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今まで何度、お茶を飲んできたでしょう。
今も心に残るおいしいお茶は、父が亡くなる少し前、病院の行き来で落ち着かない私が帰宅したとき、娘がいれてくれたお茶。
彼女がいれてくれたお茶を飲むと、気持ちが切り替わり、力が湧いてくるのを感じました。
たった一杯のお茶だというのに・・・・・・。
優しい気持ちとともにいただきました。

お茶を飲む時間、お茶のひととき、ティータイム・・・・・・、
それぞれ言い方は違っても、共通している言葉があります。「時」です。
お茶は、「時」の小道具です。単に、喉の渇きを癒すだけではありません。
ティータイムは、時のいい流れを続けるための「一服」であり、
反対に、流れを変えて仕切り直す「機会」でもあると思います。

あわてて注いでは、おいしくありません。熱いままだと飲めません。
お茶を飲んで一息つく。ゆっくり、ゆったり・・・・・・。ゆとりが生まれ、また前へ進む。
ティータイムは、人だけが持ち得る深い時間です。

そして、人は、人が居てこそ、楽しい。
くまのパディントンのお友達のグルーバーさんは、言います。
「ココアを飲んで菓子パンを食べながら、気の合った者とおしゃべりするくらいいいものはないね。」
確かに!
イギリスの子どもの本の中には、ティータイムのシーンがよく描かれています。
プーさんにも、アリスにも、メアリー・ポピンズにも!
ダイアナだって、ミリセント・マーガレット・アマンダだって、
魔法使いだって、ティータイムは大好き!

*タイトルバックの写真 コッツウォルズにあるスワンホテルの窓際。
ウィリアム・モリスが「英国でもっとも美しい村」と賞賛したバイブリーにあります。



写真・文/カーネーション・リリー・リリー・ローズ

神戸出身、関西在住。
子どもの本と絵本とチョコレートとバラををこよなく愛する、
未公認無認可イギリスびいきの会の一員。


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cover 「ナルニア国物語」
(C.S.ルイス作 瀬田貞二・訳 岩波書店)


「さあどうぞ、イブのむすめさん!」それは、すてきなお茶のもてなしでした。
やわらかくゆでたきれいな茶色の卵がめいめいに一つずつ出ましたし、
トーストは小イワシをのせたもの、バターをぬったもの、みつをつけたものがありました。
そのつぎには、砂糖をかけたお菓子が出てきました。(「ライオンと魔女」より)


現代は、おもてなしにゆでたまごやトーストが出ることは少ないと思います。
でも、今では質素なご馳走であっても、きっとタムナスさんが素敵な人だから、素敵なもてなしになったのだと思います。
そして、素敵なのは、もてなしだけでなく、タムナスさんの部屋のこともルーシィは「こんなに素敵な部屋に通されたことがない」と言っています。

ルーシィは、いままで、こんなにすてきなへやに通されたことがないと、思いました。
赤い岩の、小さい、こざっばりとした岩穴は、からりとかわいていて、床にじゅうたんをしき、二つの小さないすがあり(「一つはわたしの、もう一つはお客用です」と夕ムナスさん)、
机が一つ、食器だなが一つ、だんろにはだんろ台があってその上には、白髪まじりのあごひげをはやした年よりのフオーンの肖像画がかかっています。
へやの片すみには、ドアがあって、これは夕ムナスさんの寝室にいくのでしょう。壁には本棚があって、本がどっさりつまっています。(「ライオンと魔女」より)


以前、英国人教授によるブリティッシュ・アート論*1で、見せていただいた絵の中に、部屋の中を描いた一枚がありました。
暖炉があり、暖炉棚の上には、こまごまと置いてあります。壁には絵がかかり、クジャクの羽も飾ってあったような・・・・・
本がハイバックチェアの上に無造作に置いてあったような・・・・・
タムナスさんの部屋と似ていました。
私の目には、その絵はごちゃごちゃした部屋としか映りませんでした。
が、かの英国紳士であられる教授は、「この居心地のよさそうな部屋」と説明されました。「COZY」という単語を使われました。
ポットを保温するティーコゼー(ティーコジー、Tea Cozy)のCOZY*2です。

英国人の思い描くCOZYと日本人のそれにはちょっと差があります。
特に、部屋の壁面の使い方に感じます。
イギリスでは、トイレであれ、バスルームであれ、廊下であれ、もちろん居間や寝室であれ、絵など、額入りのものが張られています。
ホテルや、マナーハウス、田舎の小さなB&B、ロンドンの友人宅もその別荘も、果ては、ロンドン出身のママのいるメルボルンの家も、どこもみな、壁にはかならず、何か飾っています。
個々の感性が違う以上、居心地の良さに基準はないともいえますが、
COZYのスピリットは外見上のものではなく、それぞれがくつろげる場所ということなのでしょうか。
特に、家族が一つ屋根の下で暮らし、それぞれが、外でいろんな思いで働き、学び、遊んで帰ってきた場所が、居心地のよい場所であれば、外でのしんどさは半減し、外での喜びは、倍増することと思います。

私は、絵本や児童文学から英国に近づきました。そして、たどり着いた言葉の一つが、COZYという単語です。
そして、我が家では、家族が、家庭で居心地よく「時」を過ごすため、ティータイムがあるのです。
今までも、これからも。
さあ、お茶がはいりましたよ。

  《参考》
*1 【春を待つ日のアドヴェントエッセイ】(3月14日「リディアのガーデニング」の項参照)
*2 本エッセイのNo.9「ミリー・モリー・マンデーのおはなし」

*ナンバータイトルの写真
ロンドンのギャラリーホテルラウンジです。

おしまいの写真は、ハーレー・オン・テムズのジ・オールド・ベルという1135年に建てられたイン(今はホテルでレストラン)のティー・ルームの曲面になったガラス窓。
平らな板ガラス製造以前の吹きガラス製法により作られたもので、道の向こうのレンガ塀が曲がって見えます。

cover

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cover 「グロースターの仕たて屋」
(ベアトリクス・ポター作 石井桃子・訳 福音館書店)


・・・・・・クリスマス・イブとクリスマスの朝までのあいだに、
すべてのどうぶつは、口をきくことができるのだと、ふるいおはなしはつたえている。
・・・・・・のきのしたでは、むくどりやすずめが、クリスマスのパイのうたをうたっていた。
小がらすは、教会の塔の上で、目をさまし、うたつぐみや、こまどりは真夜中であるというのに、うたいはじめた。
あたりは、小さなさえずりの声でいっぱいだった。・・・・・


