)
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*3「孔雀のパイ」
(ウォルター・デ・ラ・メア詩 アーディゾーニ絵 まさきるりこ・訳 瑞雲舎)
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*4「ハヤ号セイ川を行く」
(フィリッパ・ピアス作 アーディゾーニ絵 足沢良子・訳 講談社青い鳥文庫)
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*5「オタバリの少年探偵たち」
(セシル・ディ・ルイス作 アーディゾーニ絵 瀬田貞二・訳 岩波少年文庫)

*6「ダイアナと大きなサイ」
(アーディゾーニ作・絵 あべきみこ・訳 こぐま社)

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8月23日

Winchester【ウィンチェスター】

ウィンチェスターは、好きな街の一つです。
田舎の村々もいいものですが、ウィンチェスターやバース(【J】参照)のような古都も魅力的です。
中世の街並みが残るハイストリートには、
剣をかざし、なかなかかっこいいアルフレッド大王の像(*1)があります。
アルフレッド大王は、バイキングの侵入からイングランドを守り、
イングランドを統一した王様です。
そして、この街は、ローマンブリテン時代、ベンタ・ベルガラム(*2)と呼ばれ、
首都がロンドンに移されるまでイングランドの首都でした。
アーサー王の円卓(*3)(【A】参照)もあります。

ハイストリートを過ぎると小川のせせらぎ、せせらぎにかかる柳。
少し歩くとこんもりした丘。丘から街を眺めるのも、楽しい。
リスが背後を走りました。美しい街です。
アンティークフェアでとても安いスプーンを買ったのも、この街でした。(【12月19日】参照)

この街では、一人で泊まる予約を入れたのに、通されたのはスイートルーム。
ドアを開けると天蓋つきベッドの部屋と、ダイニングルームに分かれていました。
何度確認してもシングルと同じ料金だというから、
ダイニングルームに鍵をかけ、天蓋つきベッドに「よっこらしょ」と、泊まる事にしました。
が、天蓋ベッドの前に、古びた大きな鏡。こわーい。
で、部屋中のソファや枕をかき集め、鏡の前に並べ、
眠るときは見えないようにしました。とほほ・・・・・・。
バスルームも、天井が高い上に10畳はあろうかと・・・・・・。落ちつかない。
結局、バスルームの明かりを煌々とつけ、テレビをBBCにしたまま、布団をかぶって寝ました。

ところで、偶然、その日は、復活祭の聖週間の一日だったらしく、
ウィンチェスター大聖堂では、夜、バッハのヨハネ受難曲の教会カンカータが開催されると、
教会の案内板にありました。
それで、残り少なかった当日券で、生まれて初めて教会カンカータを聞くことができたのです。
少々冷え込む教会での100人以上の合唱、数人のソリストたち、そしてオーケストラ。
天上から聞こえるようなこの歌声に聴きほれました。
教会で聞く、パイプオルガンも天上からの響き。
昼間、ステンドグラスからもれる光は、天上からの光。
信仰心のない者も、教会の小道具、大道具には、いつもクラクラするのです。

*1「アルフレッド王の戦い」
(C.W.ホッジス作・絵 神宮輝夫・訳 岩波書店)
「アルフレッド王の勝利」
(C.W.ホッジス作・絵 神宮輝夫・訳 岩波書店)

*2 ベンタ・ベルガラムという土地は、「ともしびをかかげて」(【5月5日】参照)の中で、
ルトピエと同じように重要な土地です。

*3「ともしびをかかげて」
(ローズマリ・サトクリフ作 キーピング絵 猪熊葉子・訳 岩波書店)
「ともしびをかかげて」の続編は、「夜明けの風」
(ローズマリ・サトクリフ 灰島かり・訳 ほるぷ出版)
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8月22日

the Velveteen Rabbit【ビロードうさぎ】

「ビロードうさぎ」というお話は、
岩波子どもの本で、他のお話とカップリングされて出ています。
が、とてもいいお話なのに、絵がお話のイメージと違い、
しかも、ウィリアム・ニコルソン絵の原書に似過ぎた構図が多く、不満でした。

そんなとき、最近、酒井駒子の丁寧な温かい絵で
「ビロードのうさぎ」(*1)が出版されたのは、とても嬉しかったです。
(抄訳というのが気になりますが・・・・・・)

そして、この画家が挿絵をつけた
「きかんぼのちいちゃいいもうと」(*2)もとても楽しいお話なのに、
以前は別の画家が、少々主人公のイメージと異なる挿絵で、
原書のシャーリー・ヒューズのものとよく似た構図で出版しており、これまた不満だったのです。

もしかして、この画家と不満の種が一緒?・・・・・・な、わけないでしょうが、
もとのお話のイメージをうまく伝え、さらに想像を膨らませる挿絵は、
とても重要な役割を担っていると思います。

もちろん、今では日本でもウィリアム・ニコルソン絵の「ビロードうさぎ」(*3)
しかも石井桃子・訳文で出版されています。
愛とは何か? 本物とは何か? と静かに語りかけるこの「ビロードうさぎ」のお話は、
石井桃子の名訳とウィリアム・ニコルソンの格調高く深みのある絵により、伝わるものが大きいです。
ウィリアム・ニコルソンは、決して子どもに媚びることなく、本物を伝えようとするのです。

ウィリアム・ニコルソンは、絵本「かしこいビル」(*4)で、我が家にはおなじみです。
ドーバーの白いおうちに住むおばさんからの招待状をもらって、
メリーは大慌てで、荷物をかばんに詰め込みます。
そしたら、なんと! なんと! 衛兵人形のビルを入れるのを忘れてしまったのです。
ビルは泣いてないで、すぐに立ち上がり、
<・・・・・・はしって、はしって、とうとう、ドーバー駅で、メリーに追いつきました。かしこいビル!>

アニメーションのように、絵本の絵が動くわけではありません。
けれども、ビルが走っているページを繰っていると、
「はやく。はやく。」
と、自分も走っているような気持ちになります。

ウィリアム・ニコルソンは、子どもの本の画家ではありません。
版画の仕事が有名ですが、彼の描く静物画は、
見ている者も、優しい気持ちになれます。
花や銀器を描いたものも多く、ロンドンナショナルギャラリーにあるフランシスコ・
スルバランの「銀の皿の上のカップと薔薇」と同じような静謐さを感じる作品もあります。
そして、彼の代表作といえば、「ヴィクトリア女王」の版画です。
どんな絵か、ご覧になりたければ、少々小さいですが、
「かしこいビル」のなかで、ちゃっかり、おばさんの絵の後ろの壁に飾られていますから、どうぞ。

ウィリアム・ニコルソンの息子、ベン・ニコルソンも画家です。
宝島の挿絵のN.C.ワイエス(【R】参照)も、親・子・孫で、それぞれ、画家になりました。
ウィリアム・ニコルソンもN.C.ワイエスも、
子どもの本の挿絵を手がけていたという点が、共通していて興味深いです。

*1「ビロードうさぎ」
(マージェリー・ウィリアムズ 石井桃子訳 ウィリアム・ニコルソン 童話館出版)
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*2「きかんぼのちいちゃいいもうと ぐらぐらの歯」
(ドロシー・エドワーズ 渡辺茂男・訳 酒井駒子・絵 福音館書店)
cover

*3「ビロードのうさぎ」
(マージェリー・W・ビアンコ 酒井駒子 抄訳・絵 ブロンズ新社)
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*4「かしこいビル」
(ウィリアム・ニコルソン作・絵 よしだしんいち・まつおかきょうこ訳 ペンギン社)

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8月21日

Used Book【古本】

USED BOOK、古本のことです。
骨董品は、100年以上たったものをアンティークというようですが、
100年経ずとも、Used のものには、それぞれ深い味わいがあると思います。

若い頃は、骨董とか古本にまったく興味がなかったのです。
どちらかというと、前の人がどんな扱い方をしていたのかが気になりすぎていました。
「ふーむ、この指輪は、テムズに沈んだ人から抜いたもの?」
「このブローチをつけて、貴婦人は、背後から、刺された?」
「この銀のスプーンで、毒をもったのは誰?」
「この本は、幽霊屋敷と呼ばれる屋敷に眠っていたの?」
おおおおおおおぉぉぉぉぉ・・・・・・!
それが、今では、
もしかしたら、怪しさの履歴を持つかもしれない古いものの履歴を想像するのが楽しい。

