英国 ランドルフ・コールデコットの絵本 |
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「コールデコット賞」の名前は耳になじみがあると思います。
1938年以来、アメリカで前年度に出版された、子どものためのもっともすぐれた絵本に贈られる賞です。
近代絵本の扉を開き、子どものために明るく生き生きした作品を生んだコールデコットを
絵本における“子ども部屋の王者”(Lord of the Nursery)と認めて、
絵本賞にコールデコットの名が冠されたのでした。
コールデコットは1846年3月22日、マンチェスターにほど近いチェスターで帽子商の息子として生まれました。
クレイン、グリーナウェイとほぼ同じ時期のことです。
15歳で学校を卒業。生まれ故郷からそう遠くない町ウィットチャーチにある銀行で働き始めます。
銀行に勤め始めたころからすでに独学で絵を描いたり、スケットをしたり。
6年後、マンチェスターの大きな銀行に上級職を得ます。マンチェスターに移ってから
雑誌や新聞に滑稽なイラストを発表するようになります。
この仕事がロンドンの編集者たちの目にとまり、銀行を退職。画家として歩む決意を固めます。
ロンドンに出て、グレートラッセル通りに居を構えたのは1872年春、26歳のときのこと。
「パンチ」誌を含む絵入り誌に風刺画やスケッチを次々発表します。
1876年、30歳のとき、ワシントン・アーヴィングの「オールド・クリスマス」
(1876年、マクミラン社)で挿絵を担当。
経験豊かな彫刻師ジェームズ・クーパーが彫った120枚のブック・イラストレーションで名声を獲得しました。
コールデコットのトイブックスは、1877年ごろ、コールデコットが著名な出版企画家で
色彩印刷家、木版工房主のエドマンド・エヴァンズと計画を練ったものです。
1878年から亡くなる1886年までの8年間に16冊、ジョージ・ラウトリッジ&サンズ社から出版しました。
もともと体が丈夫でなかったコールデコットは、1886年2月、冬を越すためアメリカのフロリダ州に滞在。
例年にない寒波がフロリダを襲ったため病状が悪化、39歳の若さで世を去りました。
「彼の想像力の中に具わっていたあの汲めども尽きせぬ楽しさと魅力の泉はすべて枯れ果ててしまった!
けれど、彼はわれわれを虜にし続けるだろう
その名人芸が持つ甘美な魔力で、子どもや大人をこれから何年も。
彼に変わる人は、なかなか現れることはないだろう。
人生の盛りになくなったあの人のように
炉辺や子ども部屋で愛される人は」
(彼の死を悼んでパンチ誌に掲載された詩より)
その後、ビアトリクス・ポター、レズリー・ブルックからエドワード・
アーディゾーニに至る20世紀の絵本作家たちもコールデコットを絶賛。
「私は彼の画業に最大の賛美ーー嫉妬を覚えるほどの驚嘆ーーの言葉を
贈る」と書いたのは、ビアトリクス・ポター。
モーリス・センダックは、コールデコットの絵には元気活発なマーチ、
滑稽なフーガ、カントリーダンスといった、独特の音楽性があると指摘しています。
参考文献
●「百年前の絵本ーR・コールデコットの前半生」(ヘンリー・ブラックバーン著 高橋誠 桑子利男 共訳 ブック・グローブ社)
ーー友人らに愛されていたコールデコットの性格がよく伝わってきます。
●「6ペンスの唄をうたおうーーイギリス絵本の伝統とコールデコット」
(ブライアン・オルダーソン著 吉田新一・訳 日本エディタースクール出版部)
ーーコールデコット没後100年を記念して、ロンドンの大英博物館ブリティッシュ・
ライブラリィが企画した展覧会のために準備された本。
ウィリアム・ホガースからウィリアム・ブレイク、クルックシャンク、
コールデコットへという流れを汲みながら紹介。
●「現代絵本の扉をひらく コールデコットの絵本」解説書(福音館書店)ーー当時の印刷技術の解説なども詳しい。
ランドルフ・コールデコットの絵本・アーサー・ラッカムの絵本・英国 古い時代の絵本・英国 60年代の絵本
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