このクリスマスのお話は、読むだけでも、絵を見るだけでも楽しいものです。
特に、クリスマスの真夜中に鳥たちが歌うこの箇所は、大好きなところです。
日本でもイギリスでも、田舎で、夜が明ける頃、近く遠くで鳥たちが歌い始めるのを聞くと、生きていることに感謝し、さあ、今日も一日始まるぞ! と思うのです。
また、絵も美しい。ねずみたちが仕上げたきれいなチョッキは、刺繍の美しさだけなく、その質感までも伝わりそうに描かれています。

ロンドンのヴィクトリア&アルバート美術館、バースの衣装博物館、
ウィーンの王宮博物館などでも、この絵のようなチョッキをみたことがあります。
そして、最近では、神戸ファッション美術館の「超絶刺繍展」でも、間近でみることができました。
確かに、超絶! ねずみさんのお力を借りなければ、できません。
ちなみに、この「超絶刺繍展」には、西洋だけでなく、日本の超絶刺繍の着物も展示されていました。
西洋のものが、縁取りやふち飾りから出発しているように見えるのに対し、
日本の着物は、広げたとき全体に渡る飾りとなっています。
これは、額縁に入れて絵画を縁取ってきた西洋と、額のない掛け軸や襖絵全体で鑑賞した日本の違いのようで、ちょっと面白かったです。
グロースターのねずみたちが仕上げたチョッキも、縁取りから中央に向かっているように思います。

おっと! 刺繍の話でなく、お茶の話でした。
この絵本にこまごまと描かれているのが、持ち手のおもしろいカップやバラ模様のカップなど、ポターが実際に持っていたものだと思われる様々なテーブルウェアです。
ポター自身を描いた映画「ミス・ポター」の中でも、銀器が並ぶ豪華なティーセットで、お茶する場面がありましたが、絵本に描かれているものは、もっと素朴な普段使いの雰囲気が伝わります。
また、絵本の中には、当時の流行なのか、東洋趣味のもの、一般にウィローパターンと呼ばれる中国風の建物や柳や人物の描かれたブルー&ホワイトのものも何点か見えます。
このウィローパターンは、各社、いろんな小さな差異を持って、売り出したようですが、基本は、一つのお話のモチーフで描かれています。
昔の中国の身分違いの若い恋人同士の悲恋です。この世で結ばれなかった二人は、小鳥の姿に変わり、仲良く飛んでいるという絵柄です。
橋の上には、人が3人。追っ手3人なのか、娘、若者、父親なのか。
中央には柳の木。娘の父親が高官であるので、立派な建物。
小船に、中国風の橋。ジグザグ模様のような柵。
縁の模様も、円満の象徴の毬、中国では福と同じ字の蝠を使った蝙蝠(コウモリ)など、何か、勘違いの感じすらあるものの、
ブルー&ホワイト、すなわち、いわゆる藍の物は、日本人にはなじみ深いものです。

さて、穴糸を隠すという、度の過ぎた行動を悔い改めた猫のシンプキンが、お茶を捧げている絵は印象的です。
文章には、「お茶を捧げました」などと書かれていません。「悔い改めた」としかありません。
が、絵を見ると、お盆にカップを載せて、直立しているシンプキンが書かれています。
お詫びのしるしに、温かいお茶を一杯。シンプキンの顔も、とくとごらんあれ、「悔い改めて」いますから。

*ナンバータイトルの写真
ウィローパターンのお皿とカップ。文中にある二羽の小鳥など、描かれています。
写真に写っている各テーブルウェアは、70年から100年近く前の英国製。

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cover 「クマのプーさん・プー横丁にたった家」
(A.A.ミルン 石井桃子・訳 E.H.シェパード 岩波書店)


「プー、クリストファー・ロビンが、お茶の会をひらくのですよ。」と、フクロはいいました。
「ああ!」と、プーはいいました。
それから気がついてみると、フクロがまだ、じぶんがもっとなにかいうのをまっているので、
「桃色のお砂糖のついている、あのケーキなんてもの、出るのかな。」と、いいました。
ところが、フクロは、桃色のお砂糖のついている、ケーキなんてものの話をすることは、じぶんのいげんにかかわると思いました。・・・・・(「クマのプーさん」より)


ケーキなんてものの話をするのは、威厳に関わるなんて、英国紳士は、今もそんなこと言っているのでしょうか。
何年も前に、アメリカに行ったとき、かの国の成人男子は、朝から大きな甘そうなケーキ、ピンクのケーキを食べているのを見て、そりゃ、身体も大きくなるはず、と感心したことがあります。
いくらケーキ好きの私でも、朝から「大きな」ケーキは無理です。

英国のケーキは、飾りつけも味も複雑ではありません。日本のケーキのように手が込んでいるとは思えません。
ただ、その分、紅茶の風味を邪魔せず、というより、紅茶には、よく合うと思います。
特に、ケーキの類よりビスケットのようなものが、より紅茶に合うような気がします。
日本のものに比べて塩味がするのは、加塩バターを使っているからでしょうか。
お友達とおしゃべりして、喉が渇いて、紅茶を飲みながら、ちょっと塩味のする甘いビスケットを「太るわぁ」などと言いながら、また食べる。
ケーキがなくともこのビスケットの繰り返しで、じゅうぶんお茶の時間は続きます。

さて、ケーキの話でした。
アメリカ西海岸のケーキは、大きくカラフル! という印象でしたが、食べようと思いませんでした。
パリは、どれもこれもすっきりとおしゃれで、おいしいのですが、モンブランやチョコレートケーキは日本のより大きいので甘さがしんどい。
スイスは、チョコレートが豊富で目移りしたのとトレッキング続きでケーキを食べなかった。
ウィーンは、たった3日の滞在で5軒のカフェをはしごして、にんまり。
こういうと、ウィーンは、スィーツ三昧の旅のようですが、当初の目的は美術館三昧の旅だったので、念のため。
ただし、同行の夫はあきれ顔。
それで、かのザッハトルテのお味比べも楽しいものでしたが、ザッハトルテよりアップルシュトゥーデルが。
甘煮リンゴのクレープ巻きみたいなケーキ(アップルパイでもない)は、酸味があって、見た目も味も素朴ながら魅力的なケーキで大好きになりました。

さてさて、我が家のケーキはどうでしょう。
家族の誕生日とクリスマスのみの出番ですが、我が家のケーキ作りは、夫に任せています。
大きなダイニングテーブルの上に、さながら理科の実験のように、粉や砂糖、バターなど、計量したものをお皿に分けていきます。
粉をふるいにかけ、バターを湯煎し・・・・・・理科実験では、計り間違えが致命傷になりますから、私のように、「ええいっ、大体これくらい」なんていう計り方をしません。
そして、レシピどおりに作ると、おいしいケーキの出来上がり。
子どもたちが、おいしい! と喜ぶ声や笑顔は、製作者への励みになり、彼は、いろんなケーキにチャレンジしていきました。
で、夫が一番得意とするケーキは、かのウィーンでの味比べにも負けないほどのザッハトルテなのです。