「チャリングクロス84番地−書物を愛する人のための本」(*1)では、
アメリカに住む客と、チャリングクロスの古書店店員の手紙でのやりとりが書かれています。
本を愛する者同志、離れていても、戦争を挟んでいても、
しっかりと絆がはぐくまれる様子が、静かな感動を与えます。

実際にチャリングクロス84番地にあったその書店は、閉店し、
その辺りの古書店も、めっきり数が減っています。
残ったお店に入っていき、カウンターにカバンを預け、
地下に降りていくと、湿気た匂い。
さらに奥へ奥へ、どこまで続いているんだろう
・・・・・・まあ、大体、横文字にシンパシーを感じているわけではないので、
書棚から、掘り出し物を見つけ出すのは至難の業。

今は、古書もネットで見つけ出せるし、
その店主と文通までは行かずとも、メール交換できるので、本当に便利になりました。
が、実際に、古書店や骨董屋さん行って、一期一会を楽しむのも一興です。
探しているものに出会うことなど、ほとんどありません。
それでも、願えば叶うこともあります。

何年か前、ラファエル前派の活動に興味関心があった時期に、
一度見てみたいと思っていた本がありました。
桂冠詩人アルフレッド・テニスンの詩に、
ラファエル前派の面々が挿絵をつけた詩集でした。
ケルムスコットマナー(【K】参照)なら、
きっと展示くらいしているだろうと思っていましたが、ありませんでした。
ところが、子どもの本を探しに行ったロンドンの古書店にありました。
本棚の上のほうに、背表紙と中身がかろうじてつながるような、その本がありました。
今ほどポンド高ではなかったので買えそうでした。
が、とても重い・・・・・・夕方便で帰国する予定だったので、荷物を詰めてしまった私には重い。
まだ紅茶も買わなくちゃ・・・・・・。
紙が上質で375ページもあり、
表紙は当時流行っていた革に似せた紙の分厚いものに金の型押し、周りにも金。
・・・・・・重い。

結局、購入を決定的にしたのは、表題の横のページにあったサインでした。
『アリス・ヘイワードへ 思い出の日 1865年9月21日に ハワードと兄弟より』

日本に帰って、西洋古書専門の修復家に本代より高い修理代をお払いして、
立派な本は復元され、今手元にあります。
テニスンの詩は英語ですから、なかなか読むまで行かず、
挿絵を眺めるのが精一杯の買い物です。
が、サインを眺めると、わくわくするのです。
どんな人がこの本を開けたのでしょう?
どんな部屋で、この本を渡したのでしょう?
朗読したのでしょうか?
どんな椅子に座って?
・・・・・・後で調べると、当時でも高価な本ですから、労働者階級の人ではなさそうです。
どの世代の人がこの本を手放したのでしょう?・・・・・・

以来、サイン本というのに関心があります。
ネット検索して、ファージョン【F】が
弟の作家ハーバートに送ったとても小さな詩集
“SONGS for MUSIC”を手に入れたときも、嬉しかったです。
サインは、こうです。
「バーティへ 愛を込めて ネリーより 1922年5月24日」

バーティは、ハーバートの呼び名、ネリーも呼び名です。(*2)
もし、サインを鑑定することがあったとして、
その結果本物でなくても、そんなこと、私にはさほど重要じゃないかもしれません。
フランス綴じのその小さな本をペーパーナイフで開けたのは、
弟のハーバートなのだと考えることがちょっと楽しいのです。

そのサイン本を扱っていた古書店には、
ファージョンのサイン本が何冊か在庫されていました。
そのうち、一番安かったのが、私の手元のものです。
そんなプライベートな本が何故、何冊も売りに出されたのか?
誰が売りに出したんや?
思わずファージョンの伝記に出ている家系図を引っ張り出しました。(*3)

テニスンの本には、一本の金髪、
ファージョンの本には、押し花のかけらが、はさまっていました。
もし、それが、立ち読みした人の金髪であり、
ブドウを食べながら読んでいたブドウの皮であったとしても、いいのです。
USED BOOKには、いろんな秘密がつまっているから面白いのです。

*1「チャリングクロス84番地」
(ヘレーン・ハンフ 江藤 淳・訳 中央公論文庫)

*2 関連本:「対訳 テニスン詩集―イギリス詩人選(5)」
(アルフレッド・テニスン 西前 美巳・訳 岩波文庫)
cover
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*3「ファージョン自伝―わたしの子供時代」
(エリナー・ファージョン 中野節子・監訳 広岡弓子・原山美樹子・訳 西村書店)
cover


*3「エリナー・ファージョン伝ーー夜は明けそめた」
(アナベル・ファージョン 吉田新一・阿部珠里・訳 筑摩書房)
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8月20日

Thames【テムズ】

cover テムズ川は、コッツウォルズ(【K】参照)からオックスフォード(【O】参照)を通り、
ヘンリー・オン・テムズ(【12月14日】参照)、マーロー(【M】参照)、
クッカム(【12月14日】参照)を過ぎ、
ハンプトンコート・リッチモンド・キューガーデン(【G】参照)のそばを流れ、
大ロンドンに流れこんでいます。
大ロンドンでは、テートギャラリーの前を過ぎ、
サボイホテルやコートールド美術館(サマセットハウス)の前をすぎ、
ビッグベンの前を通り、テートモダーン美術館、
グローブ座、ロンドン塔を左右に見て、グリニッジ・・・・・・、そして海へ。

グレアムの「たのしい川べ」(【12月14日】参照)は、
テムズ川上流の長閑で愉快な話ですが、
ディケンズ(【D】参照)の「大いなる遺産」(*1)は、
テムズ川河口近くの沼地から話は始まります。

<・・・・・・この地方は、テームズ川の下流にある沼沢地帯で、
川がまがりくねっているので、海へは20マイル足らずのところにあった。
・・・・・・堤や土手や水門があって、牛がちらほら草を食べている、
教会のむこうの、暗い、まっ平らな荒地は、沼地だということ、
そのむこうに見える低い鉛色の一条の線は、川だということ、
風が吹きまくってくる、遠くの荒涼とした、
野獣の巣窟みたいなところは、海だということ・・・・・・>


この沼地にあった監獄船の脱獄囚との恐ろしい出会いが
ことの発端となるミステリアスな展開です。
ディケンズ作品の様々な人物の登場がしんどくて、
なかなか読み進まない人が、
ミステリアスなヴィクトリア時代のテムズ川周辺を読みたいと思われるなら、
子ども向きの作品、ガーフィールドの「テムズ川は見ていた」(*2)
「見習い物語」(*3)は、どうでしょう。

<・・・・・・女の死体はブラックフライアーズ階段から、テムズ川に流された。
死体はちょっとのあいだあおむけに浮かんでいたが、
腰にくくりつけられた石の重さで、すぐにぶくぶくと沈んでいった。・・・・・・>

<・・・・・・ポールキャットはとうとうテムズ川にまで探しにいった。
川はきらいだった。黒い水は、不気味だし、
それに、川には死のにおいがただよっている。・・・・・・>


ふーむ。2冊ともヴィクトリア朝ロンドンの話だとはいえ、
グレアムの「たのしい川べ」と、ずいぶん違うなぁ・・・・・・。

*1「大いなる遺産」
(ディケンズ 山西英一・訳 新潮文庫)
cover
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*2「テムズ川は見ていた」
(レオン・ガースフィールド作 高橋健一・訳 徳間書店)
cover


*3「見習い物語」
(レオン・ガーフィールド 斉藤健一・訳 福武書店 岩波少年文庫)
cover


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8月19日

Stonehenge【ストーンヘンジ】

cover →右の絵・桐山暁

ストーンヘンジは、古代の遺跡です。
円陣状に大きな岩が直立して並び、
それらの上に、これもまた大きな岩が載せられています。
この大きな岩は、どこからもってきたのでしょう?
どうやって? 何のために?

