ロシアの絵本・美術書 |
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ユーリー・ノルシテインの世界・ロシア絵本TODAY・
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50年代ー80年代の古書・・
90年代以降の絵本 その1・その2・その3・その4・その5・その他・チェブラーシカ
イワン・ビリービン・80年代の絵本 日本語版・80年代以降の絵本 日本語版・80年代以降の絵本 日本語版 続き
日本語版 古本
ロシアのイラストレーションのルーツは、イコンとルボーク(民衆一枚絵)に遡るそうです。
イコンは教会に納められた聖像画。ルボークは17世紀に生まれた民衆版画で、「紙のイコン」とも呼ばれました。
19世紀末におこった文芸復興運動は、イコンやルボークなどロシア固有の芸術を再評価していました。
その中心にあったのが雑誌「芸術世界」をめぐる人々。
古い民衆の芸術を重んじ、民衆の暮しをよりどころとしながらロシア芸術の刷新をはかろうとしたグループです。
イワン・ビリービン(1876-1942)はそのひとりでした。
帝政ロシアの末期、ようやく子どものための教育、文化が語られ始めた時代に、
彼らは子どもの本とも深くかかわり、すぐれた絵本を産み出しました。
すでに舞台美術で活躍していたビリービンは、国立資料編纂所の要請によって民話絵本を制作。
イコンを思わせる装飾的な縁取りの中に、演劇的で細密な絵を描いて、宝石のように美しい絵本を作りました。
石版の色刷りは、高度な印刷技術を誇る国立印刷所(ペテルブルグの帝室文書印刷局?)が担当したとか。
1901年から1903年に6つのロシアの昔話が分冊で出版されました。
「うるわしのワシリーサ」は1902年の作品です。
1917年のロシア革命後、1920年から1936年、故国を離れて、カイロ、アレキサンドリア、パリなどに滞在。
舞台美術、挿絵で活躍していたビリービンですが、望郷の念から1936年帰国します。
帰国後は、レニングラードの芸術大学の教授として死ぬ直前まで教鞭をとりました。
ロシア革命によって、国家の力である子どものための本作りがさらにクローズアップされてのち、
1920年代から1930年代、ロシア絵本が隆盛期を迎えたことは、ご存知のとおりです。
その先駆けとして、ロシア近代絵本の幕を開けた人こそ、ビリービンだったのでした。
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