さてさてさて、そんな夫に、検査で小さな影が見つかり、ドクターの非情なお言葉に、家中、落ち込んだ時期がありました。
検査は多いし、いちいち結果が出るまでの長いこと。
そんな中、末っ子は、父親に助言を求め、簡単なケーキやクッキーを作りました。
父親譲りの腕前は、理科実験の苦手だった娘にも受け継がれておりました。
結局、夫の体内の小さな影は良性のものだとわかり、一安心しましたが、娘のお菓子つくりは、自分自身の気分転換につながるようで、これからも続きそうです。
これで、我が家は、パティシエ二人を抱えることになり、食べるだけの人としては、しめしめ、うひひ、おほほほほ・・・・・というところでしょうか。

《参考》【春を待つ日のアドヴェントエッセイ】(2月10日「プー横丁にたった家」の項参照)

*ナンバータイトルの写真
ウィーン美術史美術館のカフェ。中央が、文中に出てくるアップルシュトゥーデルです。
↓おまけの写真は、カ・リ・リ・ロ夫作のザッハトルテ。

cover

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cover 「ミリー・モリー・マンデーのおはなし」
(ジョイス・L・ブリスリー作 上條由美子・訳 菊池恭子・絵 福音館書店)


・・・・・・お店の後ろのこぢんまりした居間は、ほかほかのバターつきスコーンと、こな砂糖をかけたケーキのおいしそうなにおいがしていました。
お茶のよういは、もうすっかりできて、マギンズさんとジリーがまちかねていました。
そして、マギンズさんのまえのテーブルの上には、きれいなカバーをかけたティー・ポットがおいてありました。
ポット・カバーは、それぞれに形のちがう、あかるい色のきぬや、ベルベットをはぎあわせてつくり、てっぺんに色ひもの輪かざりがついていました。
ミリー・モリー・マンデーは、それがとても気にいりました。
(「ミリー・モリー・マンデーのおはなし」より)


『ミリー・モリー・マンデーのおはなし』は、うちの女の子たちのお気に入りでした。
どこにでもいそうな女の子の、大冒険のない普通の暮らしぶりを書いたこの本は、まだまだ狭い世界の中にいる小さな女の子の心を捉えます。わかりやすいのです。
「ミリー・モリー・マンデーの足がみじかい」という表現で、いつも笑っていました。
一緒に住んでいる人・家、ミリー・モリー・マンデーの容貌・服装、名前の由来など、どれも丁寧に書かれ、やっぱり、わかりやすいのです。
小さい子の本は、この「わかりやすい」というのがポイントです。大人だって、「わかりやすくない」本なんて困ります。
引用したポット・カバーの箇所は、よほど印象的だったのでしょうか。
まだ、針仕事もままならなかった我が家の真ん中の子が、自分たちの叔母の結婚祝いに、パッチワークの(ただ、布をつなぎ合わせただけですが・・・・・)鍋つかみを作って、プレゼントしたことを思い出します。

「なんて・・・・・・きれいな・・・・・・ポット・カバー!」
おかあさんは大よろこびでした。
ミリー・モリー・マンデーも、おかあさんがよろこんでくれたのがうれしくて、それで、ふたりともしっかりだきあって、たがいにキスしました。
そして、そのとき、ポテト・パンケーキのほうは、もうほとんどつめたくなってしまったのに、ココアは、すこしもさめずに、まだあつあつのままだったんですって!
(「ミリー・モリー・マンデーのおはなし」より)


我が家もこのポット・カバー、すなわちティー・コゼーは、重宝していて、すでに、何代目かが活躍しています。
友人の手作りもあります。娘の買ってきてくれたお土産もあります。
どれもみな、温かい心がこもっているせいもあって、ある程度の時間、お茶を温かいまま、保ってくれます。
ティーコゼーは、英語だとTea Cozy。"cozy"は、名詞だと保温カバーの意味ですが、
形容詞としての意味には、「居心地のよい(場所)」とか、「気持ちのよい(場所)」、あるいは「(雰囲気などが)くつろいだ」と、辞書にあります。
ティー・ポットをくつろがせているのか、温かいものを飲む我々がくつろぐのか・・・。
いずれにしても、紅茶を飲むとき、ポットにティー・コゼーがないと、寂しく感じます。
外出先の喫茶店でポットサービスの紅茶が出てきたときも、つい、手持ちのハンカチなどでポットを覆ってしまうのは、おばさんの習性でしょうか。

ところで、うちにあるティー・コゼーは、2タイプです。
一つは、ポットの底に当たる部分に、断熱性のものが入っていて、鍋敷き要らず、それで、ポットの両サイドを包むようにして、注ぎ口と持ち手だけ外に出して、上部はリボンやゴムで縛るもの
(写真の左から2つめのバラ模様のものと、右端の紺色水玉模様のものがそれ)。
もう一つは、すっぽりとポットの上から被せるもの。特に、このすっぽりタイプはどれも、初めて我が家に来たときは、誰かが、帽子のように被って、おどけて見せたものです。
3人の子どもたちもすべて成人したので、今となっては、そんなことすら、ちょっと懐かしい。

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cover 「ダイアナと大きなサイ」
(エドワード・アーディゾーニ作 あべきみこ・訳 こぐま社)


「ある冬の夕方のことでした。
リッチモンドの町のクィーンズ通り43番地のジョーンズさんの家では、
ジョーンズさんと、おくさんと、むすめのダイアナが、居間でくつろいでいました。
お茶の時間でした。
ダイアナは、暖炉のまえにすわって、パンをあぶり、
ジョーンズさんこうぶつの バターつきトーストを つくっていました。
おくさんがお茶をつぎ、3人は、その日のできごとなどを、にぎやかにおしゃべりしていました。・・・・・」


この絵本は、ダイアナと「サイ」の友情話にバターつきトーストがからんだお話です。
日常生活に大きな動物「サイ」が登場するというありえない設定ですが、
バターつきトーストという日々のおなじみを持ってくることによって、お話のリアリティが高まります。
初めから最後まで、バターつきトーストは重要な役目を果たしています。
まず、ダイアナのお父さんのジョーンズさんの好物が、バターつきトースト。
庭を「サイ」に荒らされて、はらをたてているジョーンズさんですが、その「サイ」の好物もバターつきトースト。
そして、ダイアナは、サイと遊んでいないときはバターつきトーストを作るのに大忙しだし、
「サイ」の晩年は、バターつきトーストをたくさん食べたおかげで、太りすぎ。
具合が悪くても、バターつきトースト。満ち足りた気持ちになるのも、バターつきトースト。
最初は、少女のダイアナが、暖炉の前でパンをあぶり、
最後は、おばあさんになったダイアナがパンをあぶっています。