周りには、岩らしい岩も無く、草地のみが広がっています。
全方向、見晴らしがいいです。
山や丘は見えません。
木々すら、ずいぶん遠くのほうにあります。
ただ、現在は、見渡せる少し向こうに大きな道路が通っていて、
びゅんびゅん車が走っていきます。

今、この巨石文化の見学は、ロープを張られた外側からしか見られなくなっています。
が、事前に申し込むと、早朝と、日の入り時刻のどちらかを選んで、
「目的は何か?」とか、「営業用写真ではないか?」とか、
「持参するカメラの機種は何か」?などという質問に答えた上、
お金も払って、少人数だけが短時間だけ、巨石サークルの中に入ることができます。

そんな面倒な手間を考えても、サークルの中に入るのは、ちょっと感動です。
古代の人も、ここに立っていた!
ここから、沈む夕日を見ていたんだ!
夏至の日には、この岩とあの岩を結ぶ直線状に日が昇るらしい。
ほら、あの上の岩のくぼみに鳥の巣?
足元の白い花、あなたの根はいつからそこに生えていたの?
・・・・・・・・・・・・・・・

ストーンヘンジを逃避行の終焉の地に選んだのは、
トーマス・ハーディ「ダーバヴィル家のテス」(*1)のテスとエンジェルでした。
ダーバヴィル家というものに翻弄されたテス 最後の地が、
ダーバヴィル家というものがなかった有史以前のストーンヘンジだったのです。

<・・・・・・彼女は眠ってしまった。
東の地平線にそった青白い銀色の帯のために、
その大平原の遠方の部分さえも暗く、近くなって見えた。
そして、巨大な風景全体が、夜明けのちょっと前にいつも見られる、
あの遠慮と沈黙と躊躇との印象をおびた。
東の方の柱と、その大梁とは、二人の向うに立っている、
焔の形の『太陽石』や、中間にある『犠牲(いけにえ)の石』とともに、
光を背に負って、黒々とそびえ立っていた。
やがて夜風は静まり、石柱にある盃形をした凹の水も震えなくなった。
そのとき、・・・・・・・・・・・・>


*1「テス」
(トーマス・ハーディ作 井上宗次・石田英二・訳 岩波文庫)

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8月18日

Rye【ライ】

ライの町は、ドーバー海峡に面しています。
かつて、海賊たちは、この辺りの海岸から、出入りしていたようです。
特に、ライのマーメイド・インは、海賊のたまり場で、密売の相談所だったとも。
イン(旅籠)が出来たのが、1420年!
建物自体は、もっと古いようですが、
今もホテルとして、酒場の方は、レストラン兼パブとして営業しています。

この小さな古い町に行きたかったのは、ほかでもありません。
「ヒナギク野のマーティンピピン」(【F】参照)に「ライの町の人魚」という話があるからです。

お話自体は、軽妙です。
人魚族の中でも一番下等とされているウィンクルの中で生まれた
「マーメイド」のウィンチェル嬢が、ライのマーメイド旅館の
「バーのメイド」として、今でもやっているというお話。
ウィンチェル嬢が生まれたのは、東の海と丘の間の、
潮の流れ込む沼地で、水は平らで、灰色であまり見栄えがしないらしい。

で、行ってみたのです。
駅から、こんもりと丸い丘にあるマーメイド・インに着いたのは、曇天の薄暗い夕方遅くでした。
人がほとんど歩いていない石畳の通りを上り、やっと着いたと思ったら、
床も階段も傾いた屋根裏部屋!!!
その頃は、屋根裏部屋も一興と思っていましたから、
重々しい鍵を受け取り部屋に入ると
「わぁーい!」
屋根裏の小窓から見えるのは、暗い空。
部屋には、大きな大きなワードローブ。
その中に入ったら、ナルニアに行ってしまいそう。
・・・・・・で、朝明るくなるまで、誰もそのタンスを開けることができませんでした。
それから、屋根裏部屋には人がやっと通れるくらいの細い通路があり、
その先には、小部屋。
小部屋にもベッドがあって、一人寝ることができました。
が、そんな怖いこと!
結局、大き目のベッド2つに3人で寝ました。

夕食後、「今夜こそ、パブで飲もう!」(【N】参照)と、固く約束したのに、
床と階段が傾いているせいで気分が悪くなった一人は、リタイア。
私とザルのようなもう一人で頑張って、海賊の巣窟へ。

頑張って起きていてよかった。
間口の広い暖炉の上には、甲冑と槍。
こってり彫り物のなされた椅子。
いつから使っているのかわからないくらい古そうな、テーブル。
ああ。海賊のざわめき、怒鳴り声が聞こえます。

<碧り色こい海原に、しぶとく大浪乗り越えて、
おいらの思ひ涯しない、おいらの心とび回る。
風吹きわたるかなたまで、泡だつ波の向ふまで、
おいらの天下、かぎりない、
おいらの棲み家、海の上!
これがおいらの縄張りさ、縄張り破る奴はいない
――おいらの旗がひるがえりゃ、靡かぬ奴は一人もない。
その日その日は荒れくれて。
てんやわんやの大騒ぎ、
仕事がすめば一服だ、その日その日が楽しみさ。・・・・・・>
(*2)

見えてくるのは、N.C.ワイエスの描くような海賊たち(*3)【5月14日】参照)。
が、結局、ウィンチェル嬢はお休みだったのか、見かけませんでした。
翌朝、近くを散歩し、海がよく見える塔のところまで行くと、海が少し遠い。
うーん沼地! 水は平らで灰色で、あまり見栄えがしない!

15年ほど前に行った頃、ライという町は、
ほとんどガイドブックにも出ていませんでした。
中世の面影を残す石畳の坂道や建物は風情があり、
陶器工場があり、アンティークも豊富ということで、
最近は、日本からの観光ルートにも入っているようです。
それに、ヘンリー・ジェイムズもルーマー・ゴッデンも関係があった町と後で知り、
ファージョンと、違う角度で再訪したい町のひとつです。

*1 ヒナギク野のマーティンピピン
(ファージョン作 石井桃子・訳 岩波書店)



*2 「海賊」
(バイロン作 太田三郎・訳 岩波文庫)

*3 「Treasure Island」
(Robert Louis Stevenson作 N.C.Wyeth絵  Gollancz)
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8月17日

Queen【クィーン】

cover クィーン、今のエリザベス二世はともかくとして、
エリザベス一世とヴィクトリア女王の時代は、明らかにイギリスの大繁栄期でした。
しかも、エリザベス二世も含めて、3人とも在位期間が長い!

ヴィクトリア女王とアルバート公は、仲のよい夫婦で、子どもも9人いたため、
理想の家族として、イギリス人のモデルとされ、
その影響から、おもちゃや絵本、子ども服・・・・・・など、子どもの文化も発展していきました。

ロンドンの子どもおもちゃ博物館に行くと、
本物のお屋敷を縮小した人形の家がたくさん展示されています。
とっても大きな人形の家!
"日本の家に、こんな大きな人形の家置いたら、寝るところがなくなってしまうやろ!"
と、突っ込みたくなるくらい大きなおもちゃです。
もちろん調度も本物のような造りのミニチュア。
本物の銀、使っているんだろうなぁ・・・・・、
人形の家だけでなく、子ども用のお茶道具、子ども用のテーブルに椅子・・・・・・、
「すぐに大きくなるのにぃ」
などとけち臭いことは言わないのでしょう。

また、遊びにくそうなひらひらしたお洋服の子どもたちを描いた、
ケイト・グリーナウェイの絵本が人気を博したのもこの治世です。
今でいう、子ども服ファッション雑誌の意味合いもあったのでしょう。
ケイト・グリーナウェイだけでなく、
エドモンド・エヴァンスという印刷家のおかげで、
ウォルター・クレインやランドルフ・コルデコットの美しい挿絵本が出来、
それが挿絵本の基礎となりました。(*1)

反対に、独身で子どものいなかったのが、エリザベス一世です。
彼女は、芝居好きだったようです。
今も人気を博すシェイクスピアのお芝居も、この治世です。
映画「恋に落ちたシェイクスピア」で
J.デンチがエリザベス女王として出ていましたが、
お忍びで、グローブ座(【2月24日】参照。
右写真は、グローブ座のファンファーレ)に観にくるシーンがありました。