ところで、ダイアナが、トーストをあぶるとき、柄の長い三又のフォークを使っています。
トーストやパンをサーブするときの「ブレッドフォーク」「マフィンフォーク」というものか、別のものなのかわかりませんが、
イギリスのカトラリー(スプーンやフォークやナイフなど)は、いろいろあって興味深いです。

我が家にやってきたカトラリーたちをご紹介すると・・・・・・。
先がフォークのようになっているバターナイフ。
ダイアナのように、暖炉の前でバターを溶かしながら、バターつきトーストを作ることができないときにも、便利です。
まだ溶けないバターの小片を突き刺し、焼けたトーストに塗るとき、重宝します。
ただ、購入先のポートベローマーケットのおじちゃんは、この使用法を教えてくれたのですが、
ちょっと作業が上品ではないので、この使い方が合っているのか、少々疑っています。

次に、ピクルスフォーク。
柄が長く三又になってさらに、突き刺すとひっかかるようになっているフォーク。
ビンの底にあるピクルスが、うまく突き刺せます。
よく悪魔のイラストなんかで、尻尾が先割れているでしょう。あれに似ています。

それから、ジャムスプーン。これは、便利。
ジャムを塗ったものの、普通のスプーンじゃジャムが残るし、普通のバターナイフじゃジャムが載せられない。
というわけで、ちょっとだけ深さのある平たいスプーンです。

そして、銀のティースプーン。
我が家では、3人の子どもに遺す不動産も、動産もなく、
かといって、本人たちが不要と思われる物を遺しても仕方がない。
ということで、邪魔にならない小さな銀のスプーンを、
それぞれにペアで進呈できるようにと、少しだけ集めました。ほんと、ささやかな遺産。

持ち手のところが、手彫りで綺麗なピアストワーク(透かし彫り)のものを集めました。
使ってみて初めてわかったことですが、持ち手まで熱くなりません。ただ綺麗なだけではなかったのです。
銀を透かし彫りにすることによって、熱を放散します。
柄をねじって装飾しているのもあります。
銀は柔らかいので、強度を増すために、ねじっているのです。

銀は、そのまま放置すると黒くなってしまいます。
プラチナは、ずっと光っていて綺麗なものの、銀より白く冷たい感じです。
それで、我が家には、銀を磨いてくれる使用人などおりませんから、時々、自分で銀を磨くのですが、
磨いていると、だんだん落ち着いた気分になり、光ると、本当にうれしい。
顔が写ると、にっこり、いいお顔。銀を磨くというのは、もしかしたら、自分を磨いているのかもしれません。

そして、銀のティースプーンは、大事にするので、ほかの多くのティースプーンのように紛失しません。
で、100年以上も前のティースプーンが、毎夜、我が家のティータイムに活躍し、
いずれは、子どもたちのものになり、その次は・・・・・、と続くならば、究極の「エコ」となるはずなのです。
「成り金」、「金ピカ」など、「金」のつく言葉に比べ、
「銀」は「いぶし銀」、「シルバーグレー」など、謙虚な感じで使われます。
そこで、「金」のものを集めるよりも、「銀」磨きしている方が、お品がいいんじゃないかと勝手に思っています。

*ナンバータイトルの写真
右から、先がフォークのバターナイフ。
次が、ピクルスフォーク、次の二本がジャムスプーン。
左のジャムスプーンは1891年の銀製。スプーンのところを金メッキして、果物の酸に強くしています。
ティースプーンはすべて銀製で、1902年、1905年、1918年、すべてシェフィールド製。
ピアストワークは手彫りなので、それぞれ微妙に違います。

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cover 「とぶ船」
(ヒルダ・ルイス作 石井桃子・訳 ノーラ・ラヴリン挿絵 岩波書店)


・・・・・・マチルダは、チョコレート・ケーキを一きれとって、
ふしぎそうに、あちらこちらからながめました。
これも、いいにおいがしました。そこで、ひとくちたべてみました。
そして、とてもうっとりした顔つきをしましたので、
みんなは、マチルダもこのお菓子については、じぶんたちとおなじ意見なのだということがわかりました。
そして、すぐに、マチルダはふたきれめをたべていました。
お茶は、はっきりことわりました。この熱いへんな色の液体は、おいしそうには思えなかったのです。
かわりに、マチルダは牛乳をすこしのみました。
そして、心のおくそこで、お城で飲む、牛からしぼりたての、木のおけの中であわ立っている、
クリーム色のあたたかいお乳のほうが、ずっとおいしいと思いました。
わるいと思って、そんなことはいいませんでしたけれども。

サンディは、マチルダがオレンジやバナナやチョコレートやお茶を、そんなにめずらしがるのが、ふしぎでしたが、
まだマチルダの時代には、そういうもののできる国が発見されていなかったのだと、ハンフリは説明しました。
チョコレートを食べたことがないなんて、気の毒だと、サンディは思い、
じぶんのチョコレートは、いつもマチルダにわけてあげようと、心に誓いました。
そして、ついでにいっておきますと、サンディはその誓いを、ちゃんと守りました。(「とぶ船」より)


たしかに! チョコレートを食べたことがないなんて気の毒だと思います。
しかも、お茶のことを、この熱いへんな色の液体だなんて!

まあたしかに、お茶をおいしいそうな色にいれるのは、とても難しい作業です。
日本茶が、白磁の湯のみに若葉色に入ったときは、小さくガッツポーズ。
しかも、風味も香りも満点なんてこと、そう簡単にありません。
紅茶も然り。きれいな赤い色に入っても、味もなく香りもなく、ただ苦いだけ・・・・・・などと惨めなときも多いのです。
せっかくのダージリンにしても、玉露にしても、高級茶葉をいれるときは、本当に難しい。
特に、そういうお茶は、お客様にお出ししたり、特別な日に用意したりするものですから、気合が入ります。
ダージリンなら、いつもより茶葉を多く入れてしまって濃い色合いになって苦くなってしまったり、
玉露なら、もう少し冷めるのを待てばいいのに、気持ちが急いて、熱いお湯を注いだり・・・・・・。ふぅー。なかなか大変なのです。

おいしいお茶が出されたら、きれいな色のお茶を目で楽しみ、口にいれる前に香りを楽しみ、口にいれて、舌の上で味を楽しみ、そして、ほっと一息。
いずれにしても、自分でいれるより、誰かにいれてもらったお茶は、いつも、おいしい。
我が家の好みは、たぶん、マチルダなら変な色という濃い目の赤茶色の紅茶、アッサムのミルクティです。
ストロングと表現されたちょっと渋め・苦めのアッサムにミルクをいれて、味をまろやかにし、舌に適度な渋みを残す。
この紅茶は、ケーキやビスケットによく合うのです。
日本茶もまろやかな味の玉露より、ちょっと渋さの残る中くらいの価格ランクの煎茶が、和菓子に合うような気がします。

甘いものがないときや、甘いものが必要でなくお茶だけというときも、我が家のティータイムは、やっぱり甘い。
マーマレードやイチゴジャムを入れて飲むのです。
フランスF社のローズペタルジャムが手に入るなら、バラの香りとバラの花びらを楽しめるバラの紅茶になります。
紅茶がさほど上手に、はいらなくても、ジャムたちが補ってくれるので、首尾は上々です。

閑話休題。
この「飛ぶ船」に登場するマチルダは、実在のマチルダ女王(王妃)から名前をもらった設定で、ウィリアム征服王の時代の子どもです。
実在のマチルダ女王(王妃)は、ウィリアム征服王の妃で、夫のウィリアム征服王の活躍を、
刺繍で絵巻風にバイユーのタペストリー(Bayeux Tapestry:通称「マチルダ王妃のタペストリー」)として残したと伝わっています。
ところが、実際には、マチルダ王妃自身が刺したのではなく、バイユーの司教だったウィリアムの弟が外注したようです。
とはいえ、話の中で、少女マチルダが「マチルダ女王が、このような壁掛けをおはやらせになったのです。王様がお勝ちになった戦争は、
ひとつ残らず、壁掛けになさるのです。・・・・・・」と、言う箇所は、明らかに「マチルダ王妃のタペストリー」を念頭に置いています。
フランスのバイユーに展示されている本物を見たことはありませんが、レプリカを、イギリスのレディング(Reading)博物館で見たことがあります。
レプリカといっても、現代のものではなく、1885年(ヴィクトリア時代)に刺されたもので、70メートルにわたって延々と展示されていました。
船で渡るシーン、馬で向かうシーン、戦うシーンなど、見事な絵巻物です。
インターネットのおかげで、オンラインで、見ることができます→こちら

*ナンバータイトルの写真
レディング博物館のSHOPで買ったものです。
バイユーのタペストリーの一部をほどこしたふうのクッション。
お皿とコンポート皿は、1841年〜1876年に作られたフランスのもの。

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cover 「ツバメ号とアマゾン号」
(アーサー・ランサム 岩田欣三・神宮輝夫 訳 岩波書店)


「まず第一に、あんたがた、やかんがいるよ。」と、おばさんがいった。
「それから、おなべにフライパンね。」と、リストを見てスーザン航海士がいった。
「わたし、たまごのバタ焼きがいちばん上手だわ。」「ほんとかね?」と、ジャクソンおばさんはいった。
「たいていの人は、ゆでるのがいちばんとくいだがねえ。」
「そうよ、ゆでるのなんて問題じゃないわ。」
ナイフ、フォーク、皿、コーヒー茶碗、スプーンなどのことも考えなくてはならなかった。
ブリキのかんも、食物を入れる大きいビスケットのかんと、お茶や塩や砂糖を入れる小さなかんとが必要だった。
「お砂糖には、どっちかってば、大きいのがいるんじゃない?」と、ロジャがいった。
ロジャはちょうどはいってきたところで、艇庫へ運んでいくものがほかにないかと待っていたのだ。
「パンは焼かないだろうねえ。」と、ジャクソンおばさんがきいた。
「と思うわ。」と、スーザン航海士が答えた。


この引用は、「ツバメ号とアマゾン号」シリーズの一番はじめ、
スーザンが、これから始まる子どもたちだけの暮らしの準備をしている箇所です。
もうすでに、スーザンは航海士と呼ばれています。
子どもたちがやってみたい冒険が、アーサー・ランサムの描くこのシリーズの中に詰まっています。
子どもが自炊する生活なんて、そんな大それたこと! 責任が大きくて、わくわくするじゃないですか。

こう書いていても、「ツバメ号とアマゾン号」シリーズを初めて読んだ時のことが思い出されます。
それまで知らなかった英国の風習、食べ物、船用語、子どもたちが名づける名称や交わす言葉など、
そして当然、その冒険の数々、いろんな場面で心惹かれ、興味津々だったのですが、
今こうして思い起こすと、何がどう、という細かいことより、
シリーズ全体に詰まっている「わくわく感」、それがこのシリーズのすべてだと思えるのです。

そうです。この子どもたちの冒険生活には、「お茶」を沸かす「やかん」が、まず、第一に要ります。
おなべでもフライパンでもありません。
今のようにレトルト食品を袋ごと温めたり、インスタント食品にお湯をかけたりするためのお湯ではありません。
このシリーズの随所で、子どもたちは、お茶を飲み、スーザンの作る卵料理を食べ、チョコレートやビスケットを食べます。
お茶のために、お湯を沸かす必要があります。
ちゃんと、調味料も、缶に入れていくところが、きちんとしたスーザンらしい。
そして、甘いもの好きのロジャらしくお砂糖は大缶だというところが、可笑しい。

このシリーズに、子どものときに出会った人はラッキーです。
リアルタイムで、アマゾン海賊遊びをした姉妹、向かいのおうち同士での火星からの通信。
幸せな子ども時代を過ごした人たちを知っています。
そして、大人になってこのシリーズに出会った、いわば、遅れてきた乗組員である私にしても、
後に、ずぶずぶ、ずぶっと、はまって行く英国への扉を開ける、ひとつのきっかけになったシリーズでした。
初めて渡英したとき、出かけたのがこのシリーズとピーター・ラビットの舞台である湖水地方であったのは、
それから始まる絵本と児童文学の聖地巡礼のスタート地点としてふさわしいものだったと思っています。

遅れてきた乗組員の私が、このシリーズに出会ったのは、末っ子が乳母車に乗っていた頃でした。
一巻目を読み終わった私は、小走りで乳母車を押し、二巻目購入のために、本屋さんの開店へと急ぎました。
長男は、幼稚園に行っている時間でしたが、まだ3歳の長女は、乳母車の横を必死で走って付いて来たような記憶があります。
母親の心は、次の本にあったのに、何も知らない幼い子達は、きゃあきゃあと笑いながら、小走りで、あるいは乳母車の中で楽しそうだったのです。
お母さん自身が楽しいこと、これこそが子育ての基本だと、勝手ながら確信しています。