国が繁栄すれば、余裕ができ、文化も花開くといったところでしょうか。
血なまぐさかったエリザベス朝ですが、古楽器演奏を聴いていると、
不思議と、まったりおっとり、気分が落ち着きます。
家庭的模範のあったヴィクトリア朝の画家たち(【K】参照)の物語る絵を見ていると、
妖しい世界に引き込まれそうです。
そして、現在のエリザベス二世の治世のビートルズ・・・、
いつも、エネルギィをもらえます。

○エリザベス一世:1533生まれ 在位期間(1558―1603)
○ヴィクトリア女王:1819生まれ 在位期間(1837―1901)
○エリザベス二世:1926生まれ 在位期間(1952−)

*1「<子どもの本>黄金時代の挿絵画家たち」
(リチャード・ダルビー著 吉田新一・宮坂希美江・訳 西村書店)
cover
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8月16日

Peter Pan【ピーター・パン】

ピーター・パンの完訳を読んだのは、大人になってからでした。
子どものときは、多分、ダイジェスト版。
それでも、ピーターの活躍や、子どもたちの行ったネバーランドには想像が膨らみました。

大人になって、福音館古典シリーズの「ピーター・パン」(*1)を読んで、びっくり!
ピーターが登場する以前も充分面白い。なのに、知らなかった、
・・・・・・乳母のナナが犬であり、
子どもの管理をできなかったお父さんが反省して犬小屋暮らしだなんて・・・・・・。

「ケンジントン公園のピーター・パン」(*2)では、その誕生秘話が書かれています。
子どもはみんな人間になる前は、「鳥」だったから、
生まれてから2,3週間ぐらいの間は、
少し人間離れしたところがあるのが当たり前だって知っていましたか?
ふーむ、なるほど。
それを思い出すには、両手でこめかみのところをしっかりと押さえて
長い間一生懸命考えれば思い出すかも・・・・・・と、作者J.バリーは書いています。

ピーター・パンは、バリーのとても親しい子どもたちを
励ますために作られた背景を持つため、
何か元気の源が詰まっているような気がします。

ケンジントン公園には、実際にピーター・パンの像があります。
映画「ネバーランド」で、作家J.バリー役のJ.デップが
子どもたちと出会うのも、感動的なピーターとバリのベンチのシーンもケンジントン公園です。

ケンジントン公園は、このページTOP写真のハイドパークに隣接しています。
近くにはホランドパーク(【H】参照)もあります。
ロンドンのど真ん中にある公園たちです。
広々として、緑も多く、TOP写真のような光景は、よく見られるのです。

TOP写真は、早朝、走り回っちゃ、ご主人様のところに戻り、
また、走り回る・・・を繰り返していた犬が、
ご主人に何か報告しに戻ったちょうどその瞬間です。

*1「ピーター・パンとウェンディ」
(ジェイムズ・バリー F.D.ベッドフォード挿絵 石井桃子・訳 福音館書店古典シリーズ・福音館文庫)
cover cover
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*2「ピーター・パン」
(J.M.バリー作 高橋康也・高橋迪・訳 アーサー・ラッカム 絵 新書館)
こちらのピーター・パンが「ケンジントン公園のピーター・パン」の話です。

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8月15日

Oxford【オックスフォード】

オックスフォードには、ロンドンから特急なら、1時間ほどで着きます。
コッツウォルズに向かうときは、オックスフォードを経由することが多いのですが、
気のせいか、思い込みのせいか、電車に乗っている若者が賢そうに見えます。
難しそうな分厚い本を読んでいるからです。
最近、日本の電車では、ケータイなど電子機器に時間を喰われ、
本を読んでいる若者をあまり見かけなくなったと思います。
一時期多かった漫画も、最近はあまり、見かけません。
イギリスでも携帯を持っている人は多いですが、
ちまちまメール打っているという感じでなく、大声で喋っている印象が強いです。

オックスフォードに行く第一の目的は、
実をいうと、ママレードだったかもしれません。

もとはといえば、アーサー・ランサムの「女海賊の島」(*1)で、
ミス・リーが、こう言い切っているからです。

「わたしたちはいつも、ケンブリッジで
オックスフォードのママレードをたべていました。
学者も教授もケンブリッジのほうがすぐれています。
でも、ママレードはオックスフォードがおいしい。」


ロジャ(【3月12日】参照)も言います。
「とってもおいしい朝食をだしてくれます。
オックスフォードのママレードがあります。
ほら、知ってるでしょ。茶色でほんとうに汁気の多いやつ。」


ほら、知ってるでしょ・・・・・・といわれたら、知りたくなるのです。
オックスフォードのママレード。
オックスフォードだけでなく、イギリス各地、はては日本でも買えるけれど、
オックスフォードで、フランク・クーパー社のママレードを購入しました。
長年、イギリス人の舌を捕らえてきたママレードは、ほろ苦いし、
確かにきれいなオレンジ色ではなく褐色に近い色合いでした。
イギリスでは、保存食のママレード(【12月18日】参照)が、
一日で一番おいしい朝食に彩りを添えてきたのです。

ミス・リーと違い、個人的には、ロンドンの高級食料品店(【12月3日】参照)の
ママレードのほうが好きです。
苦さと甘さがうまくマッチしているからです。
その売り場に並んでいるジャム・ママレードの種類の多さ・・・!
柑橘系のママレードだけでも、十種類以上あります。
大きくカットしたままのもの、香り高いもの、
ジューシーなもの、きれいなオレンジ色のもの、レモンもあります。
うーん、どれにしよう?
本腰をいれて、ママレードのラベルをゆっくり確認したいのですが、
「はよ、せーよ、オーラ」の出ている夫や娘が、後ろで立っている状況では、
なかなかママレード探しも大変です。

*1「女海賊の島」
(アーサー・ランサム 神宮輝夫・訳 岩波書店)
cover
アーサー・ランサム全集 全12巻
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8月14日

Near Sawrey【ニア・ソーリー村】

ニア・ソーリー村に、百年以上前、住んでいたウサギは名前を、
ピーター・ラビットといいました。(【3月12日】参照)
イギリス湖水地方、ニア・ソーリー村には、絵本そのままの風景が残っています。

泊まったのは、タワーバンクアームスというパブの二階でした。
3室しかない小さなB&Bですが、
私の泊まったのは、りすのナトキンの間でした。
タワーバンクアームスは、「あひるのジマイマのおはなし」(*1)に描かれています。
描かれた当時より少し建て増しされていて、
パブの前の馬車が車に変わってはいるものの、他はまったく絵本と同じままです。
一階はパブでした。

その時のイギリス旅行は、おばさん3人で出かけました。
夏でしたから、日が長く、夕方の散歩をしてもまだまだ明るいままでした。
3人のうち、一人は酒豪でしたから、
「もっと遅くなったら、下のパブで一杯やろうぜ!!」
などと言っておったのに、3人とも、時差ボケよろしく、
階下のざわめきを子守唄にして、ぐっすり・・・・・・。

おかげで、だーれもいない、かなり早い時間に朝の散歩を楽しみました。
たいてい、すごく短期間のイギリス旅行しかできませんから、
時差ボケは解消できず、夜は眠い眠い。
が、朝の散歩は任せといて!
・・・・・・というわけで、もともと朝には強い私は、パワーアップして、
イギリスの朝の散歩推進派となっているのです。
そのときの朝の散歩の収穫は、石垣沿いに生えている
ブラックベリー(西洋藪苺)をつまみながら歩いたことでした。
フロプシー、モプシー、カトンテールは、
パンにミルクをかけたのと一緒に、晩ごはんに食べたようですね。

*1「あひるのジマイマのおはなし」
(ビアトリクス・ポター作・絵 石井桃子・訳 福音館書店)
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8月13日

Marlow【マーロー】

cover マーローは、テムズ川沿いの可愛い村です。
といっても、ロンドンに近いので、
ふだん都市で暮らす富裕層たちの、週末のおうちのようなものもたくさんあり、
豊かで落ち着いた雰囲気です。