《参考》【イギリス、ほんの寄り道 A to Z】(2007年8月15日、O オックスフォード Oxfordの項参照)
【春を待つ日のアドヴェントエッセイ】(3月12日「ツバメの谷」の項参照)


*ナンバータイトルの写真
マーロー・オン・テムズのお屋敷。左に、引用部分に出てくる艇庫が見えます。

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cover 「魔法使いのチョコレート・ケーキ」
(マーガレット・マーヒー作 石井桃子・訳 シャーリー・ヒューズ絵 福音館書店)


・・・・・・魔法使いは、おもしろはんぶんに、肥料の粉で、すばらしいケーキをつくりました。
材料は腐葉土と混合肥料、それに窒素がひとつまみでした。
魔法使いは、そのケーキに白い石灰の粉をまぶしました。
それから、ケーキを美しいお皿にのせましたが、
そのお皿というのが、魔法使いが福引であてたもので、バラの花もようがついていました。
魔法使いは、このお皿をいちばん上等のおぼんにのせて、
お皿のわきには、水をいっぱい入れた赤いじょうろをおき、それをリンゴの木のところにもっていきました。
そのあとで、二ばんめにいいおぼんに、紅茶のお茶わんをひとつに、
大きく切ったチョコレート・ケーキをひとつおきました。
リンゴの木と魔法使いは、日なたぼっこをしながら、いっしょにお茶をのみました。
・・・・(「魔法使いのチョコレート・ケーキ より)


このお話は、マーガレット・マーヒーの短編集の中の一つです。
話の最後は「・・・・・・そこで、なにもかも、めでたし、めでたしということになりました」で締めくくられています。
本当に、「めでたし、めでたし、読んでよかった、ああ、おいしかった」と、
心を込めていれてもらったお茶のように、満ち足りた気持ちになるお話です。
お茶のひとときが、お茶と甘いものと話し相手があってこそ、
よりおいしいひとときになるのだとわかります。しかも、日なたぼっこまで・・・・・・。

魔法使いが「おもてなし」するのはリンゴの木です。
その人(木)には、「美しいお皿」「いちばん上等のおぼん」で、「おもてなし」の心を表します。
たとえ福引で当てたものであっても、バラの模様がついている美しいお皿なのです。
魔法使い本人は、「二ばんめにいいおぼん」に直接チョコレート・ケーキを置いているようです。
しかも、お茶はカップ&ソーサーでなく、茶わんひとつと書いています。マグカップなのかもしれません。

確かに、魔法使いならずとも、「おもてなし」の準備は、後に始まる楽しいひとときに思いを馳せ、
一番いいお皿とカップを用意し、花の一輪も生けて、そのひとときを迎えます。
また、たとえ「おもてなし」する相手がなくても、たまに、一人で「一番いいカップ」でお茶してみるのも、いいものです。
自分自身を「おもてなし」て、ゆったりした気分になって・・・・・。
でも・・・・・やっぱり楽しいおしゃべりがあったほうが・・・・・・。誰かにいれてもらったお茶のほうが・・・・・・。

じゃあ、もてなされる側の手土産は何でしょう?
手作りのお菓子を筆頭にさまざまな甘いもの?
いえいえ、もてなされる側の第一の返礼は、「おいしい」というただ一言です。
おいしくお茶をいれるのは難しく、「おいしい」と言ってもらえると、とても嬉しいものです。
ついでに、準備したカップやお皿、お花やテーブルクロス等など、些細な準備に気付いてもらえたら、これも 嬉しい。

娘が1年滞在していたメルボルンのホストファミリーのおうちに伺ったとき、
お食事のあとのティー&コーヒーは、みんなマグカップでした。
カップを持って、部屋の設えや壁に飾ってある子どもたちの絵を見せてもらい、立ちながら飲みました。
小さな動き回る子どもがいる家庭ですから、大人がそれぞれカップを持っているのは、とても大事なことでした。
なにも、一番いいカップでおもてなしするだけが、おもてなしではありません。
マグカップにいれられた心のこもった温かいお茶を飲むことで、
娘が暮らす毎日が暖かいものであることがうかがえ、ほっとしたものです。

*ナンバータイトルの写真
バラ模様のタイルが貼ってあるトレイは、1920年頃の英国製。
バラ模様のデザートナイフは、バーミンガム、1853年製の銀。
持ち手は、マザー・オブ・パール(白蝶貝)です。

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cover 「ディダコイ」(ルーマー・ゴッデン 猪熊葉子・訳 評論社)

・・・・・・9月の末から、10月の最初の週まで、ふたりは、庭でお茶をのんだ。
「ものすごい降りでない限りはね」
ブルックさんはいった。
キジィは鉄のやかんかけを見つけ出していた。
果樹園からその重たい鉄を引っぱってくるのは容易ではなかった。
ブルックさんはそれをうまく据えつけた。
ドゥ家の連中はやかんをもっていってしまっていたが、ブルックさんは、古いやかんを探し出した。
風よけのブリキ板は、ぐらぐらしないようになり、アイロン台の板のかわりの板を見つけてベンチにした。
ブルックさんは箱を見つけてきた。そしてその箱にも、同じ文字が書いてあった。マックレガー・ダンディ。
キジィが毎日学校から帰ってくると、焚火の煙が見え、やかんがしゅしゅう湯気をたてていた。
「たしかに外で飲むお茶のほうがおいしいと思うわ」
ブルックさんはいった。


庭でお茶を飲む! こんな素敵なことは、そう多くありません。
この話のキジィにとっては、"外でお茶を飲む!"ことは、アイデンティティに関わる行為ですが、
誰しも、外でお茶を飲むと、その開放感に魅了されると思います。
外でのお茶が、何故おいしいか?は、よくわかりません。
開放感からくるリラックスした気分が、おいしい空気、おいしいお茶につながるのでしょうか。
それとも、五感をくすぐるものが直接的で、おいしいお茶のエッセンスになるからでしょうか?