出口保夫氏のイギリス本によく紹介されている、アフタヌーンティなら、ここ!
というマーローのコンプリートアングラー・ホテルに泊まりました。
ホテルの名前は、イギリスの釣り人として有名なアイザック・ウォルトンの
「釣魚大全(ザ・コンプリート・アングラー)」(*1)から来ているよう。
部屋のナンバープレートには、それぞれ異なるフライフィッシングの毛鉤(フライ)がついていました。
私の部屋は、STOAT TAIL SILVER(オコジョの銀のしっぽ?)の毛鉤でした。
フライフィッシングというのは、釣竿の先に、虫に見立てた擬似餌を毛鉤としてつける釣りのこと。
若かりしB・ピットが映画「リバー・ランズ・スルー・イット」で、やってましたね。

アフタヌーンティの内容だけいうなら、私は、
バイブリー村の暖炉の前でいただいたスコーンが、おいしかった。
チョコレートやスィーツ、食器までのトータル・コーディネートでなら、
ロンドンのホテルの【12月5日】参照)のほうがよかったかもしれません。
けれど、マーローのティールームやダイニングの場所は、本当に素敵です。
テムズ川沿いにある立地を活かし、席について目を川のほうに向けると、
船の中のティールームや、ダイニングにいるような錯覚が・・・・・・。
大きな窓がたくさんあり、その外にある川べりの手すりは、船の手すりのように見えます。
アフタヌーンティという言葉が、日本でも市民権を得てきていますが、
都心の百貨店のティールームやホテルで味わうそれと、
コンプリートアングラーで味わうそれが同じものとは思えません。
多分、日本のほうが、口に合うだろうし、おいしいかもしれません。
が、ゆったりした場所で味わうそれは、格別なのです。

  *1「完訳 釣魚大全〈1〉」
(アイザック・ウォルトン 飯田操・訳 平凡社ライブラリー)
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8月12日

Lewes【ルイス】

ルイスという街に行ったのは、 石井桃子さんの「児童文学の旅」(*1)を読んだからにほかなりません。
ルイスは30分も歩いたら、1周できるぐらい、小さな街です。
が、お城もあるし、ヘンリー8世の何番目かの奥さんの家もあるし、
とってもきれいなガーデンもあるし。
古本屋さんもあるし・・・。

そう、この小さな街に、「16世紀 本屋」があります。
【海ねこブログ 2006年5月5日更新分 4月22日 参照】
昔のイギリス人は背が低かったのか、天井は低く屋根はかしぎ、
一緒に行った背の高い友人は、頭をかがめて入らないといけないくらいでした。
2泊したルイスを拠点にセブンシスターズに行き、
ケーバーン山のふもとグラインド村にも出かけ・・・。 それほどハード・スケジュールだったにも関わらず、
戻ってくるたび、開店さえしていれば「16世紀 本屋」に。入りたくなる古本屋でした。

中は、児童書や絵本の宝庫でした。
おお、ラッカム! デュラック! ねこのオーランドー!
あ、友達が、先に見つけたぁ! クレイン挿絵の「家庭のグリム」!
うーん、いいなぁ。もう一冊ないのぉ・・・。
私が見つけたのは、ポーリンベインズ(ナルニアの挿絵)挿絵の
ベアトリクス・ポターの短編と、・・・・・・。
結局、旅の途中だった私と友人は、
荷物に入りきらない本たちを別送したのでした。

この街で、泊まったのは、シェリーホテルです。
ここはもう一度泊まりたいホテルの一つです。
ホガースの「当世結婚事情」などの版画が、廊下に飾られ、
こじんまりした裏庭で、おいしいティーがいただけました。
私たちが行った頃、ちょうど、近くでグラインドボーン音楽祭が開かれていて、
そこのホテルの宿泊客はみな、着飾って音楽祭に出て行ったのです。
女の人たちは、薄物の華やかなドレス、男の人たちは素敵なチョッキ!
階段から次々降りてくる、華やかな人たちを横目で見ながら、
我々は、買いすぎた別送品の梱包をロビーでやっておりました。
いつか、行ってみたいなぁ、グラインドボーン音楽祭。

*1「児童文学の旅」 (石井桃子 岩波書店)



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8月11日

Kelmscott Manor House【ケルムスコット・マナー】

ケルムスコット・マナーは、ラファエル前派のダンテ・ガブリエル・ロセッティ
とウィリアム・モリスが共同で使っていたお屋敷です。
オックスフォード近郊、コッツウォルズの端、ケルムスコット村にあります。
彼らのミューズである、モリスの奥さんのジェインも住んでいました。
ま、いわゆる三角関係です。

屋敷を訪れると、モリス自身の針仕事になる、タペストリーがあり、
彼が、画家であり、デザイナーやコーディネーターだけでなく、
自分でも作業していたことに驚かされます。
また、ロセッティの使ったパレットには、使いかけの絵の具が
乾いた状態で保存されています。
「生活にアートを」と提唱したモリスの屋敷だけあって、
家具やタペストリー、窓の金具に至るまで、アートフルです。
可愛い出窓から、庭をのぞくと、気分は、ジェイン。
屋敷の周りは、ともかく静かで、小鳥のさえずりが聞こえるだけ。
すぐそばに、テムズ川の源流の小川。
近くには、果てしなくお庭の続くバスコットパークもあります。(【5月9日】参照)
バスコットパークのファリンドン・コレクションもケルムスコットマナーも、
開館日がとても限られているので、行くときは、計画的に。

ところで、「カンタベリー物語」(【5月6日】参照)など
「チョーサー作品集」をバーン=ジョーンズの挿絵で印刷したのが、
このケルムスコット・マナーから名前を取った「ケルムスコット・プレス」です。
設立者のウィリアム・モリスは中世の彩色写本【I】(8月9日の項目、参照)
自らのイメージを広げ、「理想の書物」(*1)を作ろうとしました。
「ケルムスコット・プレス」設立の趣意書からして、
彼が、相当な凝り性だとわかります。

*1「理想の書物」
(ウィリアム・モリス 川端康雄・訳 ちくま学芸文庫)
cover
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ウィリアム・S・ピータースンが、ウィリアム・モリスの著作や、
プレス設立趣意書、インタビュー、愛読書アンケートなどを編集しています。

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8月10日

Jane Austin【ジェイン・オースティン】

cover ジェイン・オースティンは、「高慢と偏見」(*1)の作者です。

最近の若い女性の結婚観と違い、 良家の子女は、淡々と、お相手を待つだけ
・・・という内容は、若い読者の心をつかまないのではないかという声があるらしいのです。
が、そんなこと、我が家の若いお嬢さんには関係ありません。
彼女が、「高慢と偏見」が好きな理由は、
ディケンズの「クリスマスキャロル」を好きな理由と同じです。
ちょっと屈折した気持ちの高慢な人でも、
最後は、素直な心で幸せを捕まえる。
ハッピーエンド! どちらも、何度も読み返しています。

ジェーン・オースティンが、晩年暮らしたウィンチェスター(後日【W】参照)も、
若い頃暮らしたバース(写真2点とも)も、どちらも文化の薫り高い歴史のある街です。

現在、バースは、お風呂の語源となったローマ時代のお風呂が世界遺産に登録され、
世界的な観光地ですが、昔から、湯治客や、鉱泉を飲む人たちが集まり、
それに伴う人たちは舞踏会に行き・・・・・・と、にぎわい栄えたようです。
三日月型に建てられた優雅なお屋敷のある街並み。
アンティーク巡りも楽しい。
くわえて、バースの衣装博物館は、見所の多い面白いところです。
過去400年にわたる衣装が、時代ごとに陳列され、その時々の流行を見ることが出来ます。
また、陳列されているのは地下ですが、
一階は、アセンブリールームといって、昔の社交場で、舞踏会もひらかれていました。
オースティンの住んでいた頃は、夜ごと、舞踏会が開かれていたようです。

cover 人気を博したBBCテレビの「高慢と偏見」の中でも踊るシーンがあるのですが、
集団なので、フォークダンスみたいなダンスだなぁと、思っていたら、
チッピング・カムデン(【C】参照)のフェアでは、
小学生たちが少しUPテンポながら、同じダンスを踊っていました。
やっぱり、フォークダンスだったんだと、嬉しかったです。
私たちがバースに行ったときは、たまたま、テレビの「高慢と偏見」人気の続いている頃でしたから、
「高慢と偏見」衣装展みたいな特別展も催されていました。
テレビでは、コリン・ファースの演ずるところのMR.ダーシーが、ちょっと素敵でした。
特にお屋敷の池で泳いで、出てくるシーンは、各国の女性を虜にしたとかしないとかで、
そのときに着ていた白いシャツが展示されていました。
もちろん、水にぬれていず、アイロンがかかっていましたけどね。