パリのカフェでは、大きな暖房器具つきのパラソルで、寒くても、小雨で冷え込んでもカフェが外で飲めます。
観光客の私たち家族もご他聞にもれず、有名カフェでボーヴォワールとサルトル気取りでしたが、春先のパリはちょっと寒かった・・・・・・。
そして、スイスの夏は、やっぱり戸外でしょう。
心地よさが、くせになって、夕飯もスーパーで買ってきたパン等を、ホテルの部屋のバルコニーで食べました。
それに、日本には、野点(のだて)という戸外でお茶を飲む文化も古くからありますね。
現代でも、外にテーブルが置いてある街のカフェなど、
天気のいい日は、たいてい満席で、みなさん気持ちよさそうに歓談しています。

以前住んでいた山の上の小さな庭は、人目もなく、バラも咲くので、
テーブルと椅子を用意して、お茶を飲んでいました。
といっても、日本では、冬は寒いし、梅雨は長いし、夏は暑いのと、蚊が来るので、
一年のうち、そんなに何日も出来るわけでありませんが、たしかに外で飲むとおいしい。

ところが、何年か前、子育て後のライフスタイルを考えた末、便利でコンパクトな住まいへと移り住もうという話になりました。
限られた予算で、次なる住まいの予想図を描くとき、夫婦でそれぞれが、譲れない点を挙げました。
私が希望したのは、庭が無理なら、それに代わるスペースのある住まいでした。
お花を育て、外でお茶を飲む、外で本を読む、そんなスペースです。
その結果、移り住んだ今の住まいは、蚊はほとんど来ませんが、土の匂いもありません。バラのアーチもありません。
それでも、風が通ります。頭上には、空が広がっています。
外でお茶を飲む! こんなに素敵なことは、そう多くないのです。
とはいえ、秋も深まって、戸外は冷えてきました。
来春のお楽しみといたしましょう。

*ナンバータイトルの写真
コッツウォルズ、チッピングカムデン【イギリス、ほんの寄り道 A to Z】(2007年8月3日、Cの項参照)。
一緒に行った娘は、この写真に写るスコーンが一番おいしかったと申しております。
戸外で食べたからかな?

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cover 『メアリー・ポピンズ』シリーズ
(P.L.トラヴァース作 林容吉・訳 岩波書店・岩波少年文庫)


・・・・・・それは、大きなたのしそうな部屋で、すみの暖炉には、火があかあかと燃えていました。
部屋のまんなかには、たいへん大きな食卓があって、その上には、お茶の用意が、すっかりととのっていました
―――四人分の茶わんとおさら、バタをつけたパン、やわらかそうな菓子パン、ヤシの実入りのお菓子などの
山盛りのおさら、それから、桃色のお砂糖でころもをかけた、大きな干しブドウ入りのお菓子がありました。
「さてさて、よくきてくれた」と、大きな声であいさつがきこえたので、ジェインとマイケルは、どこで声がするのかと思って、あたりを見まわしました。
ところが、どこにも見あたらないのです。部屋のなかに、だれもいないようでした。・・・・・・
(「風にのってきたメアリー・ポピンズ」より)


メアリー・ポピンズの「笑いガス」のお茶会も、とても印象的で、ちょっと参加したいお茶会です。
特別な日に、おかしなことがあると、身体の中に笑いガスが充満して、身体が浮いちゃう!
なんて愉快な発想でしょう。
真面目なことを考える、たとえば、「さ、帰る時間ですよ。」と誰かが言い出すと、悲しい気持ちになって、ガスが抜けて、身体が地面に降りてくる。
一見、奇想天外な「笑いガス」ですが、ジェインとマイケルが、笑いをこらえて口をしっかりとむすんで、笑いがでていくのをおさえようとする、
という箇所なんか、本当に「笑いガス」が充満しそうで、現実にありそうじゃないですか。
そして、ジェインは、「笑っているうちに、ポンプでどんどん空気でもつめこまれるように、だんだん身体が軽くなるような気がしてきたのです。
その気持ちはふしぎな、そして、とてもたのしいものだったので、もっともっと笑いたくなってきました。」・・・・・・


確かに、笑うとなにか、軽くなる気がします。
子どものときも、大人である今も、楽しい時間が終わるとき、心の中で一気にしぼむ何かを感じます。
「やりたくない」と思っているときは、初めからガスなど充満していないので、「やっと終わりだ」というときに、少しのガスが湧いてきて、次への力が湧いてくるような気がするのですが。
心の中にガスを充填する・・・・・・おいしいお茶、然り。おいしい甘いもの、然り。
楽しい会話、然り。愛する人、愛される人、然り。
心の中にガスをいっぱい充填して大きくなった子どもは、笑うのが好きです。

私が、メアリー・ポピンズの本に出会ったのは、映画より随分あと、第一子を妊娠中でした。
楽しかった映画の原作でしたし、挿絵も楽しそう、と読み始めました。
当時、つわりはきついし、初めての妊娠で不安も多い。そんな中、無性に読みたくなったのが、楽しい本でした。 メアリー・ポピンズの世界は、ありえない世界ではありません。
赤ちゃんのジョンとバーバラが、風が話すのを聞きムクドリと話していたのに、
少し大きくなるだけで、そのことを忘れてしまうエピソードは、実際にそうじゃないかと今も思っています。
赤ちゃんが泣くには、それなりの理由があるのだと示唆してくれたことも新米の母親には支えになりました。
そして、『帰ってきたメアリー・ポピンズ』の中で、一番下のアナベルが生まれたとき、
そよかぜが「カールがいい? それとも、まっすぐ?」と、ゆりかごの中のアナベルにささやきます。
アナベルが「カールにしてちょうだい!」というと、そよ風が、柔らかな毛の先を丁寧に巻き上げていく箇所は、
うちにも一人カールの子がいるので、さもありなん、と思うのです。
【イギリス、ほんの寄り道 A to Z】(2007年8月26日、Zの項参照)

*No.3 タイトルバックの写真
テムズ川河畔、マーロー村、
コンプリート・アングラーホテルのアフタヌーンティ。
出口保夫氏のイギリス本に、アフタヌーンティなら、ここ!
としばしば紹介されているホテルです。
【イギリス、ほんの寄り道 A to Z】(2007年8月13日、Mの項参照)


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cover 「不思議の国のアリス」(ルイス・キャロル作 生野幸吉 訳 ジョン・テニエル 画
福音館書店/高橋康也:迪訳 アーサー・ラッカム絵 新書館
/高杉一郎訳・山本容子絵・青い鳥文庫)


・・・・・・「それからというもの」と、ぼうし屋は悲しそうな口調で続けました。
「時のやつ、おれがたのむことを何ひとつやってくれない! このごろは、いつ見ても六時なんだよ」
 アリスは、はっと気がつきました。
「ここにこんなにたくさんお茶の道具が出ているのは、そのせいなのね?」とアリスはたずねました。
「そうとも、その通りさ」と、ためいきをついてぼうし屋は言いました。
「いつでもお茶の時間なのさ、だから、お茶わんを洗おうにも、とぎれめがないんだ」
「だから、しょっちゅう席を変えてぐるぐる回りしているのね、そうでしょう?」とアリスは言いました。
「まさしくそうさ」とぼうし屋は言いました。
「お茶の道具は使いっぱなしにしているからなあ」
「でも、またふりだしにもどったら、どうなるの?」とアリスは思いきってたずねてみました。
・・・・・(「不思議の国のアリス」より)


子どもの本でお茶会といえば、『不思議の国のアリス』です。
アリスと眠りネズミと3月ウサギ、そして、ぼうし屋がティーパーティをしている章は印象的です。
お茶しかないティーパーティですが、人を喰った会話をお茶菓子代わりにパーティは進みます。
このシーンは、特にテニエルの描く絵がすぐに頭に浮かびます。
人を小ばかにしたような描き方のテニエルは、このアリスのおかしな世界にぴったりです。
アリスの登場人物の中で、うちの子どもたちがファンなのは、他でもありません。眠りネズミです。
3月ウサギとぼうし屋にはさまれて、眠りこけている姿が、
我が家で子どもたちと一緒に食事をしていたはずのおばあちゃんにそっくりだったからです。
そのときすでに小さなおばあちゃんになっていた眠りネズミ、
いや、もとい、おばあちゃんは、若者のアップテンポな会話についていけず、ついウトウト。
小ささといい、眠り具合といい、そして、首のすくめ方に至るまで、
テニエルの描くティーパーティの眠りネズミそのものでした。
そして、みんなに起こされたときの言葉まで。

・・・・・・眠りネズミはゆっくりと目をあけました。
「ぼく、眠ってはいなかったよ」と、しゃがれた声でぼそぼそと言うのです。
「君らの言うことは、一言のこらず聞いたよ」・・・・・・


あのとき、うちでも席替えをして、新しいカップの前に座っていたら、
うちの眠りネズミ、いや、もとい、おばあちゃんも目が覚めていたかしら。
それとも、まさか、ぼうし屋と3月ウサギがやったように、ポットに突っ込む!?

この眠りネズミが突っ込まれているポットですが、テニエルの描いたのは、銀器のようです。
イギリスの銀のポットには、確かに眠りネズミくらい入ってしまいそうな大きなものがありますが、
あれにお湯を注いでついでまわるとなると、重くて、私なら、手がぷるぷる震えてうまく入れられないと思います。
ちなみに、ラッカムの描いたお茶道具は、花柄の描かれた一式おそろいの陶磁器のようです。
ミルクポットやシュガーポット、はては、お皿には、ビスケットのようなものも描かれています。
お話そのものには、お茶しか出てきませんし、眠りネズミを突っ込むとなれば、銀器のような頑丈なものが適切かと思うのです。

また、日本の版画家・山本容子氏の「アリス」もあります。
そちらは、テーブルにお茶以外があるのはまあいいとしても、
眠りネズミがネコみたいに見えるし、ぼうし屋のひじで押さえつけられていて、ちょっと可哀想。
先日、山本容子銅版画展で額入り色つきのアリス絵を見ましたが、
本に採用されていないティーパーティのテーブルにも、いろんなお菓子やサンドウィッチがのっていました。
ただ、これには、眠りネズミがいなかった。
壁に飾るには、明るくて楽しそうで、お安ければお部屋に一枚欲しいかも・・・・・・。
いやいや、もしも、手に入るなら、うちの眠りネズミ、
もとい、おばあちゃんにそっくりな眠りネズミが描かれているテニエルの画が欲しいです。
その画が壁に一枚あったなら、今夏亡くなったおばあちゃんー実は私の母なのですが、
彼女を偲んで明るく笑えるティータイムになること間違いなし。

*No.2 タイトルバックの写真
お話の内容に合わせてカップをたくさん並べてみました。
日本製のカップです。
カップとお皿に馬が九頭描かれていて、
「うまが9いく」→「うまくゆく」の語呂合わせのつもりで購入したものです。


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cover 「くまのパディントン」シリーズ
(マイケル・ボンド作・ペギー・フォートナム画
松岡享子/田中琢治訳・福音館書店)


 『パディントンは、さっきからずっとほしかった
トーストとマーマレードに手を伸ばすと、
お茶のポットに自分の姿がうつっているのに気がつきました。』
(「パディントンの大切な家族」より)


くまのパディントンは、ポートベローで骨董屋をしているグルーバーさんと二人で、
よくお十一時(ティータイム)を楽しみます。
確かに、私がポートベローに行く土曜の朝9時までだと、
アンティークのストール(出店)を出している人は、
いつも、サンドウィッチをほおばったり、カップ片手に他のお店の人と喋っています。
朝の準備も整って、モーニングコーヒーを飲みながら一息ついているのかもしれません。

【2006年 クリスマスの本 アドベントエッセイ】12月19日分参照)

パディントンは、いつも騒ぎを起こし、周りをヒヤヒヤさせながらも、
最後は、めでたし、めでたし。
「おい、おい、大丈夫か」「ほらほら、やっぱり」
「・・・・・そうか、よかったね」の繰り返し。
で、たくさんのいい大人たちに囲まれ、パディントンは、元気です。

このパディントンのシリーズは、初め7巻が訳され、
2008年から新訳が続けて3冊加わり、邦訳は10冊になりました。
久しぶりのパディントンでしたが、やはり、
「おい、おい、大丈夫か」「ほらほら、やっぱり」
「・・・・・そうか、よかったね」の繰り返し。

小さい子が、同じ本を何度も読んでもらって、
いつもと同じだと安心するのと同じ感覚。

そして、10巻めで、ルーシーおばさんが登場するのですが、
読んでいるほうも感無量。おばさんは、お元気だった!

新しい3冊の訳者は、松岡享子・田中琢治になっています。
「田中琢治さんって、誰?」と、後ろの訳者紹介を見ると、
7歳の頃にこのパディントンシリーズに出会い、
7巻までの訳者・松岡享子さんにお手紙を書き、それ以来交流が始まり、
いまやカナダの大学の理化学系の助教授だとありました。

ふーん、うちの子たちも7歳頃にこの本に出会っていたような気がするなあ・・・・・・。
が、お手紙は書かなかった・・・・・・。そこに大きな違いが・・・・・!?
とはいえ、この田中琢治さんとうちの子たちの共通の友達が、
パディントンであることに、間違いはありません。

*No.1 タイトルバックの写真
お話の内容に沿って、ポットに映ったビスケットとマーマレード。
銀のポットには、1939年、英国・シェフィールド製の刻印が見えます。
ちなみに、第二次世界大戦が始まる年です。


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