「自負と偏見」
(ジェイン・オースティン 中野好夫・訳 新潮文庫)
cover
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「高慢と偏見」
(ジェイン・オースティン 富田彬・訳 岩波文庫)
「高慢と偏見(新装版)」
(ジェイン・オースティン 阿部知二・訳 河出書房新社文庫)

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8月9日

Republic of Ireland【アイルランド共和国】

アイルランドは、イギリスではありません。
イギリスの隣の国です。
が、アイルランド島の北部、北アイルランドは、イギリスです。
・・・と、ややこしいことになっているのも、
イギリスとアイルランドの両国間の歴史は、宗教もからみ、とても複雑なのです。

アイルランドの首都ダブリンには、イギリスと同じ形の2階立てバスが走っています。
街角には、イギリスと同じ形のポスト。
が、イギリスのそれらが真っ赤であるなら、アイルランドは、緑です。
緑多き国土だから、アイルランドのカラーは緑なのでしょうか。
それとも、国の守護神聖パトリックの持つシャムロックの葉
(クローバーの一種)が、緑色だからでしょうか。
それとも、赤を使うのを拒否したいからでしょうか。
アイルランド独立までの道のりを考えると、
彼らがイギリスの赤を避けたいと考えても不思議ではありません。

ダブリンには、中世の彩色写本「ケルズの書」があります。
トリニティカレッジの所蔵するそれは、毎年違うページが開けられ、公開されています。
ケルトのぐるぐる巻き込むような絵文字の写本は、とてもきれいで妖しい感じすらします。
写本とは違いますが、「ケルトの薄明」(*1)という本のカットにも、
たくさんケルトアートが使われていますから、ケルト文様の雰囲気を知りたい人は、ご覧あれ。
「ケルトの薄明」は、アイルランドのノーベル文学賞詩人で、
「ケルトの妖精物語」(*2)を編んだイエイツの作品です。
イエイツには、有名な「イニスフリーの湖島」だけでなく、心惹かれる詩(*3)が多いです。
そして、いつか、イニスフリーの湖島には行ってみたいものです。
行ったことのある人に伺いましたが、島に渡るとき、
船頭さんが「イニスフリーの湖島」を朗々と詠ってくれたそうです。
ああ、いいなぁ。

<いざ、立ち行かむ、行かむイニスフリイに、
粘土(つち)と簀(す)垣(がき)の小(ち)さき庵(いほり)をそこに結ばむ。
そこに九(ここの)畝(うね)豌豆(まめ)をうゑ、
人函の蜜蜂(はち)を飼ひ たヾひとり棲(すま)はむ蜜蜂うなる林間(このま)に。・・・・・・>


*1 「ケルトの薄明」
(W.B.イエイツ 井村君江・訳 ちくま文庫)
*2 「ケルト妖精物語」
(W.B.イエイツ編 井村君江・訳 ちくま文庫)
cover
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*3 「イエイツ詩抄」
(山宮允・訳 岩波文庫)

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8月8日

Hampsted【ハムステッド】

ハムステッドは、「まぼろしの小さい犬」(*1)後半の舞台です。
著者 フィリッパ・ピアスは、「トムは真夜中の庭で」で有名ですが、
この「まぼろしの小さい犬」も、子ども心の繊細な動きを描いていて、
一気に読ませる力があります。

確かに、ハムスッテドヒースには、散歩に連れ出してもらった犬たちが大勢います。
初めてイギリスの犬の散歩を見たとき、そのお行儀のよさに驚きました。
犬同士、ううっと歯をむいて吠えないし、妙にじゃれあい続けることもない。
最近、日本の犬たちもお行儀よくなっているようですが、
日本の都市部では、首輪をはずしてもらって走り回る場所も少なく、
ハムステッドやロンドンで見かける犬たちとは、満足度が違うのではないかと思うのです。

いつか、ハイドパーク(本ページ、TOP写真)に程近いホランドパークで、
髪の毛を逆立て、緑や、紫、赤などに染め上げたお兄ちゃんたちの集団がたむろっていました。
そのとき流行っていたのが、じゃらじゃらと
太目のチェーンをジーンズのポケットから見せ、
目の周りには、黒い隈取り・・・そんなファッションでした。
ちょっとこわごわ、そばを通りました。
すると、一人のお兄ちゃんが
「ヘィー、ジョン! ピュー」
と、指笛で、自分の犬を呼んだのです。
他の子たちも同様でした。

つまり、強面の若い子たちは、犬の散歩に出てきて、
公園で息抜きをしていたというわけです。
良からぬ相談事や、怪しい密売だったのかもしれません。
が、しかし、明るい夕方、犬の散歩に出てくるような若い男の子たちは、
ひどい悪人にはならない・・・と、私は信じます。
イギリスびいきの私ですが、イギリスは、まだまだ大丈夫と思いました。
今から10年以上も前のことになります。
あの男の子たちも、今や働き盛りです。
今の日本では、都市部で、思春期の男の子たちが犬の散歩など、ありえない?

ハムステッドは、コンスタブルに描かれ、
ラファエル前派のマドックス・ブラウンにも、描かれています。
もちろん、「ファージョン詣で」もできます。(【5月7日】参照)
ハムステッド・ヒースは、「ノッティンヒルの恋人たち」の映画にも、ちらと映っていました。
その丘を登ったところにある「ケンウッド・ハウス」には、
数少ないフェルメールも一枚。
ロンドンから地下鉄ですぐに行けます。

*1 「まぼろしの小さい犬」
(フィリッパ・ピアス作 猪熊葉子・訳 岩波書店) cover
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8月7日

Garden【ガーデン】

cover ガーデン巡りが出来るのは、どの国でもいい季節のときですが、
6・7月にイギリスに行ける人は、咲き誇るバラにめぐり合うチャンスです。

ロンドンの北にあるザ・ローズ・ガーデンも、
ロンドン市内リージェントパークのクィーン・メアリー・ローズガーデン(*1 写真右)も、
とてもきれいなバラ園です。
コッツウォルズ地方、北のキフツ・ガーデンも
その隣(!)のヒドコットマナー・ガーデンも、
ガイドブックに出ているようなガーデンは、
それぞれ個性があって、魅力的です。
そんななか、ロンドン郊外のキュー・ガーデンは、
広くてガーデンというよりパークという感じです。

キュー・ガーデンがお話のキーとなるのが、
フィリッパ・ピアスの「8つの物語−思い出の子どもたち」(*2)
という短編集の中の「まつぼっくり」という話です。
英語のキュウ(列・並ぶ:queue)とキュー・ガーデンのKEWの捉え間違い、
その間違いから、生じた想い、そして成長。

<・・・・・・それから、目をつぶって、つぶやいた。
「行ってみよう。キューへ、キューへ、キューへ―――」
そこは、淡い緑の芝生だった。目の前に美しい庭園があらわれた。
ガラス張りの温室(こんどは忘れなかった)、石の怪物。
中国風の仏塔と、池と、カモと、テントのような木も。
人が大勢いる。それから、小さな男の子・・・・・・。
その子の両側に父親と母親がいて、男の子と手をつないでいる。
その手を、ときどきひっぱりあげる。
すると、男の子はぴょーん、ぴょーんと、ジャンプする。
三人とも笑っている。地面におろしてもらった男の子は、
かがんでまつぼっくりを拾い、ポケットに入れた・・・・・・。>


キュー・ガーデンで、特にお薦めの建物があります。
そこには、マリアン・ノースが描いた世界中の植物画が、
所狭しと飾ってあります。
所狭しというより、壁の隙間を一切見せないで、
絵で壁面を埋め尽くしています。
一体、ビクトリア時代の女性が、一人で世界中に滞在し、
現地の植物の絵を描いて回ったなど、誰が想像できるでしょう。
日本にも滞在したようですが、湿気と寒さで、体調を崩したとありました。
時として、頭の中だけでイメージした異国の絵は、
変な着物を着た人が、描かれたりするものですが、
マリアン・ノースは実際に住み、描きましたから、
ステレオタイプの日本ではなく、親近感がもてます。
膨大な量の植物画を描き続けた熱心さとその好奇心に感服するのです。

*2「8つの物語−思い出の子どもたち」
(フィリッパ・ピアス 片岡しのぶ・訳 あすなろ書房)

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8月6日

Eleanor Farjeon【ファージョン】

ファージョンは、好きな作家の一人です。
【3月21日】 【5月7日】参照)
彼女の作品「ヒナギク野のマーティン・ピピン」(*1)には、
小さなお話がいくつか詰まっていて、大好きな作品です。
好きなお話の舞台には行ってみたいという「癖」があるので、
「エルシー・ピドック夢で縄とびをする」のグラインド村、
「ウィルミントンの背高男」のセブンシスターズなど、行ったことがあります。

「エルシー・ピドック夢で縄とびをする」の舞台は、
ケーバーン山のふもと、グラインド村。小さな村です。
駅からケーバーン山のふもとまで、こじんまりとしたおうちが、
それぞれお庭に趣向を凝らしながら、並んでいました。
静かな村でした。誰にも会わなかったような気がします。
ケーバーン山と言っても、日本の山のように勾配がきついわけでなく、
いわゆるダウン(丘)です。
大きい木は、あまり生えていません。
草が生えているとは言っても、草のすぐ下は石灰質で、白いのです。
まっ白というわけではありませんが、水はけが悪そう。
大雨が降ったら、洪水になる場所が多いというのもうなずけます。
ケーバーン山のふもとから周りを見回すと、
そこは南イングランドのなだらかなダウンズの連なりです。

お話では、エルシー・ピドックが夢の中でケーバーン山の頂上に上り、
フェアリーに縄跳びの秘術を学ぶのですが、
この現代では、頂上からハンググライダーが飛び立っていました。
障害物などないので、格好の練習場所なのかもしれません。

ダウンズの土壌の白さをはっきりと目に出来るのが、
ドーヴァーの白い崖でしょう。
そこを舞台にしたのが「ウィルミントンの背高男」です。
白い崖の7つのつながりを7人のお姉さんたちに見立てたのです。
イーストボーンから遊覧船に乗り、海から
7人のお姉さんたちーーセブンシスターズを見ました。
青い空と白い崖、しかも、崖の上は7つの大きななだらかなカーブを描き
緑の縁取りがされています。

イギリスの古名を「アルビオン」(白い国)といい、ラテン語の「白」から来ています。
というのは、大陸からイギリスに入るとき、まず、
この白亜の崖が目に飛び込んでくるからでした。

*1「ヒナギク野のマーティン・ピピン」
(ファージョン文 イズベル&ジョン・モートン=セイル挿絵 石井桃子・訳 岩波書店)



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8月5日

Edinburgh 【エディンバラ】

エディンバラに行ったのは、3月。
晴天ともいえず、かといって雨でもなく、
さりとて、冷え込むでもなく、重たく曇ったお天気でした。
エディンバラのイメージカラーをと聞かれれば「モスグリーン」と答えます。
街全体が、苔むしたような色でした。
イングランドの都ロンドンとは、一味違うしっとりした感じです。
どんより曇った天気の多い、落ち着いた街だからこそ、
あのおしゃれなタータンチェックが似合います。

エディンバラは、フォース湾に面していますが、
エディンバラ城からフォース湾を見渡すのは、とても感慨深いことでした。
こんな遠くまで、ローマ軍は、来ていたんだ。
自国ローマの明るい太陽を思い出して、スコットランドの曇天を恨んだだろうか・・・・・・。

エディンバラの近郊クラモンドという村は、
「辺境のオオカミ」(*1)の舞台です。
クラモンドは、ローマンブリテンの北の端の砦でした。
ローマンブリテンの東の端、ローマからの出入り口ルトピエ(【5月5日】参照)
にも行ったローマンブリテン好きとしては、
やっぱり、顔を出さないわけにはいかないでしょう。
そして、クラモンド村の目の前に広がるフォース湾は、
海とは言え、ほとんど磯の香りもせず、静かに湖のようにありました。

「辺境のオオカミ」の作者サトクリフ自らが、
あとがきでクラモンドのことを書いています。

<・・・・・・エディンバラのはずれ、アーモンド川が
フォース湾に注ぐあたりに、クラモンドと呼ばれる村があります。
今の村がある場所は、かつてローマ軍の砦でした。
ローマの名前は失われてしまっていますので、
私はカステッルムと呼んできました。
つまりラテン語で「砦」という意味です。
ここに駐屯していた辺境守備隊のひとつについての物語が心のなかに生まれました。>


ところが、学者によって、ここら辺りにローマ軍の存在した痕跡がないと教えられ、
サトクリフは、この物語を書くことを断念するのです。
が、「第九軍団のワシ」に書いたエクセターもはじめ駐留の痕跡がないとされながらも、
結局、駐留していた事実が後日発掘によって確認されます。
だから、クラモンドも、いずれ発掘され、事実が確認されるかもしれない
と思い直したサトクリフは、この「辺境のオオカミ」(1980年)を書き上げたのです。
その後、彼女は亡くなりますが(1992年)、発掘は進み、
クラモンドがローマの砦であったと証明されました。
サトクリフの鋭い洞察力が、学者のそれを上回ったのです。

<*1>「辺境のオオカミ」
(ローズマリ・サトクリフ 猪熊葉子・訳 岩波書店)
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8月4日

Charles Dickens 【ディケンズ】

ディケンズは、少し前まで、イギリスの10ポンド紙幣裏面に、描かれていました。
どの紙幣も表はエリザベスU女王。

ディケンズには、大人になってから、はまりました。
訳者にもよるのですが、大体、どれも一気に読ませてくれるので、
睡眠不足も甚だしいです。
デイヴィッド・コッパフィールドや、リトル・ドリット、
オリバー・トウイスト、二都物語、大いなる遺産
・・・こんな調子よく遺産が飛び込んでくるなんて!
一攫千金かぁ。
私にも、まだ名乗りをあげていない親戚のおじさんとか居ないんだろうか? ふーむ。

ディケンズは、小説家として名を成し、金銭的に恵まれると、
ドーバー海峡の北端、ブロードステアーズ (【5月5日】参照
という海水浴場の崖の上に別荘を持ちます。
そして、その別荘は、彼の作品の「荒涼館(ブリークハウス)」という名前の屋敷です。
後にその家を買った人が、見世物小屋風に、
その館を公開しているのには、ちょっと疑問符がつきます。
が、ディケンズの書斎だった部屋に入ると、
窓の向こうは、海と空、カモメが飛んでいるだけ。
世の喧騒から離れ、イメージを果てしなく
広げることのできる空間が、そこにありました。
書斎の反対側の庭からは、海水浴場が見通せます。
ここで、彼は、「デイヴィッド・コパフィールド」(*1)を書いたようです。

*1 「デイヴィッド・コパフィールド」
(チャールズ・ディケンズ作 ハブロ・ナイト・ブラウン(フィズ)挿絵 石塚裕子・訳 岩波文庫 /中野好夫訳 新潮文庫)
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8月3日

Cipping Campden 【チッピング・カムデン】

cover チッピング・カムデンの最寄駅に迎えに来てくれたのは、
クリスマス(【12月22日】参照)に書いたタクシーの運転手さんでした。
やっぱり、腕にはタトゥがありました。
彼の趣味は、ガーデニングでした。
最近は庭にオリエンタルコーナーを作り、
バンブー(竹)を植えたら、奥さんが気に入ってないとか・・・。
釣りも趣味で、よく釣りに行くとか。

チッピング・カムデンは、コッツォルズ地方の北部にあります。
シェイクスピア・カントリーのストラット・フォード・アポン・エイボンにも近いです。


cover 訪れたとき、村は、たまたま、フェアの日でした。
老いも若いもー赤ちゃんまでもー仮装して、ハイストリートをパレードします。
先頭は、ブラスバンドと、今年のメイ・クイーンの山車。
山車を引くのは、モリスマンたち。
モリスマンたちは、足首に鈴をつけ、踊る男たちです。
モリスマンたちの踊りは、もっと、やわらかい雰囲気かと
勝手に想像していたら、力強い、ハードな感じのダンスでした。
小学生たちが踊って見せてくれた、メイポールダンスも、予想と違いました。
ただ、ポールの周りをくるくるリボン持ってまわるだけのものではなく、
リボンを巻いてきれいなポールを作るといった感じです。
ちょっと動きがずれて間違えると、その巻き目がおかしくなるので、
小学生には、緊張のダンスのようでした。
実際、先生が、腕組みして、こわーい顔で、ダンスを指導していました。
伝統舞踊を守るのは、なかなか大変なのですね。


cover 「イルカの家」
(ローズマリー・サトクリフ文 ホッジス絵 乾侑美子・訳 評論社)


<・・・「モリス踊りだ!」
だれかが叫び、すると、だれもが同じことを繰り返して叫びました。
「モリス踊りだ! 道をあけろ! モリス踊りが来るぞ!」
・・・笛の音が渦を巻き、鈴がシャンシャンと鳴り、
角をまわってモリス踊りの踊り手たちが姿を見せました。
先頭は音楽師たちで、笛や小太鼓がにぎやかにひびき、
腕や足や腰のまわりにつけた小さい銀の鈴が陽気に鳴り続けます。
先頭で踊っているのは、乙女マリアンです。
マリアンは5月の女王でしたから、金の冠をかぶっていました。
一方の手に真紅のカーネーションを持ち、
上着は紫でスカートは緑、袖はサンザシの花と同じピンクです。・・・>


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8月2日

Barnsley House 【バンズレー・ガーデン】

cover バンズレー・ガーデンは、とても有名な庭です。
それは、庭園を築き上げたヴェアリー夫人の
頑固なまでの庭への美意識が庭に反映されていたからです。
林望氏をはじめ、たくさんの人たちが夫人に会い、その庭哲学を伝授してもらったようです。
当然、イギリス本国にこそ、その信奉者は多く、
かのチャールズ皇太子は、夫人の本の序文を書いたほど(*1)

が、彼女亡き後、屋敷はホテルになり、庭はその一部となりました。
ホテルの宿泊客か、ホテルで食事をする人以外は、その庭が見られなくなりました。

たまたま、その庭にキングサリが咲く頃、
コッツウォルズへ行くチャンスがありました。
その黄色い花は1週間〜10日だけ咲くらしく、
桜と同じで、あっというまに、散るそうな・・・。
庭の入園料じゃだめなの? うーん、そんな時期に行く縁なんて、次はいつだろう?

というわけで、円安、ポンド高にもめげず、ホテルに宿泊しました。

建物は、多分、そのままです。
部屋の中のぎぃぎぃする板の床もそのままです。
が、しかし、部屋には、日本の液晶テレビ、アートフルな鏡、
アルミ製のテーブル、アヴァンギャルドなお風呂の椅子。
何より驚いたのは、木の床のままの大きな部屋に、
ハリウッド女優が入るような、近代的な湯船・・・。

今まで、イギリスのホテルやB&Bには、何度も泊まりました。
そのどこにでも、部屋には絵が飾ってありました。
廊下はもちろん、トイレやお風呂場など、
日本じゃ考えにくいようなところにも絵が飾ってあるのが、イギリスだと思っていました。
アメリカンタイプのホテルですら、部屋には絵が飾ってありました。
が、このホテルにはない!
プラスティックの箱に現代的な花のオブジェのようなものを
入れて飾られていたのが、多分、部屋のアートということなのでしょうか?
部屋の壁は、水色と白のツートンカラー。
水色が基調であるのが、わかる部屋でした。
未来と伝統のコラボレーション?
ジムとマッサージの案内は詳しくあるのに、肝心の庭の案内図がない!

・・・・・・で、庭です。
キングサリのアーチにある、足元の青いアリウムの時期は終わっていましたが、
なんとかキングサリに間に合いました。こじんまりとしていい庭です。
いろんな角度から楽しめます。いろんな季節も楽しめそうです。
たくさんのファンがいるのもわかります。
結局、この旅で足を運んだ3つのガーデンのなかでも、一番好きかも知れません。

ああ、それなのに、小道のグランドカヴァーが大きく育ち、そぞろ歩けません。
夫人の本の写真を見て、こんなだったんだと、しのぶばかり。
きれいなキッチンガーデンも、同じ。
野草園にいたっては、あとで、本を見るまで、手付かずの雑草かと思ったほど。

ああ・・・・・・なんてこと。イギリスに、はまってから、15年余。
かの国は、昔のままを大事にし、それを生かしているのが魅力の国でした。
ある意味、近代的でアートフルな部屋の設えと、
重厚な床や出窓のバランスも、歴史を生かしているのかもしれません。
が、庭は、夫人のスピリットを継承できているんだろうか?

朝食後、庭で庭師の方にお聞きしました。(もっと喋れたらなぁ)
「庭師は、何人ですか?」
「パートが4人で、庭師が2人。なかなかハードです。」
「ホテルが新しくて、大変驚きました。夫人の精神を守るのは大変でしょう?」
「ホテルが庭を大事に考えてくれています。」・・・・・・

*1 「ローズマリーの庭にてーーイギリス流ガーデニングの方法」
(ローズマリー・ヴィアリー文・木版画多数 尾島恵子・訳 読売新聞社)
とても素敵な木版画が入っていて、文章もさることながら、一見の価値あり!
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8月1日

King Arthur【アーサー王と円卓の騎士】

アーサー王は伝説上の人です。
にも関わらず、彼ゆかりのものが、イギリス各地にあります。
例えば、アーサー王とその騎士たちの名前の書かれた円卓が、
ロンドンの南ウィンチェスターという古都にあります。
その大きな円卓について、みなで議論したのでしょうか?
その円卓は、結構新しく(!)14世紀頃のもので、
その後、ヘンリー八世の頃に塗りなおされたとか。
グレートホールと呼ばれるだだっ広いホールは、人もほとんど居ず、
世界的有名人の有名円卓にしてはひっそりとしていました。
円卓は、ホールの壁の高い場所に飾られていました。
書かれている24人の騎士たちの名前は解読困難でしたが、
いまやグレートホールのHPを見れば、大きな画像がUPしてあって、
トリスタンがどこで、ランスロットがどこか、判ります。
アーサー王も、ヘンリー八世風に描かれているのは、ま、仕方ない・・・。
大体、円卓の中央のシンボルマークが、チュダーローズですもんねぇ。
チュダーローズは、バラ戦争の結果、興ったチュダー朝の紋章で、
ランカスター家の大きい赤バラが、ヨーク家の小さい白バラを囲むように描かれています。

ところで、「アーサー王と円卓の騎士」(*1 *2)
長男に読んでやっていた頃、さらにずっと年少の末っ子は、まだまだ小さく、
そのお話を楽しめる年齢ではありませんでした。
長男は、嬉々として、「サー・トリストラム」だの、
「サー・ラーンスロット」など、名前を覚えては、報告してくれます。
そんな折、末っ子は言いました。
「○○ちゃんだって、知ってるわ! サー・ドウゾっていう本」

・・・・・・「サー、ドウゾ」というのは、
くだものを「さあ、どうぞ」「さあ、どうぞ」と、
次々に差し出す絵が描かれている小さい子向きの絵本「くだもの」(*3)でした。

その末っ子が最近になって、イギリスで購入したクロスステッチキットで、
チュダーローズを刺してくれました。

*1「アーサー王と円卓の騎士」
(シドニー・ラニア編 石井正之助・訳 N.C.ワイエス絵 福音館古典童話シリーズ)
*2「アーサー王物語」
(トーマス・マロリー 井村君江・訳  オーブリー・ビアズリー絵 筑摩書房)
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*3「くだもの」(平山和子・作 福音館書店)

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